2013年9月29日(日)、京都府臨床心理士会主催で、日本臨床心理士会の国家資格化プロジェクトチームによる『心理師』国家資格創設に関連する説明会が行われました。その参加者、関係者のツイートまとめです。 ※初めてのtogetterまとめで勝手の分かっていない部分もあるかと思いますので、ご意見などありましたらコメントやDでよろしくお願いします。
20111030 身体論研究会 ■1. 現象学批判――小泉義之「傷の感覚、肉の感覚」『現代思想』39(11): 135-147 小泉先生の「傷の感覚、肉の感覚」は端的に言って現象学的言説構築批判と読める。 「(ギリアン・ベンドロー/サイモン・ウィリアムズの論を取り上げて)二人によるなら、痛みは生命と文化が交錯するところに位置している。だから、痛みは、社会学的な探求の対象となるべきものである。この探求が成功するためには、痛みの医療化を止めなければいけない。すなわち、心と身体の二元論にもとづいて痛みを感覚へと切り詰めて、痛みを合理的・客観的に測定可能で操作可能なものとみなしてしまうことを止めなければならない。なぜなら、そもそも痛みは日常的な経験、日常生活に埋め込まれた経験だからである。痛みは、たんに生物医学的で医療的な問題ではなく、社会学的・現象学的にアプローチされるべき問題なのである。 これ
佐藤裕史, German E. Berrios, 2001「操作的診断基準の概念史」『精神医学』43(7), 704-713. 精神医学における操作的診断基準の導入の経緯とその問題をまとめている。 精神医学において操作的診断基準が発表されたのは、1972年のJ. P. フェイナーらの論文で、そののち1980年の第3版以降のDSMに採用されていく。 ちなみに精神医学における操作的診断基準とは、一言でいえば、任意の精神障害の診断をおこなうさいに用いられる、患者の行動(症候)についての基準であり、その基準が一定水準で満たされることによって、障害の診断がなされることになる(一説に「中華レストランメニュー方式」とも言われる)。したがってこのもとにおいては、診断は、症候をもたらす病因のレベルを離れ、観察可能な行動にもとづいて行われることになる(この点は、心にかんする概念を観察可能な行動の記述へと還元し
質的研究は,人々の経験にどのように関わり,再構成していこうとするのか。特集では医療や介護福祉などの専門的な関わりから,病いや障害とともに暮らす当事者の生活の場にまで射程を広げて議論を試みた。書評特集は会話分析と震災関連の文献を紹介。 目次 巻頭言 能智正博「感性を広げる力」 特集:病い.ケア.臨床 (責任編集委員:森岡正芳・西村ユミ) ■ 前田泰樹・西村ユミ 協働実践としての緩和ケア ―― 急性期看護場面のワークの研究 ■ 原田満里子・能智正博 二重のライフストーリーを生きる ―― 障がい者のきょうだいの語り合いからみえるもの ■ 鈴木智之 滞る時間/動きだす時間 ―― 先天性心疾患とともに生きる人々の"転機"の語りを聞くということ ■ 藤井真樹 共感を支える「共にある」という地平 ―― 父の闘病に寄り添う体験の記述から ■ 福田茉莉・サトウタツヤ 神経筋難病患者のIndividual
はじめに この書は,精神医学という臨床領域と神経心理学という学際領域に一定の関心のある方々で,精神疾患には統合失調症,躁うつ病,神経症などがあって,こうした精神疾患は「こころの病気」であると考えている方々,あるいはこれらは「脳の病気」であると考えている方々,さらには精神病のほうは多少とも「脳の病気」であるけれども,神経症は「こころの病気」であると考えている方々,すべてに対して,基本的なところで再考を促すことを主な目的として書かれている。筆者は,いろいろな事情から最近の精神医学そのものに対して「何か,おかしい,このままでは進み行かないのではないか」という懸念をかなり前から抱き続けてきた。何故かというと,まず精神症状の捉え方そのものにおいて,精神科医も一般の人々も,どうも妙なバイアスのかかった見方をしているのではないか,と思うからである。 そうしたバイアスをもっとも端的に示しているのは,「ここ
研究費を頂いている新学術領域山森班(大脳皮質構築)の班会議と包括脳ネットワーク夏のワークショップ参加のために神戸に来ている。 いろいろ新しい情報をびしっと詰め込む毎日で、ちょうど夏期講習会のような気分。 本日、午前中に「精神医学と脳科学のコラボレーション:今後の展望と戦略」というセッションがあり、広島大学の山脇成人先生がオーガナイズされ、基礎研究者と精神科医の発表があった。 そのお一人、理化学研究所の加藤忠史先生のご発表から印象深かったスライドを掲載する。 【追記】その後メールのやりとりをして、加藤先生のご厚意によりスライドをPPT版に変更しておきます。 もちろん、これはかなり極端に「臨床研究と基礎研究の違い」を強調している訳で、基礎研究者だって、目の前の患者さんではないけど、将来、世界の多数の患者さんを治したい、と思っている人はいるだろうし、臨床の研究者だってハイインパクトジャーナルに自
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