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宇野常寛に関するtsuwatchのブックマーク (14)

  • 宇野常寛と脱洗脳――小さな成熟へ向かって - A Mental Hell’s Angel

    宇野常寛は東浩紀ファンを非モテ理論武装系レイプファンタジー人間として批判した。最初からレイプしたいのにそれを倫理的に偽装しているという捻れの問題化である。東からその実在性を再批判されていたが、Twitter、ブログ、オフ会などの僕の観測範囲内では、実在すると言って良い。東クラスタは私見では非モテかメンヘラ女子ハンターが多いように思われる。ちなみにザ☆ルサンチマンハンター小野というWEB漫画があるのだが、これは宇野常寛とその周辺の言説空間への批評として優れている。http://rusahan.web.fc2.com/ 宇野常寛はルサンチマンに対して「小さな成熟」を推奨する。例えば卑近な例を挙げれば、もし当は三次元の女と付き合いたいのに自分に嘘をついてエロゲをやっているのだとすれば、「素直」にそれを口にし漸進的に努力すべきだということである。これは決断主義的トークラジオAliveにて何度も主

  • 【さやわか×東浩紀×海猫沢めろん鼎談】「10年代の状況とコンテンツ」 - イベントレポート | ジセダイ

    2010年代を「残念」というキーワードで総論した『一〇年代文化論』を、4月に星海社新書から上梓した評論家・ライターのさやわか。「さやわか式現代文化論」は、そんな彼が、昨年11月から毎月、作家・思想家の東浩紀が運営するイベントスペース・ゲンロンカフェにて行っているトークイベントだ。 7月12日に開かれた第9回目は、デビュー作にして伝説のカルト作と名高いエログロメタ美少女ゲームミステリ『左巻キ式ラストリゾート』が6月に星海社で文庫化された、作家・海沢めろんと、このに解説を寄せた東浩紀をゲストに迎え、「コミュニケーションは想像力を超えるか----ゼロ年代の終わりと10年代の行方」とのタイトルで行われた。 イベントタイトルにある「想像力」とは、コンテンツと言いかえることができるだろう。東浩紀は前述した星海社文庫版『左巻キ式ラストリゾート』の解説において、コンテンツとコミュニケーションを対比させ

    【さやわか×東浩紀×海猫沢めろん鼎談】「10年代の状況とコンテンツ」 - イベントレポート | ジセダイ
    tsuwatch
    tsuwatch 2014/12/07
    コミュニケーションの優位性ってこのまま続くのだろうか
  • 倉津拓也×はるしにゃん対談「今こそ東浩紀を読み返す」 - A Mental Hell’s Angel

    2014-11-30 倉津拓也×はるしにゃん対談「今こそ東浩紀を読み返す」 ーーー ※これはかつて『イルミナシオン』という同人誌に掲載した、倉津拓也さん(@columbus20) とはるしにゃん (@hallucinyan) の、東浩紀に関する対談です。二年前のものなのでブログに再掲。お読みになる前の注意書きとして、当時僕は二十一歳だったので若さゆえの誤りなどがあるということと、二年前のものなのでいまの僕の考えとは異なることも記述されているという二点を留意していただき、それでもよろしければ御覧ください、と述べておきます。ちなみに現在もじつはこのあいだの文フリで東さんにきちんとご挨拶したりもしてきたのですが、現在は信者ではないという断り書きも添えておきます。 ーーー H(はるしにゃん):今回の対談は東浩紀の処女作である「ソルジェニーツィン試論」から、近年の「一般意志2.0:までの流れを追って

  • 東浩紀「WEB文学論」早稲田大学 ゼロ年代の想像力 ほしのこえ

    指定テキスト『動物化するポストモダン』『ゲーム的リアリズムの誕生』 次回講義 http://togetter.com/li/26398 丸山真男 仮面ライダーディケイド 文責・採録責任:[削除] 編集・構成:@millionsage

    東浩紀「WEB文学論」早稲田大学 ゼロ年代の想像力 ほしのこえ
  • 東浩紀「セカイ系はゼロ年代の文学。評価できるがその『無力さ』に批判もある。」 : 庵野秀明と押井守とジブリの世界

    1 名前: ヘラチョウザメ(千葉県)[sage] 投稿日:2010/05/27(木) 23:00:44.91 ID:GNju5ilm 東浩紀 (三島賞作家・早稲田大学教授) 東「先週の復習を軽くすると、ゼロ年代は物語の困難に陥った時代であり、物語ゼロ、 メタ物語、セカイ系の3つが生まれた時代であると」 東「セカイ系に対する批判というのは、女の子が出てきて男の子が出てきてなんか 戦争してる、内容ないじゃん、内容書けよ、みたいなものだったんですけど、 宇野くんの『ゼロ年代の想像力』におけるセカイ系批判っていうのは違ったんです」 東「宇野くんによれば、1995年~2001年までがセカイ系が想像力として有効だった時代で、 それ以降――宇野くんによれば、小泉政権が分岐点なんですが――ネオリベの時代、 東「「決断主義」「バトルロワイヤル」的な想像力の時代になったということです」 東「『決断主義』『バト

    東浩紀「セカイ系はゼロ年代の文学。評価できるがその『無力さ』に批判もある。」 : 庵野秀明と押井守とジブリの世界
  • 東浩紀の伝言ゲーム――アーキテクチャー論をめぐる、大塚英志との論戦について|しんかい37(山川賢一)

    大塚VS東 大塚英志と東浩紀の対談集『リアルのゆくえ』には、〇一年から〇八年にかけて行われた四の対談が収められている。まずは〇一年の、大塚の発言からみてみたい。 ……まあおたく産業でおたくが気持ちよく引っかけられてることに水差すのは無粋かもしれないけれど、それが別の水準、たとえばやっぱり国家には権力システムはあるわけでしょう。それは自分が認知する、しないというレベルでは済まないと思うんだけど、そこに対する問題設定が見えてこないんだよね。(『リアルのゆくえ』、p25) 東によれば、「動物化」したオタクは、作品に「萌え要素」の「データベース」を求めているだけであり、作家の意図だとか、企業のマーケティング戦略などには無関心である。そして東は、こうしたふるまいがアニメやゲームの消費にとどまらず、ポストモダンの人々の生活態度すべてに及ぶことを匂わせてもいた。 すると、もし東のいうとおりなら、ポスト

    東浩紀の伝言ゲーム――アーキテクチャー論をめぐる、大塚英志との論戦について|しんかい37(山川賢一)
  • ニコ動はなぜ荒れにくい? 「コネのシステム化」が”いじめ”のない労働環境をもたらす - 宇野常寛×吉田浩一郎

    ニコ動はなぜ荒れにくい? 「コネのシステム化」が”いじめ”のない労働環境をもたらす - 宇野常寛×吉田浩一郎 クラウドソーシングが変える労働と社会保障 #2/6 3.11が引き起こした正社員神話の崩壊、若者の働き方の変化など、日の労働を取り巻く環境は大きく変わってきています。『静かなる革命へのブループリント』の刊行を記念した特別対談にて、著者の宇野常寛氏とクラウドワークス・吉田浩一郎氏がこれからの労働と社会保障について語り合いました。 クラウドソーシングが持つ当の可能性 宇野:やっぱり、個人が直接市場と向き合うって、ずっと悪いことだとされてきたんですよね。 吉田:なるほど、確かに。 宇野:社会思想とかそういう世界では、個人が直接マーケットにぶつかったら、超弱肉強の北斗の拳みたいな世界になって弱い人は死んでしまうと思われていた。「現実世界にケンシロウはいない、ラオウしかいないから弱い個

    ニコ動はなぜ荒れにくい? 「コネのシステム化」が”いじめ”のない労働環境をもたらす - 宇野常寛×吉田浩一郎
  • 名曲「太宰治を読んだか」に綴られた秋元康の考える〈文化〉の本質とは?

    名曲「太宰治を読んだか」に綴られた秋元康の考える〈文化〉の質とは? 宇野常寛のオールナイトニッポン0 宇野常寛:宇野常寛のオールナイトニッポン0(ZERO)日の2曲目は、NMB48で『太宰治を読んだか?』でした。この曲は秋元さんの歌詞がいいと思うんですよ。この歌詞の物語というのは、多分思春期くらいの生きる意味とかについて、思わず悩んじゃうような主人公、多分男の子だと思うんですけど。彼がある日、おそらく知り合ったばかりの友達に「太宰治を読んだか?」っていう風に薦められるんですよね。 歌詞にははっきり書いてないんだけど、この主人公って多分ちょっと見栄を張ったと思うんですよ。そして、「自分は読んだよ」って嘘をついたと思うんですよ。で、その友達っていうのは彼にとってすごく魅力的でこれから仲良くなりたいと思ってる。そして、彼にあまりを読んでないと思われたくなかったんだと思うんですよね、この主人

    名曲「太宰治を読んだか」に綴られた秋元康の考える〈文化〉の本質とは?
  • 宇野常寛さんの『叛逆の物語』評論と、僕がそれに納得できなかった話。: \(^ω^\Ξ/^ω^)/

    まどか☆マギカ新編、『叛逆の物語』のネタバレを含んでいます。 まずは宇野さんの『叛逆の物語』評について、「宇野常寛のオールナイトニッポン」(11月8日金曜深夜)で聞いた内容を以下に簡単にまとめてみます。 新編は途中まで、TV版と同じようなことをやっている。つまり、繰り返す時間(現代社会の比喩みたいなもの)の中に囚われていて、そこから脱出すると「どうやって成長したらいいのか」みたいなイメージを掴める。新編でほむらは、まどかへの思いをきっかけに繰り返す世界から脱出していく。そこで鍵になるのは同性同士の友情。ここまではTV版でも描いたものを角度を変えて掘り下げただけ。 新編にはここから先がある。ほむらは、まどかがTV版で自分を犠牲にして作った平和を一部ひっくり返し、台無しにしてしまう。ほむらはそれでかまわないんだという決意をする。 これはどういうことか。まどかが作った世界は、誰も傷つかないで済む

  • TEDのおすすめスピーチを日本語書き起こし(800件) - ログミー

    TEDのおすすめスピーチを日本語書き起こし(800件) - ログミー
    tsuwatch
    tsuwatch 2013/11/12
    おもしろい
  • 【書評】日本文化の論点/宇野常寛 ★★★☆☆ - いいんちょさんのありゃあブログ

    『ゼロ年代の想像力』や『リトル・ピープルの時代』で知られる批評誌PLANETS主催の批評家・宇野常寛の新著。 日文化の論点 (ちくま新書) 作者: 宇野常寛出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2013/03/05メディア: 新書購入: 1人 クリック: 17回この商品を含むブログ (23件) を見る 【目次】 序章 〈夜の世界〉から〈昼の世界〉へ 論点1 クール・ジャパノロジーの二段階論――集合知と日的想像力 論点2 地理と文化のあたらしい関係――東京とインターネット 論点3 音楽消費とコンテンツの「価値」 論点4 情報化とテキスト・コミュニケーションのゆくえ 論点5 ファンタジーの作用する場所 論点6 日文化最大の論点 終章 〈夜の世界〉から〈昼の世界〉を変えていくために あとがき 付録 『日文化の論点』を読むキーワード 内容(「BOOK」データベースより) 情報化の進行は、二

    【書評】日本文化の論点/宇野常寛 ★★★☆☆ - いいんちょさんのありゃあブログ
  • 宇野常寛さんの「富野由悠季」観 囚人022の避難所

    最近、twitterなどというものを始めてしまって、そのへんでブツブツつぶやいていると、何か話したいことは話してしまったような感覚もあり、気がつけば12月ももう半ばなのに、今月初めての記事じゃあるまいか。(笑) だいたい12月というのはあれもこれもと気ぜわしく、1年で一番嫌いな季節といってもいいのです。定番BGMは中島みゆき『十二月』 on 「グッバイガール」(歌詞はこちらに。)。 何しろ書きかけている記事はいくつもあり、たいした内容でもないのだけど、書き上げようという気力が湧かないのであります。 twitterでは氷川竜介さんや藤津亮太さん、小黒祐一郎さんの話などをいつも興味深く読ませていただいてますが、最近、宇野常寛さんが富野アニメに言及されたツイートが面白かったので、今日はちょっと勝手に編集してメモしておこうかと。 「エヴァ」の思い出 全話リアルタイムで見ている。しっかりハマっていた

  • 理系でも分かる!宇野常寛氏の新刊を読んでみた - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記

    最近、理系も人文系のを読もう運動を提唱している僕ですが、とはいっても自分自身もここ数年で大塚英志氏と東浩紀氏のの何冊かをちょっと読んだというぐらいだから、語る資格は来ない。 とはいえ似た境遇にある理系的な人間の人文書アレルギーを多少は解消する助けになることは書けるかもしれないと思い、最近、話題になっているらしい宇野常寛氏(以下敬称略)の新刊「リトル・ピープルの時代」の感想などを理系人間的に試みてみたい。 最初に断っておくが、このは数年前の僕だと読めなかった類のものだ。しかし、慣れたのか、いまはなんとなく内容が理解できる気がする。実はこのは献されたらしく、ある朝、ひさしぶりに会社に来たら机の上に置いてあった。筆者なのか出版社なのかわからないが、僕なんかに読ませてどうしようというのか。だいたい、貰わなくても自分で買うつもりだったから売上げを一冊減らしていることになる。申し訳ないから

    理系でも分かる!宇野常寛氏の新刊を読んでみた - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記
  • 文学を拡張せよ:濱野智史さんによる書評 | PLANETS/宇野常寛 第二次惑星開発委員会

    宇野常寛が書で論じているのは、おおよそ次のようなことである。冷戦終結後、経済のグローバル化と情報ネットワークの浸透が進んだいま、かつてオーウェルが『1984年』で描いた「ビッグ・ブラザー」の問題――イデオロギー装置としての国民国家――は完全に退潮した。それにかわって台頭しているのは、民主主義/資主義社会の日常に巣う、無数に蠢く匿名的な悪としての「リトル・ピープル」である。宇野の見立てによれば、村上春樹は『1Q84』の中でこの問題を描こうとしたが、それは結局のところ「父」をめぐる【家族小説/ファミリーロマンス】の水準に留まり、全く別の『平成「仮面ライダー」』シリーズこそが、この「リトル・ピープル」の存在に肉薄する文学的想像力を展開していたというのである。 こうした宇野の見立ては、村上春樹と仮面ライダーというあまりにもかけ離れた二つを組み合わせているために、実に壮大奔放な試みに見える。し

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