行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく止とゞまる事なし。 幕末維新史のなかで、徳川幕臣の小栗忠順(ただまさ)ほど興味深い人物はいない。忠順の視点から幕末、そして明治を見つめると、歴史がまったく違ったものに見えてくる。忠順は官軍によってその存在が名実ともに抹殺されたために、歴史のなかに埋もれてきた。また彼自身も自ら文章などの記録を残さなかったため、その存在の大きさにも関わらず彼が注目されるようになったのは近代になってのことであった。 昭和8年、アメリカの研究者から一枚の写真が日本に送られてきた。万延元年(1860年)に米軍艦「ポーハタン号」の船上で撮られたその写真には、日本で初めての遣米使節として乗船していた小栗忠順が、新見豊前守(しんみぶぜんのかみ)、村垣淡路守(むらがきあわじのかみ)とともに写っていた。この写真によって、歴史に