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ブックマーク / tadkawakita.sakura.ne.jp (3)

  • 第931話【横浜の風景】伊勢佐木から山手 – YOKOHAMA xy通信

    この画像は、伊勢佐木から山手方向を撮影したものです。 撮影時期を推理してみます。 風景の左に横浜市役所が見えます。 歴代の歴史から画像にある市役所は 二代目市庁舎(1911年~1923年)と思われます。 (三つの橋) 市役所の横を流れる派大岡川に架かる トラス橋の「港橋」と アーチ橋の「花園橋」、 桁(ガーター)橋の「吉浜橋」が見えます。 代表的橋の構造が三種類見える風景も中々ありませんね。 ちょっと見えにくいですが。 山手の建造物群はまだ腰をいれて時代別の整理をしていません。いずれやらなければならない課題の一つです。 もう一つ大きなヒントが写っています。 画像の下ギリギリに有隣堂のロゴ看板が見えます。 伊勢佐木にある老舗書店有隣堂店は「第四有隣堂」として1909年(明治42年)12月13日に創業します。 No.348 12月13日(木)いっさつのがあれば No.348 12月13日

    toya
    toya 2017/11/28
  • 【横浜の視点】ダブルリバー – YOKOHAMA xy通信

    横浜の街は、大岡川河口域に誕生し、帷子川河口域とのコラボで港都を形成した。全国の大都市でこれほど明確にダブルリバーが街を包み込むように発展した例を見ない。 江戸時代から風光明媚な洲干弁天に詣でたこの街は富士山の噴火により降灰したダブルリバーが次第に浅くなり、大岡川河口域では吉田勘兵衛が新田開発のために干拓を行うことで基盤が出来上がる。 横浜は集落の数こそ少なかったが<寒村>では無かった。静かな村で弁天と姥ヶ岩と言った景勝地だった。昭和の市域拡大まで<横浜>はこの二つの川と河口域を中心に発展したのだ。現在の市域となったのが1936年(昭和十六年)、今年でちょうど80年を迎えた。 横浜ダブルリバーについて考えてみたい。 (大災害) 前々から感じていたが、この街がダブルリバーの都市であることを再認識した。帷子川下流域は支流の今井川が合流後すぐに分岐する。 元々はこのあたりが河口域だった。 大岡川

    toya
    toya 2016/04/28
  • 【横浜の橋】№1 絵になった跨線橋 – YOKOHAMA xy通信

    道路をまたぐ橋を「跨道橋(こどうきょう)」、線路を跨ぐ橋を「跨線橋(こせんきょう)」、駅舎やホーム同士を連絡するために架けられるものを「跨線人道橋(こせんじんどうきょう)」と呼ぶ。この中で「跨線橋」が描かれている有名な絵が松竣介の描いた「Y市の橋」である。この作品を世田谷美術館で観て以来この作品群が気になっている。 「Y市の橋」の主題となった橋は、横浜市西区と神奈川区の境を流れる「新田間川」支流に架かっている<月見橋>である。「跨線橋」はその背景として描かれているに“すぎない”。 “すぎない”のだが、私はこの絵を見るたびにここに描かれている<跨線橋>が気になって仕方ない。「Y市の橋」の橋は「月見橋」とされているが跨線橋と月見橋が一体に見えるからだ。しかもかなりデフォルメされて描かれている。 事実、多くの専門家が指摘しているように松はこの横浜市の「月見橋」そしてその奥に架かる跨線橋が大変

    【横浜の橋】№1 絵になった跨線橋 – YOKOHAMA xy通信
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    toya 2016/01/11
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