タグ

歴史と大阪に関するtoyaのブックマーク (8)

  • 天王寺駅の怪と現代に残る阪和電鉄の遺構 後編【昭和考古学】 - 昭和考古学とブログエッセイの旅

    普段から使っている人には、普段すぎて何の不思議も感じなさそうな駅にも、さりげなくミステリアスな歴史が詰まっていることがあります。 前回はその前哨戦として、大阪JR阪和線天王寺駅を紹介しました。 parupuntenobu.hatenablog.jp 前哨戦にしてはやたら長くて、読む方は辛かったと思いますが、今回は題の丸に突入し、遺物を「発掘」していこうと思います。 ・・・大丈夫です。後編は前編のように長くはありません、たぶん。 阪和電気鉄道時代の天王寺駅ホーム まずその前に、阪和線が「阪和電気鉄道」だった頃の、天王寺駅のホーム配置から説明しないといけません。 まずは今の天王寺駅ホームを。大阪環状線や関西線(大和路線)のホームは関係ないのでモザイクをかけ、阪和線のホームだけ表示しました。上の①~⑨番線がそれです。 阪和電鉄当時のホームの基構造はこの通りです。これを『図①』とします。

    天王寺駅の怪と現代に残る阪和電鉄の遺構 後編【昭和考古学】 - 昭和考古学とブログエッセイの旅
  • 天王寺駅の怪と阪和電気鉄道の歴史 前編【昭和考古学】 - 昭和考古学とブログエッセイの旅

    目次: 序章:天王寺駅の素朴な謎 伝説の私鉄、阪和電気鉄道 阪和電鉄時代の天王寺駅舎 阪和のエヴァンゲリオン、超特急 南紀直通列車、「黒潮号」 阪和間の料金に見る戦前の物価 阪和電気鉄道、開業早々に事故る 阪和線、真の秘密兵器 阪和電鉄 vs 南海鉄道の仁義なき戦い 涙ぐましい必死の経営努力 阪和電鉄、時代の大波に消える そして国鉄へ・・・ 「東羽衣線」の謎 阪和線、売ります 序章:天王寺駅の素朴な謎 好奇心のアンテナを限度いっぱいに広げていると、身近な場所や物でもさりげなく「???」と思う謎があったりします。 そして、それを掘り下げてみると意外なものが見つかったりすることがあります。 例えば、大阪にあるJR阪和線の天王寺駅。 阪和線の天王寺駅は、他のJRの路線とは少し離れた所に位置しています。 「同じJRなのに他の路線とホームが違うの?」 という疑問を持たれてもおかしくないですが、その答

    天王寺駅の怪と阪和電気鉄道の歴史 前編【昭和考古学】 - 昭和考古学とブログエッセイの旅
  • 天王寺駅の怪 完結編-ついに天王寺駅の謎が暴かれる!?【昭和考古学】 - 昭和考古学とブログエッセイの旅

    数ヶ月前、JR阪和線天王寺駅の謎について記事を書きました。 parupuntenobu.hatenablog.jp parupuntenobu.hatenablog.jp 自分でもかなり力を入れた記事でしたが、その熱量がインターネット回線を通して伝わったか、かなり好評でした。 この中で、天王寺駅のホーム下に今でも眠っているだろう、地下通路の話を書きました。詳しくは上のリンクの後編をご覧下さい。そこで、 「地下通路の事をご存知の方、こっそり連絡下さい」 というメッセージを発信したのですが、ありがたいことにそれを受信してくれた方が複数いらっしゃり、貴重な情報を入手することが出来ました。こちらにて改めて御礼申し上げます(-人-) 阪和線天王寺駅は、前編後編で書き尽くした!終わり!これだけ書いたら十分やろ!と自分では思っていました。 しかし、まだ終わってはいなかった…たかが天王寺、されど天王寺。天

    天王寺駅の怪 完結編-ついに天王寺駅の謎が暴かれる!?【昭和考古学】 - 昭和考古学とブログエッセイの旅
  • 「あさが来た」モデル、広岡浅子ゆかりの資料1万点発見:朝日新聞デジタル

    NHKの連続テレビ小説「あさが来た」の主人公のモデル、広岡浅子(1849~1919)が嫁いだ大阪の豪商・加島屋(かじまや)が幕末に各地の藩に貸した金の借用書や、浅子の手紙など約1万点の資料が、奈良県橿原市の民家で見つかった。加島屋の分家を切り盛りしていた浅子が、新政府との交渉に向けて旧藩の借用書の整理を手がけた可能性もあるという。 見つかったのは江戸時代以来、奈良県で山林経営をしている岡橋家。加島屋の10代当主・広岡正直の娘が嫁いでおり、太平洋戦争の際に広岡家が加島屋関係の古文書を「疎開」させたものという。 借用書は仙台、長州など藩別に封筒に入れられて整理されていた。明治政府は旧藩の借金を新設の県に引き継がせる際、金を貸した両替商らに借用書などの提出を求めており、その際に整理したとみられる。中津藩(今の大分県中津市)の借用書には、大阪の蔵屋敷に勤めていた福沢諭吉の父、百助(ひゃくすけ)が署

    「あさが来た」モデル、広岡浅子ゆかりの資料1万点発見:朝日新聞デジタル
  • 朝ドラ「ごちそうさん」で描かれた大阪大空襲・救援電車の真実 - エキサイトニュース

    NHKの連続テレビ小説「ごちそうさん」の今週火曜(3月4日)放送の第128回では、大阪大空襲のさなか、ヒロイン・め以子(杏)たちが地下鉄の心斎橋駅構内に逃げこみ、さらにはホームに入ってきた電車に乗ってより安全な梅田方面へ避難するという場面があった。そもそもめ以子が地下鉄駅に避難したのは、夫で大阪市職員として地下鉄建設にかかわった悠太郎(東出昌大)から渡された手紙に「地下鉄に逃げれば安全だ」と書かれていたからだ。 このエピソードは、実話にもとづくものである。1945年3月13日夜から翌日未明にかけての米軍による大阪大空襲(第1次)の際、街が火に包まれるなか、大阪市営地下鉄の心斎橋駅に避難してきた人々を救うべく、電車が梅田方面や天王寺方面へ運行されたというのだ。 もっとも、空襲下に地下鉄を走った救援電車について公式な記録は一切残っていない。というのも、戦時中の地下鉄は軍事輸送に使われることも多

    朝ドラ「ごちそうさん」で描かれた大阪大空襲・救援電車の真実 - エキサイトニュース
  • 泉州で、古墳を - 日毎に敵と懶惰に戦う

    4時に目が覚めたのだが、次に気が付いたら5時15分、ああ、これは間に合わぬ…と起床した瞬間に思ったが、まて暫し。超特急で着替えてひげを剃っている暇も無いのでひげ剃り整髪剤をカバンに忍ばせ、家を飛び出して、ああ、京急はタッチの差で間に合わないっぽい!目の前のタクシーをつかまえてYCATまで890円。朝の空いている道を飛ばし、YCATから5時33分の羽田空港行きバスに間に合った。良かった…あ、ベルトを忘れた! 素敵な湾岸部の風景の中をバスは順調に進み、羽田空港第一ターミナルに5時55分には到着。日航空、6時20分発の関西空港行きにしっかり間に合って搭乗、窓の外を眺めておれば、長い長い道のりを進んで…おお、日はD滑走路からですか!ワクテカ。離陸した直後に、ゲートブリッジの向こうにスカイツリーが見えて、東京新ドボク名所を合わせて堪能することができました。 JALの機内誌に、竹中直人が高知を旅す

    泉州で、古墳を - 日毎に敵と懶惰に戦う
  • asahi.com(朝日新聞社):大阪・難波宮跡に新たな建物基壇跡 格式高い役所か - 文化

    後期難波宮に伴う瓦葺きの建物があったとみられる基壇跡(点線部分)=大阪市中央区(市教委提供)  国指定史跡の難波宮跡(大阪市中央区法円坂)を発掘調査している大阪教育委員会と市文化財協会などは5日、後期難波宮(726〜784年ごろ)の政治の中心だった「朝堂院」跡の東側で、建物土台の基壇跡が見つかった、と発表した。市教委は、孝謙天皇らが行幸したときに建てられたとされる「東南新宮」など特別な施設の一部か、役所群の中でも重要な役所だった可能性があるとしている。  基壇跡は東西約12メートル、南北は5メートル以上で、高さは最大25センチ。周辺では後期難波宮独特の文様の瓦「重圏文軒丸瓦(じゅうけんもんのきまるがわら)」や、基壇を覆っていたとみられる凝灰岩の破片も見つかっている。市教委では、穴に柱を立てた板ぶきの造りではなく、規模は小さいながら朝堂院同様、基壇上に瓦ぶきで建てられた格式の高い建物だった

  • 秋葉原になれなかった大阪・日本橋という街 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月

    この前、朝日新聞の社会面に小さく載っていた「「アキバ系」店舗が急増 日橋」という記事のネタ元を捜してみた。日橋(にっぽんばし)とは大阪最大の電気屋街。ここで地域情報Webサイト「NIPPON-BASHI SHOP HEADLINE」を運営している会社の「日橋地域の店舗出店動向調査」がそれ。2005年からの3年間、日橋界隈での出店動向の報告書である。これがPDFファイルで、これがプレスリリース。 それによると、 2005年からの3年間、毎年60店前後の新規出店。ただ毎年50店前後の退店もあり、3年間で純増は30店となる。物販から飲店・サービス店への移行 店舗の集積が、いわゆる日橋(もしくは恵美須町駅周辺)から難波駅付近へと重心を移している 2005年に進出した店の3分の1が閉店。堺筋沿いの路面店に限れば新規出店の半数以上が府下他地域でも店舗展開済の大手チェーン店 店舗面積が1,0

    秋葉原になれなかった大阪・日本橋という街 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月
  • 1