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「常識(パブリックルール)」が弱い、とはどんな状態か? - 悩みは、心の外にある
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「常識(パブリックルール)」が弱い、とはどんな状態か? - 悩みは、心の外にある
前回、トラウマを負っている方は、「常識(パブリックルール)」が弱い と書きましたが、これは、もち... 前回、トラウマを負っている方は、「常識(パブリックルール)」が弱い と書きましたが、これは、もちろん俗に言うような意味で「常識がない」ということではありません。 (参考)→「自我と常識(パブリックルール)が弱い」 むしろ、他人からどう思われているか? 迷惑をかけていないか? をものすごく意識しています。 「過剰適応」という言葉があるように、常識やルール、マナーということは意識しすぎるくらいに意識している。 過剰なくらい”常識的”です。 しかし、ここからが問題ですが、 一方で、自分がどこか変だ、と感じている。 なぜか、自分がマナーや常識というものがわからない感覚があって、それを人から指摘されるのではないか?と恐れている。 だから、過剰に意識しているのです。 (参考)→「自分がおかしい、という暗示で自分の感覚が信じられなくなる。」 さらに、トラウマを負った人が考える「常識」とは、他人の考えを忖