MIYADAI.com Blog (Archive) > 映画評:キム・ギドク監督『メビウス』、C・ノーラン監督『インターステラー』、虚淵玄脚本『楽園追放』 « 「ドイツ哲学的人間学と最先端の社会科学」の中編です(前回の前編に続きます) | 「ドイツ哲学的人間学と最先端の社会科学」の後編です(前編と中編に続きます) » ──────────────────────────────────── 映画『メビウス』は男根に〈対他強制〉としての性を見出し、男根争奪戦を嘲笑する ──────────────────────────────────── 【人間的であろうとして人間を滅ぼすロボット】 ■社会思想家J・ハーバマスが人間と非人間の境目についてこう述べた(『人間の将来とバイオエシックス』原著2001年)。人間の遺伝子操作を可能にする科学をどう見るか。人文科学の伝統は「人間的とは何か」を探求する