タグ

ブックマーク / www.barks.jp (3)

  • 【インタビュー】真野恵里菜、マネティとハロー!プロジェクトでの日々を振り返る | BARKS

    2013年2月23日、<真野恵里菜 メモリアルコンサート2013「OTOME LEGEND~For the Best Friends」>をもってハロー!プロジェクトを卒業する真野恵里菜。そこで今回、卒業直前の真野ちゃんに、ハロー!プロジェクトでの活動を振り返ってもらうインタビューを敢行した……が、ひとりで振り返ってもらうのもアレなので、今回、真野ちゃん人にも内緒で、もうひとり、真野恵里菜を語る上で欠かせないキーパーソンをセッティング。 その人物とは、ファンにはおなじみ、真野ちゃんのチーフマネージャーである“マネティ”。 平日の午後。カフェの一角で突然始まる、真野ちゃんとマネティの熾烈な攻防(?)。さらに偶然、同じ店内で事務所の先輩・藤美貴が別の取材を受けていたこともあり、なぜか我々のテーブルの隣りには、まるでこの一戦を裁くレフリーかのように構えるベビティ(藤美貴の息子)の姿も(ただし

    【インタビュー】真野恵里菜、マネティとハロー!プロジェクトでの日々を振り返る | BARKS
  • 故松永孝義の弟子として、僕が教わったこと | BARKS

    2012年7月12日、日が誇るベーシスト松永孝義が永眠した。享年54歳。 ◆松永孝義画像 僕は現在プロミュージシャンでもなんでもなく一介のサラリーマンであるのだが、松永孝義さんの唯一の弟子である。僕が大学を中退してコントラバス奏者として生きていこうと思ったとき、元JAGATARAのサックス奏者、篠田昌己さんのお姉さんの紹介で、僕は松永さんからコントラバスを基から教えてもらうこととなった。 コントラバス奏者の技術論として師匠に教えてもらったことは山ほどある。「集中して弓で、指で一点をこすること」。「左手のかたちが絶対にマムシにならないこと」。「弓が返っても、何も起こらなかったかのように聴かせること」。 技術として非常に科学的であり理知的な松永さんがそこにいた。ミュート・ビートなどのグルーヴは“ラリラリ”な状態で産み出されているものではないのだ。科学的なのだ。 乱暴かもしれないが、僕が松永

    故松永孝義の弟子として、僕が教わったこと | BARKS
  • フロアで体感、“Music Speaks Itself”  | BARKS

    ’87年~’92年にかけてのレイヴ・カルチャー全盛期、英ニュース番組“BBC”をもじった“IBC(Illegal Broadcasting Corporation)”という名前を持つ海賊ラジオで活動していた、アンディ・マドックスを中心とする英マンチェスターのDJ集団が、作り貯めてきた音源、もしくは大量のデモ・テープを発表する場として立ち上げたのが、レーベル:スカムだ。 であるからして、当然のようにそのレーベル運営には海賊ラジオで得た彼らの哲学が活かされており、それこそがスカムの個性となった。一切のプロモーション活動を行なわず、リリース量は限定。ジャケットは殆どが無味乾燥なデザインに点字ステッカーのみ。それは次から次へとハイプが生まれては消えていく英・音楽シーンに対し、“音楽のことは音楽を聴いて判断して欲しい”という彼らの願いでもあった。 しかし、レイヴ・カルチャーを襲った巨大産業化の波を、

    traverse
    traverse 2005/06/18
  • 1