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ブックマーク / littleboy.hatenablog.com (21)

  • 2008-09-14 - てれびのスキマ 「樹木希林の殺意」

    映画ファンならずとも、昨年の*1の「日アカデミー大賞」の選考に唖然となった記憶が残っている人は多いだろう。それ以外の多くの賞レースで賞を総なめにしていた「それでもボクはやってない」をほとんど無視し、主催の日テレが出資した「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」がほとんどを独占するという理解しがたい結果*2だった。 もちろん、「東京タワー」も松尾スズキの脚を読んだ関係者からの前評判は高かったし、オダギリジョー、樹木希林ら役者陣は好演していたものの、「それでもボクはやってない」を押しぬけて賞をほぼ独占するのはとても納得のいく選考*3とはいえなかった。 その授賞式の微妙な空気はテレビ中継を見た人ならよく覚えているのではないか。 松尾スズキの場違いな場所にいるという居心地の悪さ丸出しの表情、奇抜な衣装でやってきて苦笑いしかできないオダギリジョー……。 そしてそれに拍車をかけたのが樹木希林だ

    2008-09-14 - てれびのスキマ 「樹木希林の殺意」
    tsukitaro
    tsukitaro 2018/09/19
    “だから私は監督に『あのね、どこかであんたが刺されて死んだら、犯人は私だから』って言ったの。”
  • 「嫌なんだ、こんな負けばかりの人生…」若林正恭のクーデター - てれびのスキマ

    10月18日深夜に放送された『オードリーのオールナイトニッポン』。 ここ最近、プロレス観戦にハマっている若林正恭。 その流れもあって、スポーツ観戦熱が高まったそうで、先輩芸人であるTAIGAと野球観戦にたびたび行くようになったそうです。若林は子供の頃から親の影響で阪神タイガースファン。 今年は、阪神がまさかの展開でクライマックスシリーズを勝ち進み、日シリーズに進出したこともあって、若林のフリートークコーナーでは野球の話が何週か続いていました。 野球の話なんですけど、阪神タイガースが9年ぶりに日シリーズに進出したということで。 私、春日さんの西武ファンほどではないんですけど、ウチの親父が熱狂的な阪神ファンで、子供の頃はオヤジと一緒にお風呂入ると、阪神の打順を1番から9番まで言わないと出れないっていう。3番バース、4番掛布……って汗だくで。 と、子供の頃の思い出話を少しした後、初めて甲子園

    「嫌なんだ、こんな負けばかりの人生…」若林正恭のクーデター - てれびのスキマ
    tsukitaro
    tsukitaro 2014/11/18
    父親の哲学。ホームドラマだわ~>「俺たちは、阪神ファンでいて、勝つっていうのはホントに難しいんだっていうのを学ぶんだよ」
  • タモリの生きる“コツ” - てれびのスキマ

    10月27日早朝(26日深夜)に放送されたNHKラジオ『ラジオ深夜便』「萩欽一の人間塾」第7回のゲストはタモリでした。 萩欽一とタモリというなかなか見る(聴く)ことができない組み合わせ。この二人の接点というと、『笑っていいとも!』「テレフォンショッキング」(14/2/14)に出演した際、突然タモリが欽ちゃんの家を訪ねてきて驚いたという話をしています*1。 ちなみに「大タモリ年表」では以下のように書きました。 ▼1979年10月6日、『欽ちゃんのドンとやってみよう』(フジテレビ)にゲスト出演。 この頃、タモリは放送作家の大岩賞介に誘われて、萩欽一がパジャマ党の作家たちと仕事をしていた家に突然訪れている。タモリは萩もいるとは知らなかったというが、突然の訪問に驚きつつも迎え入れた萩や作家を前に数時間にわたり持ちギャグを繰り広げ、作家たちを笑わせ続けた。若い作家たちがタモリを絶賛し続ける

    tsukitaro
    tsukitaro 2014/11/01
    “客観的に自分がイグアナをやってる姿を思い浮かべて「汚いな」と(笑)。それで大体、スーツ着るようになったんです。”
  • 「バカッター芸人」太田光の“後悔” - てれびのスキマ

    タモリタモリにとって「タモリ」とは何か?』、お陰様で好評を頂いております。 恥ずかしながらエゴサーチャーと化して、Twitter、ブログ、ブクログ、読書メーター、Amazonなどに書いて頂いた感想を賛否問わずまとめました。一応だいたい時系列で並んでいるかと思います。結果、ほとんど「否」の意見もなく大変ありがたいのですが、賛否関わらず漏れていたりしたらお知らせ下さい。(逆に勝手に載せるなっていう場合も) 戸部田誠(てれびのスキマ)著『タモリタモリにとって「タモリ」とは何か?』感想まとめ さて、今回は3月24日に放送された『ストライクTV』最終回についてです。 後悔 太田: 僕はね、心の中で「口は災いの元」って思った回数、世界一多いと思う。 爆笑問題の太田光といえば、暴言を吐いたり余計なことを言ったりしてたびたび問題を起こしたり、その場の空気がおかしくなってしまうことが多い。 そんな

    「バカッター芸人」太田光の“後悔” - てれびのスキマ
  • オードリーの発見 - てれびのスキマ

    「最近僕は山里亮太っていう男を見失っているんですよ」というオードリーの若林の言葉が発端となった企画が放送されたのが6月20日、27日深夜の『もっとたりないふたり』(日テレビ)だ。 若林: もう一度、山ちゃんを一から知りたいということで。じゃあ、何で一番知れるのかっていうとネタ帳だったわけですよ。 山里: 正直、他人に見せるものじゃない。ネタ帳が誰よりも何よりも自分のすべてが書いてあるんです。親も知らないような、相方ももちろん知らない。誰も知らないことが唯一書ける、全てを知ることができるのがネタ帳なんです。 若林: 驚きました。 山里: 無修正ですよ、これ。 若林: だから家にあるネタ帳、全部持ってきてくださいってことで。これが全部、山ちゃんの家に残ってる… 山里: 72冊だって。すっごいよね。 若林: 「ヤバいの抜いてねえか?」っていう時期があったんですよ。「おい、山里?」と。そしたら追

    オードリーの発見 - てれびのスキマ
  • 萩本欽一とビートたけしの「浅草」- てれびのスキマ

    昨年*1フジテレビで放送された『テレビを輝かせた100人』では萩欽一が大物ゲストとして番組途中に出演して、自身の知られざるエピソードを語っていた。 そんな中、その最後にガダルカナル・タカとやり取りが交わされた。 タカは言うまでもなく、たけし軍団の一員として常にビートたけしと行動を共にしてきた芸人である。 タカ: 色々な萩さんの笑いのセオリーの中で「下ネタをやらない」っていうのがあると思うんですけど、たけしさんを含め我々はずーっと下ネタオンリーみたいなところがあって(笑)、それを萩さんはどんなふうにご覧になっていたのかな?って。すれ違う瞬間、楽屋が近くにあってもご挨拶出来なかったりしたので。嫌われてるんじゃないかなーとか。そういうのもあったんで。 萩: あ、そういう他の人が(下ネタを)やってるなんて全然なんともないし、現に私だって、裸の劇場で下ネタやってるところでやってましたから。た

    萩本欽一とビートたけしの「浅草」- てれびのスキマ
    tsukitaro
    tsukitaro 2012/01/14
    「深見千三郎の孫弟子に当たるのが萩本欽一であり、深見千三郎の最後の弟子に当たるのがビートたけしなのだ」
  • キングコング梶原の空白の3日間- てれびのスキマ

    9月3日に放送された『ブラマヨとゆかいな仲間たち アツアツっ!』のゲストはキングコング。 「後輩ですけど、僕人生で一番、こいつらのこと悪口言うてた」という吉田。 デビュー後すぐに売れていった後輩への嫉妬だった。 『はねるのトびら』が始まった2001年。デビュー2年目にしてキングコングは東京と大阪で計6のレギュラー番組を抱えていた。 梶原はその忙しさに「(つらくて)泣いた記憶がありますよ」と吐露した。 梶原: ドッキリちゃうん? この忙しさ、みたいな。 ずっとストレスを抱え溜め込んでいた梶原。 梶原: それを僕、見て見ぬふりしてたんですよ。 やがて、それが限界まで達し、そこからパンっと記憶が飛んでしまったのだという。 2003年2月のある日。 ラジオ終わりでコンビ間で揉める。しかし、翌日大阪仕事があるということで途中で切り上げる。その後、梶原はホテルに戻らなかった。 翌日の大阪のロケ。そ

    キングコング梶原の空白の3日間- てれびのスキマ
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    tsukitaro 2011/10/02
    ブラマヨ吉田は「西野: 真っ直ぐ腐ってますね。 小杉: 太陽に向かって腐ってるやろ?」
  • 「未来はいつも面白い」太田光の最後の授業- てれびのスキマ

    残念ながら9月9日の放送をもって終了した『爆笑問題の大変よくできました!』。 最終回は番組レギュラーの子供たちから「太田先生に最後に聞きたかったこと」と題して質問を寄せ、それに太田が答える形式で行われた。 太田は彼らの質問に真摯にストレートに答えていく。 どうやったら心が強くなれますか? 高校の時に友達が一人もいなかった太田。そんな状態では学校に行きたくなくなるはずなのに皆勤賞。 それに驚く子供たちは「なんで行けたんですか?」と問う。 負けず嫌いだった。 と太田は答える。 当時、高校の登校拒否とかそういうのが社会問題になってたの。俺らの世代は。 そういう子供たちの学校が今度できるようになって、その子たちがテレビでインタビューに答えってたの。 その子たちはね、「今の学校は教師も良くないし、イジメもあるし……」って「教育が間違ってる」みたいなことを言ってたんだよね。 俺はそれを見ててなんか「こ

    「未来はいつも面白い」太田光の最後の授業- てれびのスキマ
    tsukitaro
    tsukitaro 2011/09/17
    君たちのお父さん、お母さんが、ずっと今まで十何歳まで育ててきた。そうすると例えば君たちが元気なさそうにしてるとさ、「学校でなんかあった?」ってピンとくるわけだよ。それが学問なんだって。
  • オリエンタルラジオが発見した「タモリの法則」 - てれびのスキマ

    6月8日に放送された『やりすぎコージー』は「やりすぎ都市伝説」4週連続の最終日。 そこで「タモリといえばやっぱり『笑っていいとも!』だ」と語り始めたオリエンタルラジオ中田敦彦のタモリに関する都市伝説は、まさに「都市伝説」というにふさわしい、幻想と驚きに満ちたものだった。 ■■-っ 『笑っていいとも!』では、大きなホテルの宴会場を使い、出演者、スタッフが一堂に会して行う大忘年会が毎年恒例となっている。 そして、その忘年会の最後には、タモリ自らが勝ち残ったものにプレゼントを贈呈するという「タモリじゃんけん」なるイベントもまた恒例になっている、という。 何度か繰り返されるという「タモリじゃんけん」。 それに勝ち残るのは至難の業で、中田も早々に負けていた。そこで、中田は何とかして勝ちたいと、タモリを「グッと観察」した。 すると、ある「法則」を発見した。 それはものすごくシンプルなものだった。 タモ

    オリエンタルラジオが発見した「タモリの法則」 - てれびのスキマ
  • 2005年のダイノジ大谷 - てれびのスキマ

    4月25日に放送された『お願い!ランキング』内のコーナー「芸人交換日記」でダイノジの大谷ノブ彦は、相方大地洋輔にある告白をした。(※以下、特に注釈のない引用は「芸人交換日記」からの引用です。) 俺からもまだ一度も大地さんに伝えてなかったこと。 (大地が)二度目のエアギター世界一をとって、TVに呼ばれるの大地だけ。2008年の頭ぐらいかな。 ダイノジを解散する方向で動いてたんだわ。 社員に相談して。大地さんはピン芸人としてエアギターを武器にタレントとして活躍してもらい俺はネタを書くのが好きだから構成作家の道を行こうと一度決めました。 いくつかの芸人としてブレイクのチャンスを得ながらも、それを完全には掴むことができず悩み続けた大谷。エアギターで脚光を浴びる相方に対しチャンスという思いよりも嫉妬が強くなってしまう*1ほど苦悩していた。 1 大谷のブログ「不良芸人日記」からは、そのどん底が2005

    2005年のダイノジ大谷 - てれびのスキマ
  • 芸能界のパスポート - てれびのスキマ

    先日放送された爆笑問題とさまぁ〜ずの『クレイジートーク』。バナナマン、ブラックマヨネーズ、次長課長をゲストに招いたいわゆる芸人パートでは、非常に興味深い話が連発していた。 その中から特に面白かった部分を厳選して2回に分けて書き起こしておきたい。 まずは、バナナマン設楽の「芸能界のパスポート」の話。 設楽: 芸能界って目に見えないパスポートみたいなのがある。でも、このパスポートって、僕が思うに、芸能界の神みたいな人から、見えないパスポートの永久を貰う人とか、期間限定のヤツとか、回数券的なヤツとか、そういう色々な種類のパスポートがある。で、これを手に入れるには、要所要所でなにかしらの出来事をクリアしてもらえたりすると思うんです。 で、僕からしたら、もう2組(爆笑問題とさまぁ〜ず)は永久パスポートを持ってる。 2組: (4人一斉に)それは持ってないわ。 設楽: この話をすると大抵、「ない」って言

    芸能界のパスポート - てれびのスキマ
  • タモリの期待を裏切らない複雑な家系- てれびのスキマ

    タモリの大きな魅力のひとつに「何となく謎めいている」というのがあると思います。 そんな中、その生い立ちや幼少期については、ほとんど人から語られたことはないと思います。 その複雑な家系が人が語りたがらない理由の一つだというのが漏れ聞こえてくるくらいです。 しかし、実は1988年の「徹子の部屋」にて、この複雑な家系について人が詳しく明かしているようです。 その要点が簡潔に分かりやすくまとめられているのがこちらのエントリーです。 ■タモリの家系に関するメモ(あんたジャージでどこ行くの) 期待を裏切らない複雑さ! 語りたがらない*1のがよく分かるその難解さ! 明かしてなお深まる底知れぬ神秘! まさにタモリミステリー! 普通、謎を解くとその魅力が薄まることが多いのですが、この話は、現代のおとぎ話と言っても過言ではないタモリ発見デビュー話と並んで、タモさんの魅力をさらに強化するものだと思います。

    タモリの期待を裏切らない複雑な家系- てれびのスキマ
    tsukitaro
    tsukitaro 2009/11/07
    「タモリの期待を裏切らない複雑な家系」タモリさんに子供がいないのはなぜだろか。
  • 演出面から見る「オレたちひょうきん族」伝説 - てれびのスキマ

    先日放送された「フジテレビの笑う50年〜めちゃ×2オボえてるッ!〜」では、数々の伝説的バラエティ番組を振り返った充実の番組だったが、そんな中でも「オレたちひょうきん族」の取り上げ方が印象に残った。 ただ名場面を流すだけではなく、例えば、鶴太郎の「おでん芸」がコント中に起きた軽いハプニングから生まれ、それをどんどん定番化し、進化させてったことを紹介している。すなわち、「面白いことは起きれば、それを繰り返して進化させていく」という演出方法に注目し、それがよく分かるように編集していたことだ。 そのことは当時、番組をディレクター(のちにプロデューサー)として作っていた三宅恵介も「人vol.11」のインタビュー小説「バラエティ番組に捧げた人生を大いに語る!」の中で述懐している。 あと「ひょうきん」で教わったのは、俺らバラエティのディレクターは、笑いを作るのが仕事じゃねえなってこと。面白いことは作家

    演出面から見る「オレたちひょうきん族」伝説 - てれびのスキマ
  • 田原総一朗の過激な青春- てれびのスキマ

    田原総一朗といえば、最近は「割と朝までやってる人」(千原ジュニア)というイメージしかないかもしれない。 しかしながら、彼は若き頃、今の放送コードぎりぎりな芸人あるいはアングラ劇団、パンクロッカーなどなどが束になっても敵わないような過激すぎる活動をしていた。しかも会社員時代に。 そんな田原が5月27日に放送された「クメピポ」に出演し、当時のことを振り返っていた。 田原は1964年から1977年まで東京12チャンネル(現・テレビ東京)でディレクターとして、ドキュメント番組などを制作していた。 「他局がオンエアできないような番組を作ろうと思った」という田原。 テレ東ってテレビ番外地って言われたの。誰も(チャンネルを)12まで回しませんよ。 だからそこで見てもらうためには他の局が絶対やらないようなものをやらなきゃダメ。 しかもね、そりゃ、NHKやTBSは(スタッフも)能力があるのが行ってる。 テレ

    田原総一朗の過激な青春- てれびのスキマ
    tsukitaro
    tsukitaro 2009/06/01
  • 2009-03-06 - てれびのスキマ 「有吉弘行のブレイク論」

    3月5日に放送された「アメトーーク」では「今年が大事芸人」として昨年ブレイクした芸人が数多く出演し昨年を振り返りっていた。ご覧になった方も多いかと思うが、あまりにも有吉弘行が見事に自分の置かれた立場を的確に分析し、それを言葉にしていたので書き留めておきたい。 まず有吉はブレイクするまでの軌跡を以下のように名付けた。 2007年8月  「おしゃクソ事変」 ↓  売れっ子の品川に牙を剥き浮上。 ↓ 2008年前半 「おしゃクソバブル」 ↓  「文句を言ってれば良し」という凄く楽な時期 ↓ 2008年中盤 「あだ名面倒臭い時期」 そして、有吉は「あだ名面倒臭い時期」に至った後、だんだんとやりにくくなってきている現状を具体的なエピソードを明かし訴える。 どこででもあだ名をつけてくれって言われるようになったんですよ。 ここ(「アメトーーク」)でやってるうちは良かったんですけど特徴も何もない人間につけ

    2009-03-06 - てれびのスキマ 「有吉弘行のブレイク論」
    tsukitaro
    tsukitaro 2009/03/06
    ブレイクとは、バカ(大衆)に受け入れられること。そしてバカはとても飽きやすい。この発言で、一瞬空気が凍ったよね。
  • 2008-08-10 個人的なメモ・記録 - てれびのスキマ

    このところ、お笑い関係で立て続けに、素晴らしい名文や名歌詞が発表されたので、自分用に記録しておきたい。 森田一義の弔辞(赤塚不二夫さんの葬儀・告別式より)8月7日午前 8月の2日に、あなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが、回復に向かっていたのに、当に残念です。われわれの世代は、赤塚先生の作品に影響された第一世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクターは、私達世代に強烈に受け入れられました。 10代の終わりから、われわれの青春は赤塚不二夫一色でした。何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていたときに、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは、今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫がきた。あれが赤塚不二夫だ。私をみている。この突然の

    2008-08-10 個人的なメモ・記録 - てれびのスキマ
    tsukitaro
    tsukitaro 2008/08/10
    個人用記録なら、公開しちゃだめ。
  • 「ボーイズ・オン・ザ・ラン」~童貞作家寺坂直毅(イマヒガチルドレン)の恋- てれびのスキマ

    「現在日お金でおっぱいを見せる女性は何人いるのか?」という調査に名乗りを上げたのは放送作家、寺坂直毅(27歳)。 この男、今回のリサーチに並々ならぬ情熱を持っていた。なぜなら彼は童貞。 「なんで27歳にもなって童貞なの?」の問いに「一番大きい理由はタイミングだと思います」と言い、長々と童貞らしい理屈っぽい発言をする。 童貞である彼は、成人雑誌ですらあまり見たことがない、性に対して潔癖な考え方の持ち主で、おっぱいで稼ぐ人への嫌悪感が人一倍強い。 なんでおっぱいを出すのかの理由を探るため直接おっぱい産業で働く女性に取材を試みる寺坂。 この取材の過程で一人の女性と出会ったことで、この企画の様相が大きく変わっていくことになる。 (注:ここから重大なネタバレを含みます!) それが、ヘルス嬢のさおりという女性だ。 彼女の話を聞くうちに、彼女に歌手になる夢があることや、田舎が近いこと*1などを聞き次

    「ボーイズ・オン・ザ・ラン」~童貞作家寺坂直毅(イマヒガチルドレン)の恋- てれびのスキマ
  • てれびのスキマ - 今日の動画:カバー曲が好き

    たいてい元の曲が完成されていればいるほど、カバーすれば「原曲レイプ」なんて言われるカバー曲。 そりゃ、普通に比較すれば原曲のほうがしっくりくるのは当たり前だとは思うけど、そういう野暮な比較をさせないような、その曲の違った魅力を引き出しているカバーがとっても魅力的だと思うのです。 桑田佳祐「LOVEマシーン」(モーニング娘。) いや、もう凄いとしか。ホントにサザンの曲かと思うくらいに。 グループ魂「ギンギラギンにさりげなく」(近藤真彦) グループ魂のコントのノリが合わない人も、3:15付近から始まる曲は是非聴いてほしい。かっこいい。 YUKI「ファイト!」(中島みゆき) この曲は多くの人がカバーしているけど、あまりに曲が強すぎて中島みゆき以外どうも個人的には合わない感じだったんだけど、これはイイ。 和田アキ子「タイガー&ドラゴン」(クレイジーケンバンド) 今回の「違った魅力を引き出す」カバー

    てれびのスキマ - 今日の動画:カバー曲が好き
    tsukitaro
    tsukitaro 2008/05/26
    カバーは同格以上のアーティストがやんないと、名曲の知名度を利用した宣伝行為に見えてしまう。カバーと言いながら実際は単なるコピーだったりするパターンもあったり。
  • 赤塚不二夫が語るタモリの居候生活

    タモリがデビュー前、赤塚不二夫宅に居候をしていたことは有名な話だけど、こちらに書かれているように、「笑っていいとも!」でもその秘訣を明かしている。 「卑屈になるな」 「こいつはもしかしたらすごい奴なのかもしれないと家の人に思わせる」 これを実践し、タモさんは、赤塚から小遣いとして月20万をもらいながら、我が家のように生活していた。 スカパーのテレ朝チャンネルの「徹子の部屋classic」で、1981年に放送された赤塚不二夫がゲストの回で、当時のタモリとの生活について語っていた。 徹子 「タモリさんにアナタ、おうちを乗っ取られてたじゃない?」 赤塚 「1年ぐらい(笑)」 徹子 「アナタ(が逆に)、こそこそ居候のように。スタジオの隅で寝たりして」 赤塚 「僕は仕事場で寝てたりしてね。自分の洋服取りに行くときにね、電話かけたりしてね。『今からいってもいいでしょうか?』なんていってね(笑)。それで

    赤塚不二夫が語るタモリの居候生活
  • いよいよ幻のタモリ音源、再発売間近!

    ついに、12月19日に復刻を果たすタモさんの音源「TAMORI」「TAMORI2」「ラジカル・ヒステリー・ツアー 」。みなさん、もうご予約はお済みですか? 気分を盛り上げるためにも「クイック・ジャパン (Vol.41)」のタモリ特集から小田嶋等による「タモリ音源ガイド」より引用し、それぞれのCDを紹介します。 ■タモリ タモリposted with amazlet on 07.12.16タモリ Sony Music Direct (2007/12/19) 売り上げランキング: 56 Amazon.co.jp で詳細を見る これがとにかく一発目に打ち込まれたクサビだ。音楽家の場合でもファースト・アルバムはそれまでの経験やアーカイヴがすべて集約されるため、非常に濃縮されるものだ。この「タモリ」も例外でなく、それまで酒場やTVラジオで繰り広げられていただろうネタの濃縮オンパレードが聴ける。タモリ

    tsukitaro
    tsukitaro 2007/12/17
    タモリ3復刻のニュースかと早とちりしたじゃないですか!