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ブックマーク / steam.hatenadiary.com (13)

  • 沈んでゆくTwitterという島で - 或るロリータ

    Twitterがなくなる、という話題が飛び交っている。でも心のどこかで、きっとなくなることはないだろう、と思っている私がいる。だってこんなに長い間、ずっと当たり前にあり続けてきたんだから。そうしてこれからも、ずっと。そう信じていた。 若者の主流は今やTwitterよりインスタとか、TikTokとか、あるいは別の何かとか、そんな話を耳にすることもあるけれど、私にとってTwitterは、現れては消えていった有象無象のアプリやサービスとは違う、日常の一部、いや、現実から少しずれたところにあるもう一つの世界みたいなものだった。 逆にいえば、Twitterが特別楽しいものという感覚もなかったし、積極的に利用していたわけでもない。Twitterより楽しい娯楽は他にいくらでもあるし、Twitterより大事なコミュニティが大半だ。「今からTwitter見よう!」とか「今日はTwitterの人と交流しよう!

    沈んでゆくTwitterという島で - 或るロリータ
    toya
    toya 2023/07/03
  • あの頃の未来を過ぎて、どんな風に生きてゆくか - 或るロリータ

    夏が好きだと叫びつづけてきた私だけれど、冬にしか思い出せない記憶もある。朝、外に出た瞬間の澄んだ空気に目が醒める清しさや、短い真昼の陽だまりにまどろむ心地よさ、あるいは肌寒くなってきた夕べに南の窓を閉める直前、ふと漂ってくる夜の匂いに紛れこんだ郷愁。この窓から見える景色が、故郷の姿に少しだけ似ているからだろうか、私はそこで窓を閉める手を止めて、手足が冷え切ってしまうまでぼんやり遠くを眺めてしまうことがある。故郷と違うのは、夕暮れが闇に溶けかかる空のふちに、山の影が存在しないことだ。どこまでも続く街並みは、地平線と呼ぶには少し歪で、やけっぱちに走り出しても、抱き止めてくれる山の背中が見えないのは、どうにも心細く思えてしまう。 作業着から伸びたかじかむ手でハンドルを握り、さびれた住宅団地を飛ばしたあの頃。安月給の身に、愉しみは毎晩の発泡酒だけだった。テレビの笑い声に包まれながら、日焼けした肌を

    あの頃の未来を過ぎて、どんな風に生きてゆくか - 或るロリータ
    toya
    toya 2023/02/22
  • そうして私は書けなくなった - 或るロリータ

    文章を書くのが好きだった。それに気がついたのは中学二年生の頃。それまで私は周りのクラスメイトと比べても文章が特別に上手いわけではなかったし、私より整理された思考を持ち、私より美しい表現ができる人は幾らでもいた。決して「文章が上手い人」と尋ねられたときに、クラスで真っ先に名前が挙がるような対象ではなかったのだ。 中学二年生になるまで、私は清く、健やかに生きることに何の疑いも持たなかった。みんなと同じように学校の勉強をこなし、を読み、友人と遊び、恋もする。およそ少年として与えられる課題を日々まっとうした。努力さえすれば叶わないことなどないと思っていたし、事実、目の前に現れる課題のほとんどは、努力によって結実する類いのものであった。 ところが少年の私は気づいてしまう。このまま当たり前に生きていった先に、一体何があるのだろうか、と。明確な夢も、秀でた才能も見受けられなかった私に、親は決まり文句の

    そうして私は書けなくなった - 或るロリータ
    toya
    toya 2020/01/03
  • 初めての転職が、人生の大きな一歩になった - 或るロリータ

    私は人生で三度、転職を経験した。 環境を変えるのは、勇気と体力がいることだ。特に転職となると、会社によって規則や雰囲気はバラバラだし、正解は決してひとつではない。とりあえず一定期間を過ごせば自然に卒業できる義務教育とは違った、自発的なエネルギーが必要になる。 もちろん、進学先を選ぶ段階で、大きな決断をした人もいるだろう。ただ、私は就職するまでほとんど自ら決断したことがない人間だった。決断を先延ばしにし続けた結果、失恋をしたし、興味のない分野の学校へ入ったし、やりたくない仕事に就いた。だから、初めての転職を超える決断は未だになかったと思う。 一言で表すと「永遠」。それが初めての仕事に抱いた印象だった。 簡単にいえばインフラ系の仕事で、「潰れない」「安定している」というイメージから、人気の高い業種ではある。バリバリのベンチャー企業なんてどこにもない田舎町では、この選択は決して失敗ではなかっただ

    初めての転職が、人生の大きな一歩になった - 或るロリータ
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    toya 2019/06/04
  • もう一度ふるさとに帰れる日のために - 或るロリータ

    昨年の暮れ、私はある分岐点に立っていた。人生の明暗を分ける決断をしたのだ。仔細に書くことは憚られるが、私の生活は少しだけ変わることとなった。仕事の幅がより広がり、自由になった反面、これまでよりはるかに重い責任を背負うこととなったのだ。今はまだ、旅の途中で、苦しみの中をもがいているような毎日だが、もちろん未来を見据えての英断だったと思っている。あの安寧な日々の先には、きっと私の求める未来は待っていなかっただろうから。 日増しに強くなる「東京に出たい」という想いに駆られて故郷を飛び出したのは、もう何年も前のこと。あの頃は故郷での暮らしこそが平凡でつまらないものだと信じて疑わなかったし、ふり返っても、あの頃の私にとってそれが真実だったことは覆すつもりもない。反対に、東京で始まった暮らしがどれも新鮮で刺激に満ちていたこと、故郷に帰るたびに時間が止まった国に来たような錯覚を覚えていたこともまた当だ

    もう一度ふるさとに帰れる日のために - 或るロリータ
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    toya 2019/03/03
  • 限りない自由なんて、ただ淋しいもの - 或るロリータ

    一人暮らしをしてみたいと、誰もが一度は思ったことがあるはずだ。特に思春期の時分には、親の愛がどこかうとましく感じられて、自分にはもうそんなものは必要ない、それより都会のアパートで一人暮らしをして、好きなものに囲まれた部屋で思うままに時間を過ごしたい、と、大人の生活に幻想を抱いたりする。 私も例に漏れずそんな夢を見ながら学生時代を過ごしたが、将来というものについて割とまともに考え始める頃になると、実家住まいのまま生まれ育った故郷に居続けるのがきわめて賢明な判断に思え、淡い希望は途端に失った。就職してわずかばかりの給料が入るようになると、六畳の自室に家具や家電のもろもろを押しこんで、実家に居ながらして小さな一人暮らしの部屋を完成させた。狭い部屋に不釣り合いな大型テレビ映画を見ながら酒を飲み、夕涼みに窓を開ければ、ちょうど西陽に染め上げられた山並みがなまめかしくシルエットに変わってゆく。そんな

    限りない自由なんて、ただ淋しいもの - 或るロリータ
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    toya 2018/03/22
  • 淋しさがつのりすぎて「孤独」をテーマにした本を作ってしまった - 或るロリータ

    青春時代を通して誰にも負けない唯一のものがあるとすれば、私にとってそれはどこまでも孤独であったということだけだ。恋も、遊びも、勉学も、十代の私には手に負えないものだった。私は誰からも期待されず、また、誰かに期待することもやめた。だから私は、すべての答えを自分の中にだけ求めたのだ。 話す人のいない教室の中で手元の文庫に目を落とし、夕暮れを待つ日々。淋しい田舎道を自転車で帰りながら、どこかへ行きたいと願う。それがどこなのかは、わからなかったけれど。 大人になっても、私と腕組んで歩くのは、いつだって孤独という恋人だった。孤独は一種の癒しでもあった。楽しいはずはないけれど、そのかわり、悪いことも起こりえない。足元にただよう霧のように、どんなときでも安心して私を憂にさせてくれる。 だから私は夜がくるたび孤独を見つめ、孤独を愛した。 酒を飲み、淋しくなり、たちのぼる孤独の影をつかまえて解読する。孤

    淋しさがつのりすぎて「孤独」をテーマにした本を作ってしまった - 或るロリータ
  • 何かをやり残したと感じる夜にブログを書く - 或るロリータ

    私がブログを書きたくなるのは、きまって後ろ向きな理由からである。仕事が上手くいっているとき、趣味を謳歌するのに忙しいとき、旧友たちと飲み明かしたとき……そんな日の私にはブログを書こうなんて発想はない。そもそもこのブログだって何の理念も目的もなく始めたものだし、私の綴る文章のどれにも壮大なテーマなど存在しない。私がブログを書きたくなるのは、酩酊時の手癖によるものか、あるいは何も成し得なかったわびしい一日の終わりに、焦って何か少しでも形になるものを残そうともがいた無残な爪痕なのである。 それはツイッターにも言えることである。私はここのところ滅多にツイッターを更新しない。140文字をつぶやく体力すらなくなってしまったからである。数年前までの私は、持て余した時間とくすぶった魂をひたすらダークなポエムに費やし、誰に発見されるでもなく夜毎タイムラインに140文字ぴったりのポエムを恥ずかしげもなく投下し

    何かをやり残したと感じる夜にブログを書く - 或るロリータ
    toya
    toya 2017/11/09
  • 女性が髪を切るということ - 或るロリータ

    女性が髪を切るということがどういうことかは、男にはよくわからない。実は深い意味なんてないと言われているけれど、その一方で、やっぱり何かしらの意味があるのではないかとも疑ってしまう。結局私たちはその真相を知ることなどできないのだ。あの日女子生徒たちだけを残して体育館を後にした気だるい午後の校舎も、なにも教えてはくれなかったし、どこか悶々とした、靄のようなものを心のうちに秘めたまま、やがてそれをかき消すためにまたはしゃぎ回って。だから私たちにとって女心というものは、いつまでも神聖で、ミステリーで、漢検一級みたいに難解なものなのだ。 私は髪の毛に対して情など湧いたためしはない。ただ決まった周期で、伸びたら切ってを繰り返しているだけだ。ずっと適度な長さを維持して伸びも減りもしないでいてくれたらどんなに楽だろうと思うくらいだ。女性は違うのだろうか。女性は気分転換に美容院に行ったりする。男から見れば大

    女性が髪を切るということ - 或るロリータ
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    toya 2017/03/17
  • 人に何かを伝えるということの難しさ - 或るロリータ

    人は、自分のためだけに発せられた言葉の真理にはなかなか気づかないものである。学問にしろ恋愛にしろ、自分のためだけに用意された言葉、作られた言葉は、案外心に響かない。人は、日常の中からしか学ぶことのできない生き物なのだ。 だから当に伝えたいことを相手に伝えるということはとても難しい。 たとえば政治に熱心な若者がいたとして、周りの友達や恋人とも国の将来への不安を語り合い、希望を導き出すための議論をしたいとする。けれど、仲間たちは政治になど無関心。そんなとき、どんなにその若者がひとりで熱く語り始めたとしても、その行為は場を白けさせる効果しか生まないだろう。考えてみればその若者だって、始め政治に興味を持ったとき、きっと誰かに強制されたわけではないだろう。偶然演説を聞いたのかもしれないし、政治家の著書を目にしたのかもしれないし、ネットで特集が組まれていたのかもしれない。きっかけは何であれ、「この人

    人に何かを伝えるということの難しさ - 或るロリータ
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    toya 2016/07/18
  • 鎌倉の紫陽花を見に行ったら夏が始まった - 或るロリータ

    仕事を始めてからなにかと忙しいこと続きで、ろくに休めもしない休日が続いているところである。無尽蔵に湧いてくるやりたいことリストに、どうにか優先順位をつけつつ、ふと、念願の鎌倉へ今年も行けていないことに気づいた。毎年毎年、鎌倉の紫陽花に憧れつつ、上京してようやくその夢が叶えられる状況になったというのに、すっかり後回しのまま、六月が終わろうとしていた。 今週を逃したらきっともう行くチャンスはないと思い、無理矢理に予定を空けて私は鎌倉へと乗り込んだ。あいにくの曇天で、青空も見られなかったし、おまけに海は荒れ放題。だけどなんとか紫陽花を見るという目的は達成した。乗ってみたかった江ノ電にも乗れたし、訪れた場所が思いの外田舎で、故郷を少し思い出したりした。 正直、今年が始まってまだ半年しか経っていないという事実に驚きを隠せない。失業、引っ越し、転職とつづき、走り続けた半年間であった。この半年でいくつも

    鎌倉の紫陽花を見に行ったら夏が始まった - 或るロリータ
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    toya 2016/06/26
  • 失業してしまった - 或るロリータ

    田舎から夢を抱いて上京した青年は、見事転職に成功して新たな人生を歩み始める——。 という淡い夢は、上京から僅か二ヶ月足らずで砕け散ることとなった。両親や地元の友達にも、東京ででっかい人間になってくるなどと宣言して、惜しまれつつ振り払うように地元を離れた私だったけれど、上京直前の「成長のためならなんでもやってやる!」なんて威勢の良かった精神は、ひとりの夜が三晩つづくともう消失してしまった。ホームシックなんていう気取った病気がこの世に存在するなんてこれまで信じていなかったけど、三日目にして私は故郷が恋しいあまり涙を流した。そんな自分を笑う余裕もなかった。ただ切実に泣いていたのだ。 私を悩ませるのは郷愁ばかりではなかった。いやむしろ、そうして故郷を想っていた当初は、まだ余裕があったといえる。新たな職場で仕事が始まり、私の日々はますます忙しくなった。そのうちに眠る暇もなくなってしまった。毎朝、体が

    失業してしまった - 或るロリータ
  • 金曜日の夜に流れるあの曲 - 或るロリータ

    行きつけの居酒屋が出来たのは、まだ今年の夏のことだ。 狭くて居心地のよい空間の中で、大好きな日酒のグラスを傾けながら、出し巻き卵をつついていると、一人のときも、二人のときも、それ以上のときも、舌の上に広がる幸福に、みんな喋ることを忘れてしまう。その、幸せな空白に差し込むように、薄くかけられた音楽が耳にさわってくる。 埠頭を渡る風を見たのは いつか二人がただの友達だった日ね(松任谷由実『埠頭を渡る風』) 不倫の曲か、失恋の曲か、わからないけど悲しい。力強く、あっという間に吹き抜けていく風のような曲調に、切迫した男女の関係が歌われている。 ユーミンの曲は、お洒落で、都会的で、BGMのように聞き流すことも出来るけれど、ふと耳を傾ければ歌詞の世界にのめり込むことも出来る。その絶妙なバランスが、彼女のマジックだと思う。 現在、私は別段不倫状態にあるわけでも近く失恋を経験した訳でもない。けれど悲しい

    金曜日の夜に流れるあの曲 - 或るロリータ
    toya
    toya 2015/10/15
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