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ブックマーク / blog.tinect.jp (147)

  • おれが抑うつ状態になったときのことを書き留めておきたい。

    うつ)」という言葉はわりと広い概念ではないかと思う。 もちろん、「うつ」=「うつ病」=「大うつ病性障害」と考える人もいるだろう。 とはいえ、信頼にたるかどうかわからないWikipediaでも「抑うつ」として項目があるように、「抑うつ状態」というものがある。 その根っこは、いわゆる「うつ病」である「大うつ病性障害」であることが多いのかも知れない。 しかし、実態、その原因は多岐にわたるといっていい。 たとえば、大切な人を喪ったとか、職を失ったとか、そういう人生上のイベントで気が塞ぐ場合もあるだろう。 それで抑うつ状態になることもある。 それは人間の心理として当たり前のことではあるので、病気としてみなされない場合もある。 おれはべつに「だ死のう」という軽い使い方をしてもいいと思う。 ちょっとした軽く不愉快な出来事でも、人はになると思う。 とはいえ、おれは双極性障害と医師にも行政にも認め

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    toya
    toya 2021/11/27
  • 「不機嫌で人を支配しようとする人」の気持ちがわかった話

    とある経験を経て、「不機嫌で人を支配しようとする人」の気持ちとその発生機序がだいぶ分かった気がしたので、ちょっとそれについて書かせてください。 まず前提として、しんざき家には、「察してもらうな、察するな」「どんなことでも言葉にしよう」という家訓があります。 して欲しいこと。して欲しくないこと。嬉しいこと。嫌だと思ったこと。賛成、反対、不満、満足、喜怒哀楽。 どんなことであれ、とにかく言葉にしましょう、と。全部言語化して、遠慮なく相手に伝えましょう、と。 パパもママもエスパーではないのだから、君が考えることを何も言われずに察することは出来ません、と。 君にエスパーであることを期待もしませんから、パパもママも言いたいことは全部口にします、と。 そういうコンセプトです。 ことあるごとに「とにかく言葉に」と言ってます。これについてはかなり徹底していると思います。 「言わないで気付くのを待つ」という

    「不機嫌で人を支配しようとする人」の気持ちがわかった話
  • 深まる秋に、50代の身の振りようを思う

    ひと雨降るごと、秋が深まってゆく。 道端で、咲き誇る彼岸花や蝉の死骸を見るたび、私は少し憂になる。 つまり夏が終わって冬の足音が聞こえ始めたのだ。 コオロギやスズムシは今が最盛期だが、やがてそれらも絶えてゆくだろう。 死の横溢する冬の到来はどうにも避けられない。 人気ビジュアルノベルゲーム『月姫』には、”直死の魔眼“というものが登場する。 主人公・遠野志貴の目には万物の死、それも概念としての死が見えてしまうという。 その目を駆使して遠野志貴は危機を切り抜けてゆくのだが、そんなものが四六時中見えてしまっては正気ではいられない。 『月姫』は、そのさまもよく描いていた。 しかし平凡な私たちでも、秋から冬にはさまざまな死が見える。 芽吹きの季節や盛期があるだけでなく、秋の衰えと冬の死がやってくることを、四季は私たちに示唆してやまない。 思秋期、という言葉がその最たるものだが、洋の東西を問わず、人

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    toya
    toya 2021/10/13
  • 我が家では「コロナがおさまったらやりたいことリスト」を作るようになった。

    コロナ禍で子どもの「あれがしたい」「これがしたい」に「その内ね」と言わざるを得ないケースが激増した現状、子どもの願望、欲望をどうやってメンテナンスし続けるか、ということを、ここしばらく考え続けています。 この記事で書きたいことは、大体以下のような内容になります。 ・「経験」「体験」の質と量は、人生における非常に重要な武器になる ・その為には、「願望」「欲望」を適度にもち、それを表現出来る、ということがとても重要 ・けれど、願望-経験サイクルは「望んでもかなわない」ということが続くと機能不全に陥りがち ・コロナ禍で特にそれが進行しているような気がする ・「願望-経験」サイクルを止めない為に、色んな工夫をすることが重要かも知れないですよね 以上です。よろしくお願いします。 さて、書きたいことは最初に全部書いてしまったので、あとはざっくばらんにいきましょう。 *** 一時期、子どもたちが「どこど

    我が家では「コロナがおさまったらやりたいことリスト」を作るようになった。
  • それにしても、親ガチャというスラングが響く社会の、なんと暗いことだろう!

    最近、親ガチャ、というネットスラング(俗語)を見かけることが増えた。 親ガチャというスラングは、ソーシャルゲームなどのガチャにかこつけて、望ましくない親元に生まれたことを呪ったり嘆息したりするために使われる。 私の観測範囲では、親ガチャというスラングは前から使われていたし、実際、googleトレンドでも2010年代から地味に使われていた様子がうかがえる。 しかしこのグラフが示しているように、親ガチャはまだメジャーではなく、最近になってこれを知った人も多い様子だった。 NEWS小山「嫌な言葉ですね」 若者層で流行の“親ガチャ”に不快感、「親はショック」と苦言 9月9日放送の『バラいろダンディ』(TOKYO MX)で、「親ガチャ」の話題となった。これは、親は自分で選べず、どういう家庭に生まれるかは運次第であり、ソーシャルゲームの「ガチャ」のようなものであるといった意味。若者層では、現状を変えよ

    それにしても、親ガチャというスラングが響く社会の、なんと暗いことだろう!
    toya
    toya 2021/09/27
  • ジオシティーズの閉鎖で消えた「わからん科目攻略法」が、埋もれるのがもったいないので、ここで紹介する。

    かつて「​ワンランク上の勉強法」というサイトで”わからん科目攻略法”というものが紹介されていた。 これは非常に有用な技術なのだが、現在はジオシティーズの閉鎖に伴い閲覧不可能である。。 このまま埋もれてしまうにはあまりにも勿体ないので簡単に紹介し、今日はその技術を土台として自分の頭でモノを考えるという事がどういう事なのかを書いていこうかと思う。 最近全然頭使ってないなという人には参考になるかもしれない。 難しい概念にぶち当たったら、理解しようと思わないで10回読め あなたが物理の勉強を始めたと仮定しよう。 物理は難しい。 分野によっては一読しただけでは何が書いてあるのかサッパリ理解できない事も多い。 高校生の頃に早々に脱落してしまった人も多いだろう。 この難しい科目を”わからん科目攻略法”は「理解しようと思わずに毎日ただ目を通して10回ぐらい読め。そんで11回目にわかろうと思って読め」と説く

    ジオシティーズの閉鎖で消えた「わからん科目攻略法」が、埋もれるのがもったいないので、ここで紹介する。
  • コンサルタントやってた時、重要な対人技術として『「ちがう」と言うな』と習った。

    コンサルタントのころ。対人技術を教わった。 様々なものがあったが、その中でも群を抜いて重要な技術の一つは 「会話の時、人の話を否定しない」こと。 具体的には、人に『ちがう』と言ってはいけなかった。 * 若干うろ覚えだが、客先で、こんなことがあった。 プロジェクトで、部門別の目標を立てて、発表してもらった時のことだ。 私:「では、営業部2課の目標の発表をお願いします。」 営業2課:「既存顧客を中心に、前年比10%の売上アップです。」 私はここで、おかしいな、と思った。 先日の経営会議で 「営業2課は、新規開拓を中心にした目標にしてほしい」 との指示があったからだ。 それがなぜか既存顧客中心にすり替わっている。 訂正させなければならない。 が、「その目標、間違ってませんでしょうか?」と否定するのはご法度だ。 私は思案した。 どうすれば担当者を否定せずに済むのだろう。 そこで確認した。 私:「確

    コンサルタントやってた時、重要な対人技術として『「ちがう」と言うな』と習った。
  • 仕事の礎は、何よりまず「国語力」という話。

    つい先日、自分の書いた原稿に、出版社の校正の方から手を入れていただいたとき「やっぱりプロはすごい」と感じた。 当たり前なのだが、改めて自分がいかに適当に言葉を使っているかが、よくわかる。 定義忘れ、表記ゆれ、時制の矛盾、前後の文脈とのい違い、変換ミス……改めて自分の国語力の無さに呆れたわけだが、これはこれで一つの訓練だと思い、一つ一つの指摘をボチボチつぶしていった。 そして、作業をしながら、私は一人のコンサルタントをふと思い出した。 「できない」→「できる」 正直なところ、彼はお世辞にも「できる人」ではなかった。 愛嬌はあったが、仕事のできは、良く言っても十人並み。 同じ時期に入社した、目から鼻に抜ける感じの同僚と比べると、明らかに物足りなさがあった。 例えば、私が在籍していた会社では、コンサルタントに日報を書かせていた。 だが彼の日報は、よく言っても学生のレポート並みで、箇条書きであれ

    仕事の礎は、何よりまず「国語力」という話。
  • 真の金持ちは「中小企業のオーナー」であると知ったときの話。

    以前、コンサルティング会社に勤めていたとき、何が一番良かったのかといえば、数多くの企業を見ることができた点だ。 様々な会社を横並びで見れば、何が良くて何が悪いのか、理解しやすい。 ベンチャー、中小企業、大企業……すべてが比較対象だった。 中でも面白かったのは、ベンチャー・中小企業のコンサルティングだった。 その理由としては主に以下の3点だ。 ・経営者と直接話ができる ・意思決定が速い ・施策の結果が見えやすい 特に、「経営者と直接話ができること」はまさにこの仕事の醍醐味で、様々な知見を得ることができた。 真の金持ちとは、中小企業のオーナー その知見の一つが、「お金」に関するものだ。 変な話だが、例えば世間知らずだった私が、最初に衝撃を受けたのが、オーナー経営者の報酬だ。 オーナー経営者は、ほとんどの上場企業の経営者よりも、はるかに良い報酬を得ていることに、私は驚いた。 例えば、以下の記事を

    真の金持ちは「中小企業のオーナー」であると知ったときの話。
  • 子育てのため、精神科医の仕事を辞めて「専業主夫」になった時の話。

    今までネットに書いたことがありませんでしたが、ある時期、私は仕事を辞めて子育てに専念していました。 そうなる前、私は私なりに子育てについてだいたいの算段をつけていたのですが、ハプニングがいくつも重なってしまいまして。 このままでは一家崩壊になってしまいそうだったので自分が子育ての主役を引き受けようと決意しました。 常勤の精神科医が仕事を抜けると迷惑になるとも思いましたが、状況が状況だけに職場は承諾してくださり、なんとか年度末まで勤めた後、私は子育て専業主夫になりました。 今日はその頃の話をします。 事前の計画 どうせ仕事をやめて子育て専業主夫を始めるなら、これを危機だと思うよりチャンスだと思わなければもったいない。 そのために何が必要なのか? 家族と相談しながらいろいろ考えました。 まずは軍資金。 先立つものとして1000万円を用意しました。 ミリタリー界隈では「戦争は補給で決まる」という

    子育てのため、精神科医の仕事を辞めて「専業主夫」になった時の話。
  • 挨拶するたびに『HP』が減っていく人の話

    私はブログや書籍でたびたび「挨拶はとても大切」「社会適応の基礎だから、挨拶はできるようにしましょう」と述べてきた。 挨拶は、最低限の言葉でお互いの心証を保ち、不信が発生する確率を減らせる便利なシグナルだ。 だから挨拶は社会に適応するために最初に覚えることとなっているし、どこの国にも挨拶がある。 そういう便利なシグナルをみんなが用いているものだから、挨拶ができない人は挨拶ができる人に比べて心証を保ちにくく、不信感を持たれやすい。 挨拶ができない人は、ただそれだけで社会適応のハンディを抱えているにも等しい。 挨拶するたびに”HPが減少する”人がいる だけど、挨拶って当に誰にでもできるものだったのだろうか? どこの国にも挨拶があり、誰もが当然のように用いているからといって、それがノーコストとは限らない。 便利なシグナルだからといって簡単なシグナルだとも限らない。 挨拶が当たり前になっているから

    挨拶するたびに『HP』が減っていく人の話
  • 「やる気」が、カンタンに操作可能だと知った瞬間、人生はイージーモード。

    「やる気」が湧かない 学生のとき、何もかも面倒になるときが、しばしばあった。 勉強を始めれば眠たくなる。 外にいきたいのに、腰が重く、結局家で過ごしてしまう。 新しいことを始めようと決意したのに、手つかずのまま。 そんなことが続くと、すべてが後手にまわってしまい、当に大したことができなかった。 そして、その原因を「やる気」が湧かないせいだ、と思っていた。 「やる気」さえあれば、外に出て見分を広げることもできただろう。 交友関係をもっと広げることもできただろう。 あるいは、ビジネスや研究活動に打ち込むこともできたかもしれない。 だが現実的には、日々を漫然とルーティンワークの中で過ごし、大して面白くもないゲームに興じた。 そして、就職しても、根は変わらなかった。 だが、学校と違うことが一つだけあった。 偶然にも採用してもらえた会社は非常に激務で、常に忙しい環境だったのだ。 毎日、こなしきれ

    「やる気」が、カンタンに操作可能だと知った瞬間、人生はイージーモード。
    toya
    toya 2021/03/02
  • たった5分の診療であれ「なんでも話せる」人を得ることは大きい

    おれの宿痾 おれは精神の病を患っている。 精神障害者として手帳も持っている。 べつに隠す必要もないし、隠してきたわけでもない。 行政的な病名は「双極性感情障害」ということになる。わかりやすくいえば「躁病」だ。 躁とを繰り返す。これには二種類あって、おれは躁との落差がそれほど激しくないほうのII型である。 いきなり全財産使ってしまうようなI型とは違い、あまり躁状態(軽躁状態)を感じることもなく、だいたい毎日々と生きている。 と、おれがこのような自身の病気を認識するには、ちゃんとした医師にかからなければならない。 自己診断では話にならない。 以下、いくらか病気や医療の話題をするが、診療を受けている人も、そうでない人も、なによりまず医師の診断、判断を尊重するようにお願いしたい。 おれの初診 では、おれが最初に精神科にかかったときはどうだったのか。 思い出してみる。 そのころおれは、ダイエ

    たった5分の診療であれ「なんでも話せる」人を得ることは大きい
  • 努力できることは、才能なのだろうか。

    マシュマロ・テストの示唆 「マシュマロ・テスト」という極めて有名な心理テストがある。 このテストは1960年にコロンビア大学のウォルター・ミシェルという心理学者が考案したもので、当初、「何が欲求充足の先延ばしを可能にするのか」を調べるものとして、このテストは作られた。 マシュマロ・テストというのは手短に言えば、幼い子どもに、人にとってはとても魅力的な報酬一つ(たとえば、マシュマロ一個)をただちにもらうか、一人きりで最長二〇分待って、より多くの報酬(たとえば、マシュマロ二個)をもらうかという選択肢を与え、どうするか見てみるという、じつに単純なテストだ ところがその18年後。 ウォルター・ミシェルはその後の子供たちの成長の様子を見て、この研究結果を、「子供の将来予測に使えるのでは」と考え、追跡調査を行った。 1968年から1974年までに550人以上に対して行われた参加者(子供たち)のその後

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    toya 2021/02/09
  • 大学の恩師に教わった、「なにがわからないか、わからない」ときの質問のしかた。

    「恩師」の意味を「人生全体に渡って、大きく影響を及ぼす程の薫陶を受けた人」と定義した場合、私には恩師と言って良さそうな人が二人います。 一人は、小学校の3年から4年の時に担任をもってもらったH先生。 もう一人は大学の専門課程、国語学研究室でお世話になったS先生。 H先生については、人生の選択に関わる重要な示唆を色々と頂いたなーと思っていて、例えば昔この記事で書いたんですが、 忍者ハットリくんが、私の人生を大きく変えた、という話。 「ファミコンの忍者ハットリくんに巻物が出てきてかっこいいから、物の巻物にも触ってみたい」 と素っ頓狂なことを言い出した私に、 「巻物は大学行かないと触れないよ」と答えて、さり気なく「大学=巻物」という刷り込みを行ったのがH先生です。 多分私、この教えがなかったら大学行ってませんでした。 上記の記事でも書いた通り、私は大学での専攻として、「巻物に触りたいから」とい

    大学の恩師に教わった、「なにがわからないか、わからない」ときの質問のしかた。
  • Amazonで「鬼滅の刃」のコミックを買ってしまったのに、どうしても読み始める気になれない。

    鬼滅の刃」が絶好調だ。 あえて説明する必要もないが、劇場版の興行収入がえらいことになっていたり、単行の売り上げがドえらいことになっていたり、最終巻を求めて長蛇の列ができたり、めちゃくちゃ転売されたり、わけわからんコラボグッズが出たり、とんでもない状況だ。 見ると、町ゆく子どもたちのマスクまでどこかで見たような柄のものになっている。 これはもう社会現象と言っても過言ではないのだろう。 この「鬼滅の刃」はすごい。 たぶんどえらい作品だ。 そんなもの詳しくなくても分かる。 ただ、「たぶん」と表現しているのは、実はまだ観たことがないからだ。 そう、僕はこの作品に全く触れていないのだ。 原作も見てなければアニメも見ていない。もちろん劇場版も見るつもりはない。 やはり、たとえ末端といえども文章を書いたりして表現活動をしている者として、こういった作品は必ず抑えておく必要がある。 社会現象は多くの人に

    Amazonで「鬼滅の刃」のコミックを買ってしまったのに、どうしても読み始める気になれない。
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    toya 2020/12/21
    「のめりこむことに対して待ち受ける結末は幸福でないことがままある。 それらを知った時、自分を守ろうとするのではないだろうか」
  • 日本三大ドヤ街の一つに住む俺が「居場所のない人間はどうしたらいいのか」について考えた。

    社会というものはいくらか前よりずっと健康的で清潔になった。 道徳的で秩序ある社会になったといっていい。 でも、そこについていけない人がいるんじゃないのか。 かつてのある意味ゆるい世界ではいるべき場所があった人間の居場所がなくなってしまっているんじゃないのか。 この社会はこのままでいいのか? このは、そういうことが言いたいのだ。 ……って、簡単にまとめてしまっていいのだろうか。 ある意味で、いいのだとおれは勝手に思っている。 なにせタイトルがタイトルだ。そういう意図あってのことと思う。 著者はおいしいワインを片手に、インターネットで若い人の自意識の発現を貪りいながら(そうだったっけ?)これを書いたのだと思う。 一読者、おれの居場所 さて、おれはこのをどう読んだのか。 それは、おれの人生の今の位置を顧みなくてはならない。 そうだおれが暮らしているのは、ちょっと不健康で不潔で、非道徳的

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    toya 2020/12/02
  • ホワイトなブラック企業で働く、「意識の低い会社員」の話。

    とある零細企業の歴史 おれが勤めているのは零細企業だ。具体的に言えば、社員数10人以下の会社だ。 全員が正社員だ。人手は足りていない。派遣労働者やアルバイトを雇う余裕すら無い。もちろん、新卒であれ、中途であれ、新しい社員を入れる余裕もない。 たまに就活生などから問い合わせの電話もあるが、受け入れる余裕はない。この分野の人にはおもしろそうな仕事をしていると見えるようではある。 かつてはもう少し人がいた。バブルのころだ。積極的に人を採用していたらしい。 ところが、バブル崩壊。銀行の貸し剥がしで、会社に金がなくなった。去る人は去ったし、雇いつづけることがむずかしく、解雇された人もいた。今は、最低限回せる人数だ。 というわけで、おれの勤める会社は存続ギリギリでやっている。おれはそんな会社になぜか転がり込んだ。 現状では、代表や社員の高齢化によって、もう数年でなくなってしまうのは確定している。 営業

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    toya 2020/10/27
  • ブログ15年選手の、ネットで生き残る技術。

    私はブログを書くのが好きで、好きが嵩じても書くようになったのですが、つい先日、私のブログ『シロクマの屑籠』が15周年を迎えました。 15年前の2005年にはYouTubeもニコニコ動画もなく、ツイッターやインスタグラムもありませんでした。 はてなダイアリー(現はてなブログ)とはてなブックマーク、2ちゃんねる周辺で生存競争を繰り広げていたのが私のルーツです。 時代は変わって2020年。 ブログを書いている人は昔ほど多くありません。 かわりに動画配信やインスタグラム、ツイッターで頑張る人が増えました。 飲店や企業もアカウントを作ってセルフブランディングするようになりましたね。 ネット上にアウトプットできる情報メディアが増え、アウトプットする人も増えましたが、うまいこと・長くアカウントを運営できる人はそう多くありません。 企業アカウントですら、ときには継続不能に陥ってしまうことがあります。

    ブログ15年選手の、ネットで生き残る技術。
    toya
    toya 2020/10/20
  • 人間関係をギロチンのように断ってきた人間の末路

    おれの今までの人生における人間関係について書く。 おれがだれだろうとあなたには関係ないだろうし、まったく興味がないかもしれない。 ある人には全く理解できないかもしれないが、共感を覚える人もいくらかいるかもしれない。 もし子供や人の親であれば、反面教師として役に立つかもしれない。役に立たないかもしれない。 はじめての他者 はじめて他者、家族以外の他者を意識したときのことを覚えているだろうか。 おれは覚えている。 祖母に連れられて近くの公園に遊びに行ったときのことだ。幼稚園に入る前だと思う。 そこに二人の子供がいた。双子だった。 二人とも自分より一つ下だった。……いや、そりゃ、二人ともだろう。 しかし、双子はおれよりも背が高かった。 かけっこをしても追いつけなかった。 鬼ごっこをしてもすぐにおれがつかまった。 しまいには、手加減してくれるようになった。 おれは早生まれだった。 そして、今、結果

    人間関係をギロチンのように断ってきた人間の末路
    toya
    toya 2020/10/18