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2012年9月2日のブックマーク (10件)

  • BLOGOS サービス終了のお知らせ

    平素は株式会社ライブドアのサービスを ご利用いただきありがとうございます。 提言型ニュースサイト「BLOGOS」は、 2022年5月31日をもちまして、 サービスの提供を終了いたしました。 一部のオリジナル記事につきましては、 livedoorニュース内の 「BLOGOSの記事一覧」からご覧いただけます。 長らくご利用いただき、ありがとうございました。 サービス終了に関するお問い合わせは、 下記までお願いいたします。 お問い合わせ

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  • アニメ「ココロコネクト」が炎上 悪趣味すぎるドッキリ企画に「いじめ・パワハラ」の声

    記事はアフィリエイトプログラムによる収益を得ています 放送中のアニメ「ココロコネクト」が炎上している。もともとは主題歌を手がけるeufonius・菊地創さんの不用意発言がきっかけだったが、ついには作品自体にも飛び火。炎上の経緯をまとめたwikiも作られ、ニコニコ動画で配信中の最新話には「いじめアニメ」「スタッフははやく謝罪しろ」といったコメントが書き込まれた。また騒動の余波を受けてか、HiBiKi Radio Stationは8月31日、「ココロコネクト 文研新聞 ~ラジオ版~」の配信を諸事情により停止すると発表した。 【いじめ】アニメココロコネクトのドッキリ企画が鬼畜過ぎると話題に【まとめwiki】 「ココロコネクト 文研新聞~ラジオ版~」配信停止のお知らせ そもそものきっかけは、eufonius・菊地さんの不用意発言だ。菊地さんは少し前に、歌手の桃井はるこさんの「わたしの夢は自分が

    アニメ「ココロコネクト」が炎上 悪趣味すぎるドッキリ企画に「いじめ・パワハラ」の声
  • 武雄市図書館・歴史資料館と武雄鍋島文庫 | yasuokaの日記 | スラド

    一昨日の「Re: 武雄市図書館歴史資料館と佐賀県公共図書館協議会」に関して、何が目的で部外者が口を挟んでくるのか、という趣旨の御叱正を複数いただいた。気付いている人も多いと思っていたのだが、私(安岡孝一)の目的は、もちろん武雄鍋島文庫だ。 武雄市図書館歴史資料館が所蔵している武雄鍋島文庫は、佐賀県立図書館の鍋島家文庫や蓮池鍋島家文庫、佐賀大学の小城鍋島文庫などと並んで、いわゆる「大」鍋島文庫の一角をなす重要な史資料群だ。個人的なことを言わせてもらえば、たとえ武雄市のTポイント情報が流出しても、私は痛くもかゆくもない。しかし、武雄鍋島文庫が流出するのは困る。もし海外流出などしてしまったら、ショックで夜も眠れない。それほど重要な史資料群なのだ。 ただし、だからと言って、武雄鍋島文庫を閲覧禁止にして、そのまま死蔵されてしまうのは、もっと困る。私も含め、それでは研究にならないからだ。つまり、流

  • Re: 武雄市図書館・歴史資料館と佐賀県公共図書館協議会 | yasuokaの日記 | スラド

    昨日の「武雄市図書館歴史資料館と佐賀県公共図書館協議会」に関して、相互貸借はTポイントの対象外とすればいいのではないか、という御意見をいただいた。実は、問題点はそこではない。 カルチュア・コンビニエンス・クラブ+武雄市図書館歴史資料館の『事業計画書』(武雄市臨時市議会資料、平成24年7月18日)の最大の問題点は、武雄市図書館歴史資料館が他機関と共同でおこなっている、いわゆる「連携事業」に関して、記述が全くなされていないことだ。つまり、武雄市図書館歴史資料館が、現在どのような「連携事業」をおこなっていて、それを今後どのように進めるのかあるいは進めないのかが、この『事業計画書』には全く記されていない。正直なところ、「連携事業」に関する事業設計はおろか、要件定義も現状把握すら行われていない状態なのだ。 その結果、この『事業計画書』には、「佐賀県公共図書館協議会」も「日博物館協会」も、あ

  • 武雄市図書館・歴史資料館と佐賀県公共図書館協議会 | yasuokaの日記 | スラド

    カルチュア・コンビニエンス・クラブ+武雄市図書館歴史資料館の『事業計画書』(武雄市臨時市議会資料、平成24年7月18日)を読んでいたところ、相互貸借に関して、かなり不可思議なことが書いてあった。 「継続する」として、じゃあ、どうしてここに「佐賀県公共図書館協議会」の1文が出てこないのか。なぜ「佐賀県内の公共図書館」ではなく、「他の図書館」とかいう具体性を欠く表現なのか。「相互貸借」のことは書いてあるのに、「図書物流システム」や「雑誌保存分担」のことが書かれていないのは、なぜなのか。 武雄市長物語にもコメントしたが、正直なところ武雄市図書館歴史資料館は、もはや佐賀県公共図書館協議会を脱退するしか、道は残されていないように思う。少なくとも、相互貸借からは外れるべきだし、そうすると雑誌保存分担も外れざるを得ないだろう。さもないと、Tポイントを貯めたいヤカラが、相互貸借を使って武雄市図書館から

  • 風雲急を告げるEM戦線 #EM菌

    動画を見てはいるのですが、文字起こしを読むと比嘉教授の異様さが一段と際立ちます。日土壌肥料学会やツイッター上のEM批判者全員を訴えると発言し、フジテレビに対する爆破を予告、日再軍備にまで言及しています。この方は当に世界征服を目指しているのでしょう。/ 残念ながら2012年9月5日18時頃、比嘉教授の動画が削除されてしまいました。比嘉教授の発言内容は文字起こしをご覧下さい。

    風雲急を告げるEM戦線 #EM菌
    tsysoba
    tsysoba 2012/09/02
  • メモ: 「デンマークのにぎやかな公共図書館」(201208CPH): egamiday 3

    デンマークのにぎやかな公共図書館 : 平等・共有・セルフヘルプを実現する場所 / 吉田右子 (新評論 , 2012) ●序章 私が北欧の図書館をめぐる旅に出た理由 ・「私が北欧の図書館に興味をもちはじめることになったきっかけは、12年ほど前に、図書館関係の雑誌『カレントアウェアネス』に小さく紹介されていたフィンランドの小さな街の図書館のことを知ったからである。」 ・(before)調査当初、サービスは想像していたものよりは普通。日も多様なサービスを展開し、差はない。→【北欧ショック】→(after)どの街にも居心地良い図書館があり専門職が配置。基的なサービス。館長の信念。家具。建物・資料・司書の3要素がそろうサービスの実現は簡単なことではないし、アメリカでも不足はたくさんあるのに、北欧の図書館にはどこへいっても3要素が満たされている。 ・北欧でもっとも成熟した図書館システムをもつ国・デ

  • 旧大谷公会堂の活用策探りシンポ |下野新聞「SOON」

    【宇都宮】大谷地区の観光振興と大谷石産業の再生に取り組むNPO法人「大谷石研究会」(小野口順久理事長)は29日に、「未来に響け『石の声』」と題したシンポジウムを開く。パネリストにまちづくりの専門家らを招き、国の登録文化財である旧大谷公会堂(大谷町)の活用策などを探る。 市教委によると、同公会堂は1929年に旧城山村の公会堂として建てられ、その後在郷軍人会館などに転用された。現在は市が所有し倉庫として使用している。 県建築事務所の草分け的存在である更田時蔵の設計で、大谷石造りの平屋建ての正面には4の付け柱が備わり、ロマネスク様式の文様が刻まれている。2004年に国の登録文化財となった。 同公会堂を会場に午後1時30分から開催するシンポジウムは、この公会堂を有効活用することで大谷地区の活性化につなげられないか、を主要なテーマに議論を進める。 パネリストはNPO法人全国町並み保存連盟

  • 武田邦彦 (中部大学): 人生の節目・衝撃の一言・・・それじゃ、広報費を増やしましょう

    「kouhouhitdyno.225-(4:01).mp3」をダウンロード 今から3年ほど前でしょうか、原子力委員会の研究開発部会で原子力予算の分配をしている時に、私は次のように発言しました。 「ここにおられる原子力関係の方は原発が安全だと考えておられますが、日人の多くが原発に不安を持っています。この際、私たちが間違っている可能性があるので、原発の安全研究のお金を増やす方が良いと思います。」 これに対して委員長代理の先生が「わかりました。それでは広報費を増やしましょう」と言われたので、私は「いや、原発が安全と言う広報をするのではなく、原発は危険だという前提のもとで安全を見直す研究にお金を投じたいという意味です」と説明しました。 科学者は自然に対して謙虚で、研究をする過程でイヤと言うほど自分の考えが未熟であることを知ります。厳しい研究をすればするほど、自分の至らなさを感じるものですから、そ

    tsysoba
    tsysoba 2012/09/02
  • 先生、角田柳作 : 文芸雑技団ハルカトーク

    8月22 先生、角田柳作 カテゴリ:日史 戦前のコロンビア大学に一人の日人教授がいました。 名を、角田柳作(つのだりゅうさく)といいます。 残念ながらその名を知る人は多くありません。 しかし、アメリカにおける、ひいては世界における、日学研究のパイオニア的存在としてその名は歴史に記憶されていいと思います。 主に司馬遼太郎氏の”ニューヨーク散歩”やドナルド・キーン氏の”日との出会い”の内容を下敷きにして、角田柳作氏について迫ります。 角田氏は、明治10年、群馬県前橋に生まれました。 長じてからは、早稲田大学の前身、東京専門学校の文学科に在籍し、坪内逍遥らの薫陶を受けます。 その後は高野山大学を始めとする学校で教鞭をとっていましたが、その後明治42年からは招かれてハワイの仏教伝道学校で教えました。 それがきっかけか、大正7年に41歳の角田氏は、改めて大学の門をたたき、コロンビア大学やクラ