史学に関するtsuka_ryoのブックマーク (7)

  • 「世界史」の世界史 - ミネルヴァ書房 ―人文・法経・教育・心理・福祉などを刊行する出版社

    叢書は、従来の国民国家史や地域史の集約としての世界史や特定の中心から見た世界史を越えることをめざす。総論巻は、人類が各地域・時代に描いてきた世界像を点検したのち、19世紀以降西欧で作られてきた世界史を、近年の研究成果とともに批判的に検証し、今後われわれが作るべき新たな世界史像を探究する。 [ここがポイント] ◎ これまでの世界史(各地域・文化)像を捉え直す。 ◎ 近代以降体系化された世界史(ヨーロッパ中心主義)を捉え直す。 ◎ 従来の世界史を批判的に検討、その特徴・課題を把握し、それらを越えるこれからの世界史像とは何かを探究。 序 論 「世界史」の世界史(南塚信吾) 第Ⅰ部 さまざまな世界像 第1章 日の世界像(末木文美士) 1 世界像の三類型 2 須弥山と神国 3 天と中国 4 再説・世界像の三類型 第2章 中華歴史認識(小島 毅) ――春秋学を中心に 1 中華歴史的形成 2 唐

  • 神経歴史学 進行中:溜め込みと人類の過去 - noscience!

    Smail, D. L. (2014). Neurohistory in Action: Hoarding and the Human Past. Isis, 105(1), 110–122. この論文に対するコメンタリーのレジュメ Fuller, S. (2014). Neuroscience, Neurohistory, and the History of Science: A Tale of Two Brain Images. Isis, 105(1), 100–109. 紙とペン Stadler, M. (2014). Neurohistory Is Bunk?: The Not-So-Deep History of the Postclassical Mind. Isis, 105(1), 133–144. ポスト古典的な心(えめばら園) 総評 歴史学のニューロ・ターン スメイ

    神経歴史学 進行中:溜め込みと人類の過去 - noscience!
  • 鮎川義介と経済的国際主義 « 名古屋大学出版会

    書籍の内容 日産自動車を創業し、日産財閥を満洲に移駐してその経済開発を一手に担った男の、経済的自由主義のヴィジョンとは何か。統制経済と闘い、米国資導入による日満の開発によって日米開戦回避のために死力を尽くした希代の経営者の活動を、日米双方の一次史料からダイナミックに描き出す。 書籍の目次 序 章 鮎川義介と日米関係 第Ⅰ部 日産の創業から満洲国へ 第1章 経済的国際主義 —— 1937年以前の鮎川とアメリカの産業への関心 はじめに 1 日産コンツェルンの形成と外国資 2 GM・フォードとの提携交渉 第2章 満洲重工業の設立と満洲への米国資導入構想 はじめに 1 満洲の経済開発を誰が担うのか —— 満鉄から関東軍へ 2 満洲重工業の起源 3 鮎川の満洲国への関与 おわりに 第3章 鮎川と米国フォード社との提携交渉 —— 1937~40年 はじめに 1 日産・フォード提携交渉 2 GMの

  • 人種理論の系譜学(もしくは思想史)的考察の必要性

    タト @Leethoo_Tat とりあえず一段落ついた。>生の哲学の思想史まとめ ナチスの人種理論へとつながっていく思想史。ロマン主義→ヘーゲル→ディルタイ ロマン主義→ショーペンハウアー→ニーチェ それらとベルクソンの「エラン・ヴィタール」の哲学の合流→ナチスの人種理論てな流れ。 2011-07-29 04:05:25

    人種理論の系譜学(もしくは思想史)的考察の必要性
  • 岩波講座哲学全15巻 目次

    この時代の〈生きた思考〉とは,〈哲学する〉こととは何か.編集委員12人が,歩んできた探究の道を踏まえて,この問いへの応答を試みます.理性と合理性の立場の再生は可能か,「日の哲学」は成り立ちうるのか,他者の哲学・公共性の哲学が具えるべき要件とは何か,そして現実の大地に立つ哲学の姿は? 考えることの全体重をかけ,明日の哲学を占う.

    岩波講座哲学全15巻 目次
  • 「客観的事実判断」と「倫理的価値判断」の間で:沖縄戦集団自決の教科書記載問題 - TRiCK FiSH blog.

    沖縄戦での集団自決の教科書記載をめぐる問題は、従軍慰安婦問題同様、大きな論争を呼びそうである。 今回、沖縄で2~3万人集めたデモと、それに反対する層との間ではひとつだけメタ合意が発生している。それは「真実(史実)とは何か?」という問題設定をしていることである。 今回は「(文章化された)記録(=史料)はないが、当事者の証言はある」という事態だが、このとき「記録がないから事実はない」とするか、「証言はあるから事実もある」とするか、という対立が生じている。「史実(=真実)」をめぐる争いとは、「客観的事実判断」を基準としそれを採用するフェイズにおいて生じる。 しかしながら、「客観的事実判断」は常に価値判断から自由ではない。「A」と「B」という「客観的事実」が“あった”としても、「A」を描写し、「B」を描写しない時点で「価値判断」を採用している。誰もが納得できる「客観的事実判断」などはありえない。 

    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2010/10/18
    「A」と「B」という「客観的事実」が“あった”としても、「A」を描写し、「B」を描写しない時点で「価値判断」を採用している
  • 歴史観の歴史について

    松永英明@ことのは#ゲニウス・ロキ @kotono8 「歴史観の歴史」について書いてあるがあったら教えてください。というか、近代までなら歴史家の歴史を調べればよいのか? 2010-01-27 14:44:26 Tatsuo Ito @TatsuoIto 歴史観の概念て、近代以降ですかね?歴史観概念に自覚的な歴史書って、いつからだろう?RT @kotono8: 「歴史観の歴史」について書いてあるがあったら教えてください。というか、近代までなら歴史家の歴史を調べればよいのか? 2010-01-27 14:49:49 MATSUTANI Soichiro @TRiCKPuSH @kotono8 歴史が史観であるということが日でより意識されたのは90年代以降なので、そういうは個別事例を除けばあまりないと思います。なので、「歴史観とはなにか」ということを考えるのでしたら、たとえば上野千鶴子編

    歴史観の歴史について
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