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ブックマーク / qushanxin.hatenadiary.org (7)

  • 中田英寿の引退宣言 - 狂童日報

    サッカーは詳しくないので中田英寿の引退宣言にはこれといった感慨はないのだけれど、彼が日サッカー界の「顔」であるのはいいことじゃないな、と長い間傍目から見て思ってきた。 カズこと三浦知良は万人に愛される、明るさと人格を備えた選手だった。愚痴も人の悪口も一切言わず、挫折を繰り返しても常に強く明るく振舞い、ショーマンシップにあふれていた。彼が日サッカーの「顔」だった時代、サッカー音痴の野球ファンからみても彼のスター性は素晴らしかったし、当時のJリーグの雰囲気も非常に明るく、当時のプロ野球がいかに野暮ったいものであったかを痛感させられていた。しかし中田英寿はカズの作り上げた明るさを、いっぺんにぶち壊してしまった感じがする。彼が日本代表の中心選手になるにつれて、ウザイくらいの目立ちたがりやの集まりだったサッカー選手は、次第にストイックで気難しい顔つきに変わっていった。これは推測だが、中田が「あい

    中田英寿の引退宣言 - 狂童日報
  • 論理の飛躍 - 狂童日報

    エコノミストの常套句は「個人の活動の自由度が高まり、競争が激化すれば経済の活力は上がる」である。 最近経済学を専攻しようとする大学生は減少傾向にあるらしいが、むべなるかなである。第一に、このテーゼにはあまりに飛躍がありすぎる。エコノミストはこれを普遍的なテーゼとして語りたがるが、「自由化=景気の向上」というロジックがうまく当てはまるのは、言うまでもなく、あくまで具体的な状況に限られる。経済の専門家の多くがこれを「飛躍」だと思っていないとしたら、そもそも経済学理論に重大な欠陥があるのではないかと思ってしまう。竹中大臣を批判するような人も、このテーゼ自体が間違いだとは言っていないように思われるが、私はこの出発点からして間違えていると考えている。少なくとも「自由化=景気の向上」のロジックがうまく機能する具体的な状況を説明しなければ、このテーゼは単なる宗教であって経済理論ではない。 第二に、このテ

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  • 福井総裁の辞任問題 - 狂童日報

    福井総裁の辞任要求が高まっているらしい。私はこの問題で辞任すべきとは思わないが、やはり気が重くなるのは村上ファンドの理念に共鳴して投資していたという事実である。 村上ファンドは企業買収で騒いで株価が高くなったら売り抜けるという手法は、今は色々批判されている。会社は株主だけのものではなく、従業員とその家族、地域社会などによって支えられなければならない、というむしろ世間の常識に属するあまりに当たり前すぎることが改めて認識されはじめている。単調なまでの教科書的な「株主中心主義」を甲高い声で叫ぶ村上に、なぜ日銀総裁に就任することになるような人物が危険だと思わなかったのか。動機はともかくとして、そういう人物を支持していたという事実は、要するに福井総裁も経済というものを村上の言うような単調なものとしてしか考えてなかった可能性があることを示している。だとすると、経済的な合理性を理路整然と語られると途端に

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  • 狂童日報 - 「反日」「嫌中・嫌韓」は擬似問題?高原基彰『不安型ナショナリズムの時代』書評

    高原基彰『不安型ナショナリズムの時代』 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4862480195/qid=1144643138/sr=1-1/ref=sr_1_0_1/503-3470039-3536707 この、結構面白くて勉強にはなったが、あまり納得はできなかった。特に前にも批判的に言及したが、「擬似問題としてのナショナリズム」という視点。「反日」「嫌中・嫌韓」ナショナリズムには社会・経済的な背景があり、ナショナリズムを論じる際にこれをもっと重視すべきだというのであればわかる。従来のナショナリズムをめぐる議論に社会経済論が少なかったことは同感である。しかし「擬似問題に過ぎない」かのような言い方は明らかに誤っている。 なぜなら、社会経済的な不満のはけ口を、中韓日が揃いも揃ってナショナリズムに求めているのはなぜなのか、というこので明らかにさ

    狂童日報 - 「反日」「嫌中・嫌韓」は擬似問題?高原基彰『不安型ナショナリズムの時代』書評
    traverse
    traverse 2006/04/11
  • めぞん一刻 - 狂童日報

    またまた唐突だが、最近『めぞん一刻』にはまっている。もともとあまり漫画は読んでないし、ステレオタイプ化されたイメージがあったのでこの名作をわず嫌いで読んでこなかったのが、いざ読んでみるとこれがなかなか凄い。高橋留美子はSFギャグが専門で、この作品以降恋愛ものをほとんど描いていないようだ。何か分かる気がする。 第一に、ここで使った恋愛を盛り上げる手法が90年代以降に急速に古びてしまったのである。過去のために新しい人生を歩み出すのになかなか踏み切れず、世間体を気にしてしまう響子の躊躇や羞恥の表現がこの漫画の一つの売りである。しかし明らかに90年代以降には、こうした表現を真面目に描く雰囲気がなくなってしまった。周りの住人の様々なちょっかいや人の噂話が恋愛の重要なアクセントとして使われているが、これも近隣社会のリアリティが減少した90年代以降は使いずらい手法である。 近年は韓国ドラマを含めて「純

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  • 醒めた中国論と真面目な中国論 - 狂童日報

    http://takahara.cocolog-nifty.com/blog/2005/12/200611210_67ac.html 中国関係でこのブログは面白い。前にもちょっと批判的に言及したことがある。 ただ東アジアの「反日」ナショナリズムを「民主主義の機能不全への不満と諦念」でまとめるのは「なんじゃそりゃ??」という感じで全く納得いなかなかった。この人は日常レベルで中国韓国の「生の声」に接しているらしいせいか、ナショナリズムをすべて擬似問題扱いしてしまうところがある。「こういう背景がある」という言い方ならともかく、「実はこうなんだぜ!」みたいな暴露趣味的な物言いがあって、これには違和感というか反発を感じる。 全然納得はできないが、こう理解したがるのはわかる。どんな反日感情を持っている中国韓国人でも、普通にオシャベリしている時は身近な自分の生活についてしか語らないだろうし、そもそも

    醒めた中国論と真面目な中国論 - 狂童日報
  • 過当競争社会 - 狂童日報

    耐震強度偽造問題の証人喚問があった。この問題の背景に過当競争があることは明らかである。当事者は全員心の中でこう思っているはずである。「批判している奴は競争社会の現実の厳しさをしらないくせに!」と。 健全に市場を運営する為には、市場に対する参入を規制しなければならない。コンビニがあちこちでできたと思ったらたちまちのうちに潰れているが、こういうことをちゃんと規制しないから、需要が少ないのに建築士や建築会社が大量に参入して、少ないパイの奪い合いになってしまう。こういうことが続くと、市場競争に対する幻滅感のほうが広がるだろう。 最近「自由競争」にはなったが、一部のなんで儲かっているのかよくわからないIT企業と、過当競争でコストダウンとリストラの圧力で悲鳴をあげている会社と、どっちかの競争ばかりがやたらに目立っている。画期的な製品を開発して、それが売れて業績が好調になって、それに対抗するために新たな

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