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ブックマーク / kuzan.hatenadiary.jp (5)

  • URLぞパーマなる*1 - くうざん、本を見る

    国文学研究資料館のデータベース(電子資料館 http://www.nijl.ac.jp/pages/database/ )は、とてもありがたく利用していたが、不満の最たるものが、「このデータ」と示せないことだった。 「この典籍」「この論文」などと示せないのがもどかしかったのである。 論文の場合だと、CiNiiに入ってなく、この国文研のデータのしか入ってない論文などを示したい時になどだ。 CiNiiで可能なように、「この論文」とURLで示したかったのだ*1。 CiNiiBooksで可能なように、「この」と…… それが、ようやく実現したようだ。 先週、 日古典籍総合目録データベース http://base1.nijl.ac.jp/~tkoten/ を使っていて、「著作URL」というのが示されているのに気づいたのだ。 http://dbrec.nijl.ac.jp/KTG_W_1785 など

    URLぞパーマなる*1 - くうざん、本を見る
  • 江戸川乱歩「二銭銅貨」と点字とビブリア古書堂 - くうざん、本を見る

    江戸川乱歩の著作権保護期間が切れ、青空文庫でも「二銭銅貨」が公開された。 http://www.aozora.gr.jp/cards/001779/card56647.htmlは、光文社文庫版の全集第一巻。 底の底は1931年の平凡社版全集とのことだが、点字については、そのままではあるまい*1。 点字部分については、後の修正が有るからである*2。 青空文庫の点字部分は、画像になっていて、直接表示させると次の通り。 うわづら文庫では、 http://d.hatena.ne.jp/kuzan/20151210/1449496873 にも書いたように、『別冊宝石』56(9-5 1956.6)掲載の、村上松次郎画(1962年歿)の入ったものを載せた。 https://app.box.com/s/rpj7xp5hylutlpn7h9zkl05jk5vimcwr こちらがオリジナルに準じてい

    江戸川乱歩「二銭銅貨」と点字とビブリア古書堂 - くうざん、本を見る
  • URLよ、永遠なれ - くうざん、本を見る

    近代デジタルライブラリーが、統合後もURLの移行をしないことを決断したのはとてもよかった。とはいえ、七日の移行は、ちょっと不安である。 いや、七日の移行は大丈夫だとしても、その後、いつか変わるかも知れないのが不安なのだ。 h ttp://kindai.ndl.go.jp/BIBibDetail.php?JP_NUM=(全国書誌番号) 「このタイプのURLでは、全国書誌番号(JP_NUM)や分冊番号(VOL_NUM)の変更に伴って画像へのリンクが切れる場合があるため。」 という文言も不安だし(この文言は消えてしまったか?)。そもそも全国書誌番号が変わることがある、というのが驚きであった(これは、ネット上の情報が不安、という問題ではないが)。 さて、題は、近デジではなく、j-stageである。今日、Journal@rchiveが統合された。 URLはばっちり変更されている。幸い、journa

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  • 和本リテラシーと電子化と翻刻 - くうざん、本を見る

    池澤夏樹編『は、これから』岩波新書 http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1011/sin_k557.html に収められた中野三敏先生の文章を読んだ。 和リテラシーを高めようと言う話だから知っている話だと思って安心して読んでいたが、驚かされた。 iPadにも触れ*1、今後、この方向に行くのは間違いない、と見越したうえで、書いていらっしゃるのだ。 しかし、写と刊が長く共存しているように、木版と活字が長く共存しているように、アナログとデジタルも長く共存してほしい、という。 また、著作権切れしたものはどんどんデジタル化したらよいという。しかし、図書館等で、その原の姿にもすぐ触れうるようにして置くべし、という。まったく、もっともである。いや、私は紛れもなく、中野先生の教えを受けた人間である、と再認識した。 さて、活字は、

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  • 2006-02-25

    http://www.j-texts.com/ ドメイン失効? web.archive.org web.archive.org 治りましたね。(2006.2.27) 『郷語書誌稿』(国書刊行会版 bk1*1)の「後がき」から。 帝国図書館にいた頃は、郷語文献を知ること、それを求めることが唯一の楽しみであった。いわば道楽であった。そのためには当時納される図書はいうに及ばず、地方の校友会雑誌、同人雑誌にも広く手をのばして殆ど病的に集めた。一点でも逃すまいとして、帝国図書館でも同僚で教えてくれた人には必ず一点につきコーヒーを一杯出す、というようにして蒐めたものである。 (中略) 当時は古書を漁り、その古書漁りの楽しみはまた格別のものであった。……次第に病い膏盲に入り、幸い家内も度し難いものとして、全く諦めてくれてはいたものの、世の主人からすれば困った親爺であったわけである。私はを敷蒲団とし、

    2006-02-25
    tsysoba
    tsysoba 2006/02/27
    帝国図書館司書でもあったとのこと。ん、戦後は、国会図書館にも勤めているのかな?
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