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旧植民地と文化資源に関するtsysobaのブックマーク (14)

  • 第4回:「停滞する今」のことを考えていたのではないが、考えていたことにする7月 - 平成30年論 | ジセダイ

    月一回の掲載と言いながら、しばらく滞っていたのは、何かを考えていたのではなく、そういうことが書いてあるとわかっていながら、泥沼であることはわかっているので遠ざけていた、戦時下の陸軍と東宝の映画資料にとうとう手を出して、案の定、深みにはまってしまったからだ。次から次へと調べることが出て来る。まあ、楽しいったらありゃしない。資料の落札で、100万近く久々に使ったし。 資料というのは、戦時下上海で東宝が陸軍の指示で行った文化工作の詳細を、お金の動きまで記録した東宝上層部への報告書を含む戦時下東宝の内部資料だ。それを補完する資料を手に入れて、「体」を持っている持ち主とセットにして資料の全体像が復元できた。この映画会社が当に国策工作機関だったのだと生々しく伝わってくる。 工作の内容はえげつないというか、上海に侵攻した陸軍が偽装中国映画を、東宝を介して制作させた記録だ。公開すると、中国映画として製

    第4回:「停滞する今」のことを考えていたのではないが、考えていたことにする7月 - 平成30年論 | ジセダイ
    tsysoba
    tsysoba 2018/08/10
    前半の「戦時下上海で東宝が陸軍の指示で行った文化工作の詳細」の話の続きがめちゃ気になる。
  • 戦時中の日本の南進論 関連資料が台湾に (2017年5月5日) - エキサイトニュース

    (台北 5日 中央社)国立台湾図書館(新北市)で4月末から始まった特別展で、日統治時代の日政府が残した南方資料が公開されている。 70年以上前に日政府が南進政策を推進したさい、膨大な東南アジアの資料を集めた。 計画的な資料収集の背後には、領土拡大の野心があったが、学者たちはそれでも南方に深く分け入り、多くの資料を収集、科学的な研究の基礎を築いた。 当時日に統治されていた台湾も南方進出の重要拠点で、台湾総督府は1940年に「南方資料館」を成立させた。資料館は戦後には中華民国政府に接収されたが、文献は紆余曲折の後に国立台湾図書館に所蔵されることとなって現在に至る。 同図書館によると、これらの資料は大変に貴重な所蔵品であるため、平素はめったに公開されない。特に1705年に出版されたルンフィウス著「アンボイナ珍品集成」は、オランダ東インド会社による東南アジアの動植物研究の成果をまとめたもの

    戦時中の日本の南進論 関連資料が台湾に (2017年5月5日) - エキサイトニュース
    tsysoba
    tsysoba 2018/03/01
    台湾総督府の南方資料館旧蔵資料とのこと。
  • 日本統治時代の油絵を修復 台湾・台南の美術館で展示へ - フォーカス台湾

    台南市政府文化局が台南芸術大学(台南市)に委託して実施した、日統治時代に描かれた油絵の修復作業がこのほど完了した。油絵は、現在建設工事が進められている台南市美術館で展示される予定。同美術館は来年7月の竣工を見込んでいる。

    日本統治時代の油絵を修復 台湾・台南の美術館で展示へ - フォーカス台湾
  • 拓魂碑に冥福祈る 旧満州開拓団関係者 | 河北新報オンラインニュース

    旧満州(現中国東北部)で開拓に従事した宮城県大崎市鹿島台の開拓団関係者と、住民でつくる「鹿島台歴史研究会」の会員たち計16人が20日、同市鹿島台にある拓魂碑にお参りした。  開拓団員たちは1945年8月、旧ソ連軍の侵攻で厳しい逃避行を強いられ、多くの犠牲者を出した。生き残った団員による「鹿島台拓友会」と鹿島台町(当時)が、1977年に碑を建立。以来、関係者が毎年8月に参詣している。  一家で満州に渡った遠藤みさ子さん(88)と、妹の小畑よし子さん(82)らが参列。碑に供え物を捧げ、全員で黙祷(とう)して犠牲者を追悼した。  遠藤さんは「開拓団の思い出が薄れないよう、碑にお参りできてよかった。周囲の人が一生懸命協力してくれて、ありがたい」と話した。病気が回復し5年ぶりに参列した小畑さんは「来年もお参りに来たい」と述べた。

    拓魂碑に冥福祈る 旧満州開拓団関係者 | 河北新報オンラインニュース
  • サハリン 日本統治時代の建物保存へ調査 NHKニュース

    ロシア極東のサハリン南部、元の樺太には、日が統治していた時代に建設された建物がいまも多く残っていますが、老朽化が進んでいます。このため日政府は戦後70年のことし、こうした建物を保存しようと、ロシア側と共同で格的な現地調査を始めました。 一方、日側は建物の保存を通してサハリンを巡る日歴史認識についてロシア側に広く知ってもらうきっかけにしたい考えです。在ユジノサハリンスク総領事館の今村朗総領事は、ソビエト軍が終戦直前に日ソ中立条約を一方的に破棄して樺太に侵攻してきたことを挙げたうえで「日歴史認識が違うので歴史的な遺産を保存することによってロシアの方に目を向けてもらうことが重要だ」と述べ、サハリンに残る日の建物を保存する意義を強調しました。

  • 日本統治時代の墓碑から削られた「昭和」「大正」の文字/台湾 - フォーカス台湾

    高雄大学(高雄市)のドイツ人教員、オリバー・シュトライター氏がこのほど発表した研究結果により、台湾で日統治時代の墓碑に書かれた日の年号が、戦後に削られていたことが分かった。

    日本統治時代の墓碑から削られた「昭和」「大正」の文字/台湾 - フォーカス台湾
  • http://www.notredame.ac.jp/ningen/graduate/study5/study5_1.pdf

  • asahi.com(朝日新聞社):文部省と外務省、朝鮮文化財返還で対立 外交文書で判明 - 文化トピックス - 文化

    文部省と外務省、朝鮮文化財返還で対立 外交文書で判明(1/2ページ)2010年6月13日11時23分 公開された日韓会談の外交文書。「極秘」の文字が目を引き、墨の塗られた部分も多い 植民地支配期に日に渡った朝鮮の文化財をめぐり、日韓条約(1965年締結)の交渉過程(日韓会談)で日政府内部に意見対立のあったことが、公開された外交文書の研究から明らかになった。韓国の返還要求に対し、交渉促進のために応じたい外務省と、拒否する文部省(当時)という構図だった。返還を求める動きは現在も続くが、何が未解決なのか、問題のありかが浮かび上がってくる。 日韓会談の外交文書は韓国で2005年に公開された。それを受けて日で公開を求める運動がおこり、06〜08年に6万ページ近くが開示された。研究は国民大(ソウル)の柳美那・研究教授(朝鮮近代史)がまとめた。 会談は1952年に始まり第7次にまで及んで妥結。韓国

  • 檀一雄と藤山一雄・山崎末治郎 - 神保町系オタオタ日記

    檀一雄は、昭和15年12月召集解除となるが、再召集をおそれ渡満。翌年10月の帰国まで満洲各地を歴遊。檀の『青春放浪』によれば、満洲で知り合った知識人として、藤山博物館長、山崎図書館長、杉村満日文化協会理事、武藤弘報処長らをあげている。杉村は杉村勇造、武藤は武藤富男である。藤山は館長ではなく、満洲国国立中央博物館副館長の藤山一雄だろう。藤山は、満日文化協会から昭和15年10月『新博物館態勢』を刊行している。 山崎は、新京特別市立図書館長の山崎末治郎と思われる。ちなみに、『満洲浪曼』第三輯(昭和14年7月)に山崎は「今後の民衆図書館」を、藤山は「善き玩具」を執筆。檀は、同誌第六輯(昭和15年11月)に「月地抄」(詩)を執筆している。 (参考)山崎は、『昭和人名辞典第4巻』によれば、満洲国立中央図書館籌備処事務官。佐賀県半治三男、明治42年3月15日生。大正10年日大法学部卒。東洋文庫勤務、営口

    檀一雄と藤山一雄・山崎末治郎 - 神保町系オタオタ日記
  • KAKEN - 「青島鹵獲書籍」の復元と清末民国初における独英の対中国文化接触に関する比較研究(17320091)

  • 朝鮮総督府:かかわった人々の音声記録を公開--東京・丸善丸の内本店 - 毎日jp(毎日新聞)

    学習院大学東洋文化研究所が所蔵する、朝鮮総督府にかかわった人々の聞き取り調査を行った音声記録が、東京・大手町にある丸善丸の内店4階ギャラリーで開催中の「知識は東アジアの海を渡った--学習院大学コレクションの世界」展で公開されている。音声記録は10年前から順に文章化が進められており、研究者の間では知られた存在だが、一般公開は初めて。口述記録の活用方法としても注目を集めそうだ。 調査は1958年から70年代にかけて行われ、関係者130人からオープンリール418巻分の記録に。このほどデジタル化が終了し、タッチパネル検索で資料にたどり着けるシステムを作った。 約400のテーマに分けられた記録は「政治」「教育」などの分類から検索可能。「総督府の組織と人」「宗教政策」「日韓併合と右翼」など幅広い。 2月1日まで。同展は、豊島区目白の同大資料館展示室でも開催中で学習院の歴史資料や東洋学における重要な文

  • 戦時下の美術史家−矢代幸雄の場合−(その2) - 神保町系オタオタ日記

    華北綜合調査研究所の嘱託だったのだろうぐらいに思っていた戦時中の矢代幸雄。もっと深く戦時中の北支の文化工作に関与していたようだ。大蔵公望の日記をさかのぼると、 昭和16年7月16日 六時、錦水に左の人々を招き矢代氏を中心として北支の文化工作に関し色々話す。 矢代幸雄、柴山少将、永井専学局長、関口泰、松村興文化部長、岡部子爵。 17年10月22日 一〇時、左の人々を集め、今回の旅行の結果を綜合し、北支所在の問題に付論議、綜合研究所の調査事項に付、大体の方針を定めた。伊沢、矢代、秋元、大岩。 永井は、永井浩文部省専門学務局長、関口は元朝日新聞論説委員(昭和14年11月退社)で、大蔵とともに国策研究会の理事、松村は興亜院文化部長、岡部は貴族院議員の岡部長景で、元外務省対支文化事業部長。柴山は、元漢口特務機関長で輜重兵学校長の柴山兼四郎か。昭和17年10月時点(既に研究所は設置済み)では、矢代は北

    戦時下の美術史家−矢代幸雄の場合−(その2) - 神保町系オタオタ日記
  • 満洲浪漫派? - 書物蔵

    金沢文圃閣から購入した、なかなかにレアな、日満文化協会の歴史 / 岡村敬二. -- [岡村敬二], 2006.10 に、いきなりオモシロな一節が… やっぱりアウトリーチ運動ってのは… 満洲の図書館の多くは、一九三七年一二月、満洲国治外法権撤廃に伴い満鉄から満洲国へと委譲されたが、それらの図書館は「満人」に向けての社会教育の任務まで背負わされて活動は停滞する。 あーあ、いわんこっちゃない(・∀・`;)、ってそんなこと言ってもきっちり70年おそいってか(^-^;) 図書館のアウトリーチってのは、質的にかなりムリがあって(言語の壁、識字の壁、社会階層の壁、読書慣習の壁、教材開発の困難)かのアメリカでさへ、やってみては失敗し、ということを繰り返しているものなのだが(アメリカ公共図書館史 / P.ウィリアムズ[他]. -- 勁草書房, 1991.10を読め)、やっぱりロマンの一種ではあるもんだから

    満洲浪漫派? - 書物蔵
    tsysoba
    tsysoba 2008/03/06
    うーん、いわれてみれば709はどうかなあ。あと、満鉄図書館の満洲国委譲は、確かに決定的な転回点だったと思う。
  • 新博物館態勢! - 書物蔵

    帰ったら,通販で頼んでた展覧会図録が届いてた(^-^*) 新博物館態勢 : 満洲国の博物館が戦後日に伝えていること / 名古屋市博物館. -- 名古屋市博物館, 1995.9 体500円。 これ,かなり前にジュンク堂の怪人さんか神保町のオタさんに教わったんだっけ… 古でずっと探してたんだけど見つからない(´・ω・`)と思ってたら,なんと(×o×)在庫がまだあったのだった ウレシ o(゚ー゚*o)(ノ*゚ー゚)ノ タノシ さっそく通販を申し込んだということなり これ品切れになれば専門古書店で3000〜4000円ぐらいはつけられるかも。 中身は図版たくさんでオモシロそう 4つの文章と4つのセクション,さらにbibliographyもついている(って展覧会図録だからあたりまえか) とりあえず4つの文章をここに。 野田光雄「回想」 武藤直路「50年後の長春で」 槻木瑞生「ファシズム期における

    新博物館態勢! - 書物蔵
    tsysoba
    tsysoba 2006/09/30
    「やっぱり展示会には図録がないといけません。」賛成。
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