ブックマーク / call-of-history.com (42)

  • 大英図書館、歴史的地図資料18000点をデジタル化しパブリックドメイン公開 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    大英図書館(British Library)は、十六世紀から1824年の間に作成された4万点におよぶ地図・図像資料コレクションのうち第一弾として18,000点をパブリックドメインとして公開したことを発表した。 “Hemisphaerium Coeli Australe (Boreale), in quo loca Stellarum fixarum secundum Æquatorem, per ascenciones ad annum 1730 completum, sistuntur, a J.G. Doppelmaiėro; operâ J.B. Homanni.” / Maps K.Top.1.62. 今回公開された資料は英国王ジョージ3世(1738-1820)治世下でまとめられた「王の地形学コレクション” The King’s Topographical Collection

    大英図書館、歴史的地図資料18000点をデジタル化しパブリックドメイン公開 | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • 『あだ名で読む中世史―ヨーロッパ王侯貴族の名づけと家門意識をさかのぼる』岡地稔著 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    大王、禿頭王、肥満王、吃音王、短軀王、赤髭王、血斧王、征服王、碩学王、賢明王、敬虔王、獅子王、獅子心王、欠地王、聖王、悪王、残虐王、善良王に端麗王・・・中世ヨーロッパの王侯貴族はなぜ「あだ名」がついているのだろうか。それに、シャルル、ルイ、フィリップ、アンリ、ジャン、カール、ルートヴィヒ、ハインリヒ、オットー、フリードリヒ、ウィリアム、ヘンリ、リチャード、エドワード・・・同じ名前の違う人物が何度も何度も繰り返し出てくるのも不思議ではないだろうか。なぜシャルルの子もシャルルでオットーの子もオットーでエドワードの子もエドワードなのだろうか。 書ではそのような中世ヨーロッパの名前の付け方や「あだ名」の流行から、彼らの家門意識の成立過程を非常に丁寧に史料を読み解き、紐解いていく好著である。 書によれば史料に残る限りで「あだ名」がつけられた王侯貴族はメロヴィング朝末期からカロリング朝期(八世紀)

    『あだ名で読む中世史―ヨーロッパ王侯貴族の名づけと家門意識をさかのぼる』岡地稔著 | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • 古代オリエント世界を席巻した「海の民」とは何か | Call of History ー歴史の呼び声ー

    「海の民(英語” Sea Peoples”,フランス語” Peuples de la mer”」は紀元前十三世紀から十二世紀にかけて、東地中海地域を移動した様々な民族集団の総称。古代の史料には一括して表すような言葉はなく、十九世紀フランスの考古学者・エジプト学者ガストン・マスペロ(1846年生~1916年没,” Gaston Camille Charles Maspero”)が名付けた。 「海の民」の登場主な「海の民」の構成民族はデンイェン、シャルダナ(シェルデン)、ルッカ、メシュウェシュ、テレシュ(トゥルシャ)、エクウェシュ、シェケレシュ、ペレセト(ペリシテ人)、チェケル、ウェシェシュなどである(注1)。シャルダナ人はサルディーニャ人、ルッカ人はリュキア人、シェケレシュ人はシチリア人、テレシュ(トゥルシャ)人をエトルリア人、エクウェシュ人をアカイア人(注2)などとする説が有力だが諸説あり

    古代オリエント世界を席巻した「海の民」とは何か | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • イラク北部でダムの水が引き約3400年前のミタンニ帝国の宮殿遺跡が発見

    2019年6月27日発表のテュービンゲン大学プレスリリースによると、2018年秋、イラク北東部クルディスタン地域にある、ティグリス川東岸のモスル・ダム(1980年建設)の貯水池の水が引いたところ、青銅器時代の宮殿が発見された。考古学的に非常に重要な発見として海外でもCNN、BBC他各ニュースで報じられている。 動画:テュービンゲン大学/ Eサイエンスセンター制作 クルド人実業家の資金援助を受けてドイツ・テュービンゲン大学とクルディスタン考古学機構(Kurdistan Archaeology Organization (KAO))の合同チームが調査を行い、同宮殿(ケムネ宮殿”Kemune Palace”)が紀元前15世紀から14世紀にかけてメソポタミア北部とシリアの大部分を支配していたミタンニ(ミッタニ)帝国の時代にさかのぼることができることが判明した。 クルド人考古学者ハサン・アフメド・カ

    イラク北部でダムの水が引き約3400年前のミタンニ帝国の宮殿遺跡が発見
  • フィボナッチの登場と複式簿記の誕生が育む十六世紀数学革命

    レオナルド・フィボナッチ『インドの九つの数字は9、8、7、6、5、4、3、2、1である。これら九つの数字とアラビアではzephiriumと呼ばれる記号0でもって、以下に示すように、任意の数字を表すことができる。』 (山義隆著「一六世紀文化革命 1」P318よりレオナルド・フィボナッチ著「”Liber abaci”算数の書」(1202年:未邦訳)冒頭の山による邦訳を孫引き) この一節で始まる1202年の数学書「”Liber abaci”算数の書」の発行が世界史上の画期であることは誰しもが認めるところだろう。商人で数学者のフィボナッチことピサのレオナルドは、書でアラビア数字のイタリアへの導入、同時にそれらを用いたイスラム社会の十進法での整数と分数の計算方法を解説、最初の回帰数列であるフィボナッチ数列の考案、歴史的には修辞代数に分類される代数学の提唱などをまとめ、当時の商業数学の集大成であ

    フィボナッチの登場と複式簿記の誕生が育む十六世紀数学革命
  • 『ジャガイモのきた道―文明・飢饉・戦争 (岩波新書)』山本紀夫 著

    南米アンデス地方で栽培され、大航海時代にヨーロッパにわたり、そこから世界中へ広がって、今や全世界の卓に並ぶ、日でも肉じゃが、カレー、コロッケ、フライドポテトなどなどなど今や生活に欠かせないジャガイモの歴史を辿る一冊。2008年の発売以来、売れ続けるロングセラーで最早名著としての評価は揺るぎないように見える。 実際、全世界的に広まった物をテーマにして世界史を一望するというのは良いが出やすい。栽培した人々、彼らをとりまく社会状況、流通させるシステム、商取引と経済、拡大した要因、伝播の過程、流入先に及ぼした影響、文化の変容や現代社会におけるその物の位置づけ・・・などなど多面的に描きやすく、その分析手法としても様々な選択肢があるからだ。同様の良書として、例えば川北稔著『砂糖の世界史』が名高い。 1996年の発売以来売れ続けている世界史入門定番の一冊。砂糖の広がりを通じて様々な地域が

    『ジャガイモのきた道―文明・飢饉・戦争 (岩波新書)』山本紀夫 著
  • 『図説 十字軍 (ふくろうの本/世界の歴史) 』櫻井康人 著

    豊富な図版と手堅くわかりやすいコンパクトにまとまった記述に定評のある河出書房新社の「ふくろうの」シリーズから2019年に出た「図説 十字軍」である。 十字軍というと、獅子心王リチャード1世とサラディンが名勝負を繰り広げた第三回十字軍やコンスタンティノープルで破壊の限りを尽くした悪名高い第四回十字軍など西アジアでの対イスラーム十字軍のイメージが強く、学校教育でも『西欧キリスト教勢力がイスラームの支配下に入ったイェルサレムを奪還するためにおこした軍事遠征。(中略)正式には計7回の遠征が行われたが、第1回十字軍の成功以後はその大義を失った』(全国歴史教育研究協議会編『世界史用語集』(山川出版社,2014年,98頁))と教えられているが、十字軍研究では十字軍は対イスラームに限らず、また時間的にももっと長期に取るようになっている。 著者は書の『プロローグ「十字軍」とは何であったのか?』で上記の世

    『図説 十字軍 (ふくろうの本/世界の歴史) 』櫻井康人 著
  • 中世ヨーロッパの異教的な信仰・風習・迷信のまとめ

    中世ヨーロッパでは七世紀末頃からカロリング朝フランク王国の支援を背景としてゲルマン人へのキリスト教布教が進んだが、改宗してもキリスト教化は徹底されず、多神教や自然崇拝による異教的伝統文化も色濃く残ることとなった。 その異教的な伝統がどのようなものであったかは、教会側の史料に概ね禁令として多く残されている。1020年頃ヴォルムスの司教ブルカルドゥスによって書かれた『教令集』の中の贖罪規定にある異教的慣習、迷信、魔術に関する記述を野口洋二著『中世ヨーロッパの異教・迷信・魔術』(早稲田大学出版部,2016年)を参照して簡単にまとめ。なお、一般的な魔女に関わる例はここでは割愛した。 異教的な信仰・習慣・天、地、太陽、月にかけて誓う ・諸元素、太陽、月、新月や月、星の動きを崇拝 ・泉、石、樹木や十字路に行き、ロウソクや松明を燃やしてパンやその他供物を捧げて、そこでべたり、身体や心の治癒を祈る ・

    中世ヨーロッパの異教的な信仰・風習・迷信のまとめ
  • 中世ヨーロッパの「十分の一税」とは何か

    十分の一税は中世ヨーロッパで教会の維持や聖職者の生計のために各教区の農民から生産物の十分の一を徴収した貢租のこと。 十分の一税の起源十分の一税の起源は聖書の記述にあるイスラエル人の慣習に遡る。 『彼はアブラムを祝福して言った。 「天地の造り主、いと高き神に アブラムは祝福されますように。 敵をあなたの手に渡された いと高き神がたたえられますように。」 アブラムはすべての物の十分の一を彼に贈った。』(新共同訳[創世記14.19-20]) 『わたしが記念碑として立てたこの石を神の家とし、すべて、あなたがわたしに与えられるものの十分の一をささげます。』(新共同訳[創世記28. 22]) 『土地から取れる収穫量の十分の一は、穀物であれ、果実であれ、主のものである。それは聖なるもので主に属す。もし、十分の一を買い戻したいときは、それに五分の一を加えて支払わなければならない。牛や羊の群れの十分の一につ

    中世ヨーロッパの「十分の一税」とは何か
  • 『図説 古代文字入門 (ふくろうの本)』大城 道則 編著

    歴史上の様々な古代文字の中から主要な十三種類について、それぞれ専門分野としている研究者を執筆者として「ふくろうの」シリーズらしい豊富な図版で解説した入門書。編著者はお馴染み古代エジプト史の良書を次々世に送り出してくれている大城道則氏。コンパクトな厚さだが読み始めたらついつい時間を忘れて精読させられるので、大体この厚さならこれぐらいの時間で読み終えるかな・・・という事前の予想を大きく上回ってしまう、充実の内容の一冊となっている。「ふくろうの」はよくこういうスマッシュヒット的なを出すのが流石。 古代エジプトの「ヒエログリフ」、古代メソポタミアの「楔形文字」、古代トルコの「アナトリア象形文字」、古代ギリシア・ミケーネ文明の「線文字B」、古代フェニキアの「フェニキア文字」、古代スーダン・クシュ王国の「メロエ文字」、イスラーム誕生以前のアラビア半島で使われた「古代南アラビア文字」、北アフリカ

    『図説 古代文字入門 (ふくろうの本)』大城 道則 編著
  • 『幕末単身赴任 下級武士の食日記 増補版 (ちくま文庫)』青木直己 著

    日記の主である紀州和歌山藩士酒井伴四郎は万延元年(1860)当時28歳、25石の下級武士で、上司にあたる叔父・宇治田平三、同僚の大石直助らとともに、装束に関する着用の指導にあたる衣紋方として同年から一年七カ月の江戸勤務についた。日記は万延元年(1860)五月十一日から十一月三十日までの約七カ月である。 直前に大老井伊直弼は暗殺されるわ、紀州藩内も政争で重臣が失脚するわ、アメリカ公使ハリスらをはじめ外国人が来日しはじめるわ、攘夷の嵐が吹き荒れるわで、幕末の江戸は大わらわ・・・なはずだが、下級武士の彼にはそんな激動は特に関係なく、毎日の生活とか、倹約生活とか、江戸観光でどこ行ったとかの話で占められているのが、実に等身大という感じで面白い。 書で紹介されるのも大半が彼らが何ったかである。紀州から江戸への道中だけでもあんころだうなぎだわらびだ柏だ葛だ栗だ力だとばっかりだけど道中

    『幕末単身赴任 下級武士の食日記 増補版 (ちくま文庫)』青木直己 著
  • 何故、中世の司法制度は「自白」に頼っていたのか?

    『教会は、証拠物件よりも自白のほうを好み、このほうが上だと考えた。被告がもし頑強に否認しつづけるなら、審問官たちはさまざまな強制手段を用いることができた。未決拘留などもそのひとつである。制裁にはいくつかの段階があり、裁判官は適当と思われる様式を選ぶことができた。被告は鎖につながれることもあった。長期の断を課されることもあり、睡眠を奪われることもある。このような懲治の措置はときに数年間もつづき、いくつかの監獄は――たとえばカルカソンヌの独房のごとき――その厳しさゆえに悪名高いものがあった。ベルナール・ギーはこの種の懲戒法を称賛し、分量を間違えず上手に用いるなら、「心を開かせる」ものだ、「苦痛は理解のもと」だといっている。』(ギー・テスタス、ジャン・テスタス「異端審問」(1966年著、邦訳1974年)P45) ベルナール・ギー(1261~1331)は中世を代表するフランス出身の異端審問官で異

    何故、中世の司法制度は「自白」に頼っていたのか?
  • 串刺公ヴラド3世の生涯を描く『ヴラド・ドラクラ(1、2巻)』感想 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    『ヴラド・ドラクラ』(大窪晶与作、ハルタ連載)は吸血鬼・ドラキュラ伯爵のモデルの一人にして「串刺し公」の異名で知られる、最近ではFateシリーズでもお馴染みのワラキア公ヴラド3世(1431~1476年、在位1448,1456~62,1476~77)を主人公にした大河歴史漫画です。2019年2月15日に最新第二巻が発売されました。 残虐の暴君か、国を護りし英雄か――。 15世紀中期。南にヨーロッパを席巻するオスマン帝国、西に大国ハンガリー。 ふたつの強国に挟まれた小国・ワラキア(現・南ルーマニア)にひとりの若き公が戴冠する。 その名は、ヴラド三世。 国内政治は貴族に支配され、外交は大国の情勢に左右される中、 ヴラドは故国・ワラキアを護るため、そ... ヴラド・ドラクラのあらすじと魅力物語の始まりは1456年9月。1453年にコンスタンティノープルを陥落させて勢力を拡大するオスマン帝国と、神聖

    串刺公ヴラド3世の生涯を描く『ヴラド・ドラクラ(1、2巻)』感想 | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • 中世末旅行が始まるぞ!「エーゲ海を渡る花たち 1巻」感想 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    あらすじ舞台は十五世紀半ば、イタリア北部の都市国家エステ辺境伯フェラーラ候領。オスマン帝国によるコンスタンティノープル陥落直後で、主人公の一人オリハがその影響を受けたことが作中で明かされるので1453年以後ほどないころと思われます。当時のイタリアとフェラーラに関する歴史的背景については前回の記事でまとめたので、詳しくは以下の記事を参照いただければと思いますが、一巻のあとがきでも日之下先生が描かれている通り、丁度イタリアが”奇跡的に”平和な時代が舞台です。 商家ロセッティ家の令嬢ながら旅することを夢見る通称「跳ねる嬢(インペンナータ)」と呼ばれるおてんばなリーザと、クルム(クリミア)からイタリアへと紆余曲折を経てたどり着いた物静かで思慮深そうなスラヴ系少女オリハが出会い、オリハの妹を探してクレタ島へ向かって一緒に旅立つ中世ヨーロッパ地中海旅行記です。 1巻では、出発に難色を示すリーザの姉マリ

    中世末旅行が始まるぞ!「エーゲ海を渡る花たち 1巻」感想 | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • 「アングロ・サクソン年代記」の概要、成立の歴史、主な内容まとめ | Call of History ー歴史の呼び声ー

    「アングロ・サクソン年代記” Anglo-Saxon Chronicle “」はアルフレッド大王治世下の九世紀末、当時、残っていた古い記録や文書、民間の伝承を集め、デーン人の侵攻を中心に同時代の記録を追加されて編纂が始められた年代記形式の歴史書。後に複数の写が作られて各地の教会や修道院でそれぞれ書き継がれ、これらの写類をあわせると、西暦0年から1154年までの記録が残されている。複数の写で構成されていることや年代のずれ、特に末期のノルマン朝時代の書き手のノルマン人への怨嗟や視点の偏りなど、記述内容について注意が必要な史料でもある。 年代記の主な内容は第一に戦争や王国の統治など軍事や政治に関する記録、第二に修道院や教会、聖職者の任命や死没などキリスト教に関する記録、日や月などの自然現象の記録に大別される。 年代記を構成する主な写現存する写は羊皮紙(子牛皮紙)に古英語で記された七

    「アングロ・サクソン年代記」の概要、成立の歴史、主な内容まとめ | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • 歴代征夷大将軍の一覧

    鈴木由美「征夷大将軍一覧」(関口祟史編、日史史料研究会監修『征夷大将軍研究の最前線 (歴史新書y)』(洋泉社,2018年)をベースに項目を追加、書式と内容も一部変更している。また惟康親王の退任時期について、前掲書では出家した正応2年(1289年)12月6日となっていたが、リストでは上洛日である正応2年(1289年)9月14日に変更した。あわせて足利義稙についても一度目の就任時の名前として義稙から義材に変更した。他の記載、在職期間・生没年は概ね前掲書に従っている。その他参考文献は記事下に記載。

    歴代征夷大将軍の一覧
  • シノン城~ヘンリ2世からジャンヌ・ダルクまで愛された王城

    シノン城( フランス語”Forteresse royale de Chinon” 王家の要塞シノン城)はロワール川とその支流ヴィエンヌ川との合流地点を臨む高台に建つ古城である。ロワール川を東に上るとオルレアンや首都パリを擁するイル・ド・フランス地方へ、ヴィエンヌ川を南下するとポワトゥー地方やフランス中部の主要都市リモージュへと抜ける交通の要衝であった。 草創期起源は古く、少なくとも五世紀以前には砦が設けられており、古代ローマ時代にまでさかのぼる。公式サイト(フランス語)によれば、ガリア時代の戦士貴族が現在のサン・ジョルジュ城郭のあたりに館を建てていたという。その後、ローマ帝国崩壊の混乱の中でシノン城があった高台が強化され、歴史家トゥールのグレゴリウス(538頃-594)はこの地が城塞化されていることに言及しているという。この地に城が建てられたのは954年、ブロワ伯ティボー1世による。103

    シノン城~ヘンリ2世からジャンヌ・ダルクまで愛された王城
  • 「歴史学者と読む高校世界史: 教科書記述の舞台裏」長谷川 修一,小澤 実 編著 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    なかなか学説が反映されず古い記述のままであるとか、現在ではすっかり認識が改められた説が根強く残っているとか、歴史教科書の問題はよく耳にする。書はその歴史教科書の諸問題、「教科書記述と歴史学会の研究成果との間に見られる乖離がなぜ生じているのか、そしてそうであるならばどのようにしてその乖離が生起したのか、また、その歴史記述を方向付けているものは何か」(序 ii)について、歴史研究者や歴史教科書に関係する当事者たちの論考を集めた一冊である。 書は三部構成で、第一部で「オリエント、西洋中世、中東欧、アメリカを対象とし、いくつかの現行教科書を資料として参照しながら該当部の記述の問題点を提示する」(序iv)。第二部では同じく「世界史教科書記述におけるイスラーム史、中国史、東南アジア史、そして日史の記述の問題点を論じる」(序iv-序v)。第三部では「世界史教科書の制作ならびに利用のプロセスに目をむ

    「歴史学者と読む高校世界史: 教科書記述の舞台裏」長谷川 修一,小澤 実 編著 | Call of History ー歴史の呼び声ー
  • 2018年7月発売予定の邦訳海外歴史小説まとめ

    チェ・ゲバラの孫・カネック、 権力悪を批判してアナキストに 覆いかぶさる祖父の〈名声〉の重圧、親に同伴しての 幼児期からの世界放浪、革命キューバの混沌などに翻弄されつつも、次第に形成されゆく「詩と反逆の魂」。40歳で急逝した著者の文学的遺稿集。 解説/太田昌国「カネックのキューバ 革命論の意義」150 枚 チェ・ゲバラの長女、イルディータは語っていた。「キューバ革命は救い出されうるはずです。でも、どうやって、ということが私にはわからない。私にとって、夢は死んではいない。それは、今は、休眠状態か凍結状態かもしれない。共産主義は、 時勢に遅れずについていくことには失敗した。私が望むのは、人間の貌をした共産主義体制なのです」(書「栞」より)息子カネックが書で指し示している展望は、無数の〈イルディータ〉が抱いているに違いない夢を叶える道に繋がるだろうか。 「過去をなくした乙女」ゲイル・カレン著

    2018年7月発売予定の邦訳海外歴史小説まとめ
  • 「お前らジャンヌ・ダルクと一緒にいてムラムラしないの?」と聞いてみた結果

    「尊い・・・」ってなる、という記録が実際残されている。 記録を残しているのはゴベール・ティボーという準騎士で1429年三月二十二日、神学者のピエール・ド・ヴェルサイユの共としてジャンヌ・ダルクと面会したことがある人物である。彼はのちに兵士たちに率直に尋ねてみたのだそうだ。「お前らジャンヌ・ラ・ピュセルと一緒にいてムラムラしないの?」と。そしてそのやり取りを以下の通り書き残した。 「軍隊においては、彼女はいつも兵士たちと行動を共にしていた。ジャンヌと親しかった者の多くから直接聞いたことだが、彼女に対して彼らが肉欲を感じることは金輪際なかったという。それはどういうことかというと、彼らが彼女に欲情を抱くことはままあったにせよ、どうしてもそれ以上の挙に出ることはできなかったので、彼らは彼女を欲望の対象にすることは不可能だと信じこむようになっていた。仲間同士で、肉欲を満たし、快楽を刺激するような話を

    「お前らジャンヌ・ダルクと一緒にいてムラムラしないの?」と聞いてみた結果