1.君との思い出 君の名を始めて知ったのは、78年アルゼンチンW杯大会直前、サッカーマガジンに載った代表候補選手リストだった。 当時私は高校3年生、少々興奮した。17歳の同い歳(後日、さらに同年同月生まれと知る)の選手が、地元ワールドカップに備えるチームの候補選手になっていたからだ。しかし、大会直前、メノッティ氏は迷いに迷った末に、君をメンバから外したと言う。そして、熱狂的な全国民のサポートの下、ダニエル・パサレラとオズバルト・アルディレスとマリオ・ケンペスのチームは、颯爽とした攻撃的サッカーで初めての世界制覇に成功する。君が不在でも。 79年5月、前年W杯決勝再戦となったオランダ戦、映像で初めて君を見た。君以外は世界チャンピオンメンバ、しかし君は格段の戦術眼と技巧を見せ、既に王様としてチームに君臨していた。ヨハン・クライフが事実上トップレベルの試合を去っていた当時、「新しい神」が登場した