儲からない食堂車 ビュフェは東海道新幹線にも踏襲されました。とりわけ車体幅が広がったことで、新幹線ビュフェでは座席にいながら食事ができ、電子レンジの実用化も相まって迅速に食事が提供されたことは画期的でした。 食堂車はこの時期から増えた、電車・気動車の特急にも連結されます。途中で分割併合する特急「白鳥」には2両の食堂車があり、乗客が食べ比べを楽しんだとか。私鉄の伊豆急行も、1961年から「スコールカー」と呼ばれる食堂車を導入するなど、次々に新車が登場します。 拡大画像 京都鉄道博物館に収蔵されている、1970年に製造された国鉄20系客車ナシ20形(安藤昌季撮影)。 表向きには、この時期が食堂車の全盛期だったでしょう。しかし食堂車とは、外国の事例も含めて儲かるものではありません。開業から1年しか経たない東海道新幹線ビュフェでも、担当した帝国ホテルが「利用者の回転率が悪く、儲からない。宣伝どころ