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人生と言葉に関するtsuneaki02のブックマーク (8)

  • 「真実を求めよ! 真実らしさを求めるな!」:日経ビジネスオンライン

    この「生きるための古典」、岡さんが言うところの「できそこない」のためのブックガイドが、この度、ついに書籍になりました。「日経ビジネスオンライン」に於いては異色のこのコラムがの形になれたのは、ひとえに、欄の「垂直の言葉(今回の記事参照)」を愛して読んで下さった皆様のおかげです。岡さんになりかわり、担当編集Yより深く感謝を申し上げます。 のタイトルは『強く生きるために読む古典』。連載の中から岡敦さん自ら厳選した回を、さらに大幅に加筆しています。ぜひご覧下さい。そして願わくば、貴方の友人として、棚の中に永く留まりますことを。(Y) ※また、岡さんによる連載と「原典で読む哲学・思想書ガイド」が載った日経ビジネスアソシエ「大人の教養2011」もいま店頭に並んでおります。ガイドよりも、読みやすい原書に体当たりする方が間違いなく面白い、と岡さんが語っています。どうぞ併せてご覧下さい! 哲学書

    「真実を求めよ! 真実らしさを求めるな!」:日経ビジネスオンライン
  • 毎日新聞心のページ - 内田樹の研究室

    今日の毎日新聞心のページにレヴィナスについてのインタビューが載りました。 毎日新聞お読みでないかたのために、転載しておきます。 -レヴィナスとの出会いを。 三十数年前に修士論文を書いている時、参考文献として読み始めました。でも、何が言いたいのか、当時の私の知的な枠組みではまったく理解できなかった。でも、私が成長するために学ばなければならないたいせつなことを述べていることは直感的にわかった。レヴィナスが理解できるような人間になる、それがそれから後の私の目標になりました。 -レヴィナスから見たユダヤ教とは。 第二次大戦中のホロコースト(ユダヤ人大虐殺)後、多くのユダヤ人は「神に見捨てられた」という思いをひきずっていました。なぜ神は天上から介入して我々を救わなかったのか。若いユダヤ人の中には信仰を棄てる人たちも出てきました。その時、レヴィナスは不思議な護教論を説いたのです。 「人間が人間に対して

  • 「バブル」後記 - 内田樹の研究室

    「バブル」について書いたら、いろいろなところから反響があった。 もとのURLで名前が挙げられていた茂木健一郎さんも、勝間和代さんも、それぞれの意見をブログに発表している。 たぶん、このサイトの読者の多くはすでに読まれていると思う。 http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2010/08/post-be9f.html (茂木さん「さあこれから仕事だ」というときに邪魔しちゃってすみません)。 http://kazuyomugi.cocolog-nifty.com/ 私は遠藤店長の言葉のうちに「私に当てはまる批判」を見出し、そのご指摘を多として、これからは反省しよう・・・と思ったわけで、別に茂木さん、勝間さんに批判を加えたわけではない。 その点についてはおふたりともちゃんとご理解いただいていると思うので、心配はしていない。 私が批判したかったのは、日の出

  • 第23回三島由紀夫賞 受賞者自身による【略歴】- 東浩紀|新潮|新潮社

    第23回三島由紀夫賞 受賞者自身による【略歴】 東浩紀 一九七一年東京に生まれる。成績がよかったので筑波大学附属駒場に通う。また成績がよかったので東大文Iに進学する。このままでは法学部に行くことになるぞ、という時期になりようやく真剣に将来について悩みはじめる。二〇歳の秋、法政大学で教鞭を執っていた柄谷行人のもとに人生相談に行くが、阪神の話しかされず、一念発起して書いた文章が人生最初の評論。それが意外なことに『批評空間』に掲載されることになり、舞い上がって悩むのを止める。快調に大学院に行き博士号を獲得。博論と同じ文章を出版して一九九八年にデビュー。同年直前に結婚もしており順風満帆に思えたが、人生について考えてこなかったツケがついに回り、遅れたアイデンティティ危機に陥る。そもそもおれ、思想とか評論とか好きじゃなかったんじゃね?的な気分になり批評空間派を離脱。流浪のサブカル漫遊の旅に出る。二

  • http://twitter.com/hatoyamayukio/status/16265390887

    http://twitter.com/hatoyamayukio/status/16265390887
  • http://twitter.com/hatoyamayukio/status/16213064980

    http://twitter.com/hatoyamayukio/status/16213064980
  • 言葉の力 - 内田樹の研究室

    ツイッターで「言葉の力」と題する原稿を書いたとつぶやいたら、「読みたい」というリクエストがたくさん(三通)あった。 専門的な媒体に書いたので、ふつうの方の眼に触れる機会は少ないであろうから、リクエストにお応えして、ここにその一部を抄録することにする。 力とは外形的数値的に表示できるものではなく、ほんらいは内在的・潜勢的な資質であろうという話のあとに、こんなふうに続く。 たとえば「胆力」というのは、つよいストレスに遭遇したとき、その危地を生き延びる上で死活的に重要な資質だが、それは危機的状況にあっても「ふだんと変わらぬ悠揚迫らぬ構え」をとることができるという仕方で発現される。 つまり、外形的に何も変わらない、何も徴候化しないということが胆力の手柄なのである。だから、「チカラ」をもっぱら外形的な数値化できる成果や達成によって計測することの望む人の眼に「胆力」はたぶん見えない。 当然ながら、彼ら

  • 死ぬ言葉 - 内田樹の研究室

    入学式。 私にとっては、「最後の入学式」である。 讃美歌412番を歌うのも、学長院長の「お祝いのことば」を聴くのも、これが最後である。 4月5日。あと360日。 朝起きるたびにカウントダウンの針が進んでゆく。 今年経験することはすべて「大学最後の経験」である。 そうやって見まわすと、目に映るすべてのものが儚く、移ろいやすく、いとおしいものに思えてくる。 邦の古人はこの感懐を好んだようである。 「美的生活」というのは別に書画骨董を愛玩したり、歌仙を巻いたり、文人墨客と賺した話をすることではない。 そうではなくて、「目の前にあるこれは、いずれ消え去って、あとをとどめない」という人事万象の「無常」を、その「先取された死」を「込み」で、ご飯をべたり、働いたり、遊んだり、つくったり、こわしたり、愛したり、憎んだり、欲望したり、諦めたりすることではないかと私は思う。 なぜ、「生け花」と「プラスチッ

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