ブックマーク / malaprop.cocolog-nifty.com (15)

  • A・フォード「行為と類種関係」(1/3): temporalia

    ◆A・フォード「行為と類種関係」(1/3) ・Anton Ford, "Action and Generality," in Anton Ford, Jennifer Hornsby & Frederick Stoutland (eds.), Essays on Anscombe's Intention (Harvard University Press, 2011) [pdf] とりあえず冒頭の三分の一ほどを訳してみたもの。 この論文の主題である"generality"とは、よりgeneralな類(genus)とよりspecificな種(species)との間の関係如何に関わる問題である。こうした趣旨を汲んで、"generality"は基的に「類種関係」と訳した。(ただし、種のspecificityとの対比で類のgeneralityについて語られる箇所は「類的性格」と訳した。) *

    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2013/03/07
    第二の区別"非意図的であったり不首尾であったり常習的であったり意識下であったり、意志の弱さや強制のせいで為されるがゆえにあくまでも条件付きの意味での行為と、無条件的ないし勝義の行為、という区別"
  • Rödl, SC: temporalia

    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2012/10/06
    レードルさんは、ここ最近の「アンスコム・ルネサンス」みたいな動きを牽引しているキーパーソンの一人ということになろうか
  • Clark, BT: temporalia

    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2012/06/29
    Being There書評"デネットはたしかIntentional Stanceの中で、エヴァンズの『指示の諸相』とミリカンの『言語、思考その他の生物学的カテゴリー』とを、今後の心の哲学を決定的に方向付ける二冊として並べていたけれども"
  • カヴェル「ルールと理由」(1/3): temporalia

    ********************************************** その究極の姿にまで達したとしても功利主義の道徳哲学は結局のところ、ごく基的な二つの道徳的原理には抵触するのではないかと多くの哲学者に危ぶまれてきた。問題となるのはすなわち、約束を守らない方が全体的に見て最善だという事情は、約束を破る理由としては容認できないということ、および、無辜の者を罪ある者と同様に扱ってはならないということ、である。近年現れた中では最も啓発的と思われる倫理学的著作において、少なからぬ哲学者はこれらの反論から功利主義を擁護すべく、こうした批判者は(またもしかすると[功利主義に与する]論者自身でさえ)功利原理が適用可能なポイントを見誤っているのだと主張している。そうした哲学者も認めるように、たしかに功利主義は、個々の約束や個々の処罰に関してわれわれが抱く道徳的感情に忠実であるこ

  • Cavell, CR: temporalia

    ◆Cavell, CR ・Stanley Cavell, The Claim of Reason: Wittgenstein, Skepticism, Morality, and Tragedy (OUP, 1979) まだ第1部途中の第4章まで読んだだけ。 500ページ近くに及ぶ大部の分量ゆえ敬遠したくもなるけれども、文章のスタイルからするとこれはカヴェルの著作の中では最も読みやすいものだと思う。(少なくともここまで目を通した限りでは。) 書の第1部「ウィトゲンシュタインと知識の問題」での基的な論点について、『哲学の〈声〉―デリダのオースティン批判論駁』(春秋社、2008)には次のような言及がある。 …私は『理性の呼び声』の初めのところで、ある発見をしたが、喜びをこめてそれをここに書きとめておこう。ウィトゲンシュタインは彼が独特の意味をこめて使う「規準(criterion)」―

    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2012/03/07
  • Paul Redding, Analytic Philosophy and the Return of Hegelian Thought (CUP, 2007): temporalia

    ◆Paul Redding, Analytic Philosophy and the Return of Hegelian Thought (CUP, 2007) ひとまず第6章まで読む。これに続く第7、第8章では、最近のプリーストの試みについての話も交えつつヘーゲルの矛盾概念について論じられるとのこと。しかしその辺はあまり関心がないのでここらで一旦打ち止め。ここまで読んだ範囲で既にお腹いっぱいという感じでもあるし。 何となく、もう少し気楽な感じで読めるようななのかと予想して(若干あなどって)手に取ったのだけれども、きちんと読みこなすにはカントやヘーゲルについてそれなりの知識が前提として要求されているらしいことが判明。そうした予備知識が自分に欠けているせいなのかどうなのか、(少なくともここまで読んだ限りでは)取り上げられる話題の展開の仕方がやや雑然としているというか、全体を貫く主筋が

    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2012/01/01
    マクダウェルがカント/ヘーゲルを通じてアリストテレス的な世界像へと向かうのに対して、ブランダムはフレーゲやクワイン、デイヴィドソンの成果へと繋がるような先駆的洞察をカント/ヘーゲルに見出そうとする
  • 森功次「ケンダル・ウォルトンのフィクション論における情動の問題――Walton, Fiction, Emotion」: temporalia

    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2011/11/08
  • コーラ・ダイアモンド「概念の喪失」(1/4): temporalia

    ◆コーラ・ダイアモンド「概念の喪失」(1/4) ・Cora Diamond, "Losing Your Concepts," Ethics, Vol. 98, No. 2 (Jan., 1988), pp. 255-277. (以下での議論からも徐々に見えてくるように、この論文で問題となっているのは、例えば「フロギストン」という概念が科学的信頼を失って消え去ってゆくといったような事態を含めた概念の喪失一般ではなくして、私たちのアイデンティティを部分的に――しかし質的に――構成し、自分が何者であるかという自己理解に深くい入った概念が喪失されるということの意味なので、そうした内容を踏まえれば、“Losing Your Concepts”という表題に含まれた“Yours”の重みもきちんと受け止める必要があろうかと思われるけれども、その辺をうまく訳出する術がどうもよく分からないのであります。

    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2011/10/15
  • Marion: temporalia

    ◆Marion "Oxford Realism: Knowledge and Perception"をざっと一読。 クック・ウィルソンやプリチャードに関する哲学史的な話が面白かといえば若干微妙ではあるものの、こうした前史に照らし合わせて見ることで、オースティンというかなり掴み所のない哲学者の一面がかなりよく見えてはくるのだろうな、という印象。マリオンによれば、オースティンらの日常言語哲学というのは、クック以来のオックスフォード実在論を「別の手段で継続」したものとのこと。まあ何にせよ、豊富なエピソードが盛り込まれていて、教えられるところが多い論文。(オックスフォードにもW・ニールのように論理学に造詣の深い人はいても講義を担当してはいなかったので、1956年にハオ・ワンが講師に着任するまでオックスフォードでは――ミルの『論理学体系』をテキストにしたような旧弊なスタイルの授業以外に――まとも

    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2011/06/18
    "ヘーゲル主義から抜け出るにあたりケンブリッジ派はロック以降の古典的な観念説(センスデータ理論)へ、クックウィルソンに続くオックスフォード派はアリストテレスやトマスリードを祖とする直接的実在論へ向かう"
  • メモ: temporalia

    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2011/06/15
    ・Pete Faulconbridge, "A New Approach to the Paradox of Fiction" 「フィクションのパラドクス」、ウォルトン
  • B・ウィリアムズ「直観主義は何を含意しているのか」: temporalia

    ◆B・ウィリアムズ「直観主義は何を含意しているのか」 ・Bernard Williams, "What does intuitionism imply?" (1988); reprinted in Making sense of humanity and other philosophical papers 1982-1993 (CUP, 1995) かなり駆け足で議論が進むこともあって、英語で読んでよく分からんものは、日語に移してもやはりよく分からん罠。 (方法論的)直観主義には理論構築のモデルとも知覚観察のモデルとも違った第三の道があるというのだけれども、むずかしいのう。 ******************************************************** 倫理学における直観主義は、今日では通常、方法論的な教説として扱われている。ジョン・ロールズが『正

    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2011/06/11
    倫理学における直観主義は方法論的な教説として扱われロールズが『正義論』で互いに衝突しかねない複数の第一原理を認め衝突を解決する明示的な方法ないし優先規則を持たないような見解が直観主義的な見解とした
  • 清塚邦彦『フィクションの哲学』(勁草書房、2009): temporalia

    ◆清塚邦彦『フィクションの哲学』(勁草書房、2009) 恵投いただき読了。(ありがとうございます。) およそ基礎知識の欠落した人間でも居心地の悪さを感じずに済む丹念な議論運びであるけれども、何分こうした方面には全く不案内なこともあって、以下はかなり取り留めのない個人的感想。 「おもに言語的なフィクションの場合を念頭において、「語る」行為に焦点をおいた展望から、映画・演劇や絵画・彫刻のような「見せる」作品をも視野に入れたより包括的なフィクション理論の展望」(p. 15)を切り開くことが書全体を通じての狙いとのことで、第四章までの前半部分ではまず、基的に言語的フィクションを対象として統語論、意味論、語用論の見地に立つアプローチの整理と批判的検討が示されている。書の中の長大な助走段階とも言えそうなこの前半部分については、全体を通じてそれほど大きな疑問は感じなかったのだけれども、ただ一点

  • Michael Friedman, A Parting of the Ways: Carnap, Cassirer, and Heidegger (Open Court, 2000): temporalia

    ◆Michael Friedman, A Parting of the Ways: Carnap, Cassirer, and Heidegger (Open Court, 2000) ようやく読了。 カルナップのハイデガー批判に象徴されるような「対立の構図」の内実を、彼らの共通の根である新カント派(中でも特にカッシーラー)の動向との関係に詳しく分け入って見ることで再考してみましょう、というような内容。大まかな話の骨子としては、一方では、カルナップの仕事を、ある意味で(カッシーラーに代表される)マールブルク学派の哲学的モチーフを引継ぎ徹底化しようとする試みとして描き出しつつ、またもう一方では、総じて感性的有限性を軽視して超越論的図式論への無関心を決め込んだ新カント派の動向に照らすことでハイデガーの特異な位置を際立たせる、といったところになるんでしょうか。 カルナップ、カッシーラー、ハ

  • 門脇俊介『破壊と構築―ハイデガー哲学の二つの位相』(東京大学出版会、2010): temporalia

    ◆門脇俊介『破壊と構築―ハイデガー哲学の二つの位相』(東京大学出版会、2010) 【目次】 第I部 破壊としての存在論と哲学の新しいボキャブラリー 第1章 哲学の新しいボキャブラリーの創出(1994) 1 ハイデガーと存在論 2 体系的哲学と啓発的哲学――ローティの区別 3 『存在と時間』の存在論の体系的位置価 4 「可能性の制約」という考え方 第2章 存在の物語、志向性の物語――『存在と時間』の二つの顔(1992) 1 オイディプス王の「悲劇」 2 『存在と時間』の二重性 3 『存在と時間』における志向性概念についての諸研究 第II部 認知科学とテクノロジーとの対話 第3章 ハイデガーと認知科学(2002) 1 ハイデガー――哲学的大言壮語か、それとも? 2 メタファー系としての認知科学 3 存在論のメタファー系の転換――周縁から中心へ 4 認知科学批判から

  • ウィリアムズと精神分析(前半): temporalia

    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2010/09/11
  • 1