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ヘーゲルに関するtsuwatchのブックマーク (3)

  • ジジェクのヘーゲル読解と柄谷行人、あるいは統整的理念

    いちばんよく知られているハリウッド神話の一つに、『カサブランカ』のラストシーンんい関する神話がある。それによると、撮影が始まってもまだ、監督とシナリオライターたちは、どういう結末したらよいのか迷っていたという(イングリッド・バーグマンが夫といっしょに去る/バーグマンがボガードといっしょに留まる/男の一方が死ぬ)。 もちろん、その問いに対する唯一の答えはこうだーーー事件が線的かつ「有機的」に継起するという印象が幻想であり(その幻想は必要不可欠なのだが)、その幻想が、結末こそがそこにいたるまでの出来事の全体に遡及的にretoroactively整合性を与えるのだ、という事実を隠蔽しているのである。(鈴木晶訳) The only answer is, of course, that the experience of a linear "organic" flow of events is an

  • 即自・対自・対他(そくじたいじたいた)とは? 意味や使い方 - コトバンク

    即自・対自・対他 そくじたいじたいた ドイツの哲学者ヘーゲルが用いた哲学用語。「即自」an sichは物事の直接態、他とのかかわりによって規定される段階にまで達していない未発展の相をさす。したがって、認識する主観に対してまだ発現していない「潜勢態」、また自己自身への反省的関係を欠くという意味で「無自覚態」の意ともなる。たとえば、子供は理性の即自態である。「即自」は、他と交渉し、そこに自己の自立性を失う「対他」für andersへと発展する。子供が大人の命令に従うのは、自己の内なる理性を、他者の側にもつからである。さらに「対他」から、自己自身と関係することによって、自己を取り戻す段階である「対自」für sichへと発展する。子供は理性を身につけることによって自立する。理性を身につけるということは、自己の内なる即自的理性を自覚することである。理性を自覚することは、身に即して理性を発揮するこ

    即自・対自・対他(そくじたいじたいた)とは? 意味や使い方 - コトバンク
  • 即自存在とは??? - 、「即自存在」とは、それが何ものであるかを規定されて存在しているものを言います。例えば、ペンやナイフなどの道... - Yahoo!知恵袋

    「対自」という概念はサルトルがヘーゲルの提示した概念に沿って自己流に少しアレンジしたものなので、ヘーゲル流の難解さがありますね。(ヘーゲルは簡単に述べればよいことも難しそうに説明してもったいをつける俗物精神の持ち主だと思います。) 非常に大雑把にいうと、存在というものをAとしたとき、Aと¬¬A(=A)しか考えない存在を「即自存在」といっているようです。(¬は否定の意味。)よって、「即自存在は完全に自己充足している」とか「即自存在には一切の欠如もない」などと言われます。¬Aを取り込まない考え方なのですから、論理的にも当然ですね。 一方で、「対自存在」はAと¬A(の一部)を包括する存在のことで、人間の意識を対自存在と規定することにより、常に自己意識の外部への拡張、社会(自己の外)へのかかわりを積極的に意味のあるものとするところが、サルトルの一番の特徴ではないかと思います。その思想を実際の生活の

    即自存在とは??? - 、「即自存在」とは、それが何ものであるかを規定されて存在しているものを言います。例えば、ペンやナイフなどの道... - Yahoo!知恵袋
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