★ このサイトを運営するNPO法人WANは、多様なフェミニズム実践とジェンダー研究の情報を発信・集積し、 ジェンダー平等を求める人々に交流の場を提供します。 1991年8月に金学順(キム・ハクスン)さん始め、かつて「慰安婦」とされた女性たちが自ら声を上げ始めた。それ以前にも、戦後日本社会のそこかしこで「慰安婦」の存在は、大きな声でではないが語られていた。兵士たちの証言、時に美化された「慰安婦」との想い出など。 たとえば、『総員玉砕せよ!』の「あとがき」で、「ぼくは戦記物をかくとわけのわからない怒りがこみ上げて来て仕方がない。多分戦死者の霊がそうさせるのではないかと思う」と書いた水木しげるも、自らの体験をもとに、慰安所の様子を克明に記している(同書: 14-15頁)。そこでは、慰安所(といっても、掘っ立て小屋のようなもの)の前の長い行列を見て「一人三十秒だぞ」と叫ぶ兵士や、「ねえちゃんあと七
『中日新聞・東京新聞』2/11付け「考える広場 この国のかたち 3人の論者に聞く」における上野千鶴子さんの発言に対して、特定非営利活動法人移住者と連帯する全国ネットワーク・貧困対策プロジェクトから公開質問状を出しました。その後、上野さんから回答をいただきました。まずは、誠実に回答してくださった上野さんに感謝申し上げます。 しかし、上野さんが自らまとめられた回答は、新聞記事よりさらに深く懸念を持たざるを得ないような内容でした。これに対して、質問状を執筆した研究者メンバーで意見をまとめました。すでに岡野八代さんと清水晶子さんから重要な論点が提示されているので、移民に限定して議論します。なお、上野さんから責任ある個人としてのやりとりが望ましいという示唆をいただきましたので、今回は執筆者の連名で公表いたします。 Ⅰ 上野さんの回答へのリプライ まず、上野さんは「みなさま方の理想主義は貴重なものです
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