利他学 (新潮選書) 作者: 小田亮出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2011/05/25メディア: 単行本購入: 11人 クリック: 125回この商品を含むブログ (10件) を見る 本書は進化心理学者小田亮によるヒトの利他行動にかかる本.様々な利他行動の進化プロセスと,それに対応した至近的な心理のメカニズムを扱っている.自らのリサーチも数多く紹介してくれていて読んでいて面白い. 第1章ではティンバーゲンの4つの「なぜ」を導入に,進化適応を簡単に説明,その後利他行動の進化メカニズムを順に解説する.血縁淘汰,直接的互恵行動,間接的互恵行動,マルチレベル淘汰という順番になされている.血縁淘汰とマルチレベル淘汰周りのややこしい話は避けて,あっさりと「この考え(マルチレベル淘汰)は血縁淘汰と相反するものでなく,同じことを言っているといえる」とふれるにとどめている.そのあたりは主題ではないので深
音楽の哲学(おんがくのてつがく、英: Philosophy of music)とは音楽に関する根本的な事柄について探求する哲学の一分野であり、「美学」や「形而上学」の問題と深いつながりを持つ。以下は音楽の哲学でのいくつかの基本的な問いである。 音楽の定義とは何か?(あるものを音楽と呼ぶための必要十分条件は何か?) 音楽と心の関係はどうなっているのか? 音楽の営みはこの世界についてどういった事柄を明らかにしてきたか? 音楽と感情の関係はどうなっているか? 音楽はどれほど普遍的か?あるいはどれほど文化相対的なものか? 哲学的考察[編集] 音楽の定義[編集] 音楽のありふれた定義としては、「(ある規則に沿って人工的に)構築された音(organized sound)」とされる。しかしながらこの定義は大雑把であり、十分な定義とは言えない。例えば人の会話や目覚まし時計のベルなど、人工的に構築された音で
さて、科学の多くは「見えるもの」を観察し、「見えないもの」について明らかにしようとするものである。 デイヴィドソンが「根源的解釈」という状況設定を通じて提案した「デイヴィドソンのプログラム」にも見えるものと見えないものが仮定されている。 わたしの書いた図は上半分と下半分に分かれるが、上半分に置かれた「信念」「欲求」および「言語の意味」が見えないもの、下半分に置かれた「文」と、人と文の関係である「真と見なす」「選好する」が見えるものである。 さしあたって人の頭の中、つまり「信念(事実として受け入れていること)」「欲求(価値付け)」はわからないものと仮定されている。その人が話す言葉もわからないものとして仮定されている。そういう風に状況を設定したのだから当り前だ。 一方、人が「どの文を真と見なしているか」「どの文を良いもの/悪いものと見なしているか」はわかるものと仮定されている。それは言葉の意味
前著の付録では社会学的全体論とクワイン=デイヴィドソンの意味・信念の全体論との対応付けと統合という課題が手付かずのまま放り出されていた。 その宿題を果たすべく書きなぐっているメモ。そのおかげでようやくベイジアンとかラムジー哲学とかも齧る覚悟が付いたのだが。 何か間違ったことなど書いていればご教示ください。 おそらく我々はドナルド・デイヴィドソンが遺した「思考、意味、行為の統一理論」の構想を人間社会科学の一般理論の基礎として役立てうるのではないか。 デイヴィドソンの哲学体系は一見、行為論、その延長線上での「非法則的一元論」としての心の哲学と、アルフレッド・タルスキの真理論を基礎とした、真理条件意味論を主軸とした全体論的言語哲学の二側面からなるものとしてわれわれの目に映る。しかしこの両系列は80年代以降、デイヴィドソンが「統一理論」「合理性の科学」と呼ぶより大規模な構想の中に回収され、統合され
序 心の哲学とは、心に関する様々な根底的疑問に答えようとする哲学の分野である。 心の哲学での主要な問題として心身問題が挙げられる。心身問題では心と身体とがお互いにどのような関係にあるかを問う(最近では身体の代わりに脳を持ってくることが多い)。心身問題に対する考え方には大きく分類して一元論と二元論とがある。心身二元論はフランスの哲学者デカルトが支持した説として有名であり、心は身体とは互いに独立して存在しているとする考え方である。それに対する心身一元論にはスピノザの説がある。スピノザは心を決定論的な機械論で説明できるとし、意志や意識も身体の運動も同じ事柄の異なる表れだとした。心身関係には他にもいろいろな説があるが、切りがないので省略(これについてはウィキペディア「心の哲学」の項を参照)。他にも、自由意志論や他我問題などもあるが、これらも基本は心身の一元論と二元論との間の調停が中心問題であること
遅刻魔の原因と対策が少し、わかりました。 正確な時間を知るには、腕時計にしろ携帯にしろ、何らかの時計が欠かせませんね。でも、たとえば「1時間」の経過くらいは時計なしでも正確にわかってもよさそうなものです。この問題は、人間が複数のことを同時処理できる能力にも関係しています。さらに、コーヒーと時間の経過の関係も明らかになってきました。神経科学の研究によって、脳がどのように時間を認識するのか、またはしないのかがわかってきたのです。 ありがちなことですが、この前私は記事を書き上げようとしていて、5分ばかり経ったかな、と思ったら25分も過ぎていました...。あああ、ランチミーティングの予定が入ってたのに。私はレストランに向かう間、サンフランシスコの異常にきつい坂道を駆け下りながら、これまで100万回も繰り返してきた自問自答をしていました。なぜ私はいつも遅刻してしまうんだろう、と。 そして今回こそ、こ
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