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ブックマーク / realkyoto.jp (6)

  • 昭和の終わり、平成の終わり - REALKYOTO

    浅田 彰(あさだ・あきら) 1957年、神戸市生まれ。 京都造形芸術大学大学院学術研究センター所長。 同大で芸術哲学を講ずる一方、政治、経済、社会、また文学、映画、演劇、舞踊、音楽、美術、建築など、芸術諸分野においても多角的・多面的な批評活動を展開する。 著書に『構造と力』(勁草書房)、『逃走論』『ヘルメスの音楽』(以上、筑摩書房)、『映画の世紀末』(新潮社)、対談集に『「歴史の終わり」を超えて』(中公文庫)、『20世紀文化の臨界』(青土社)などがある。 最新のエントリー 19.05.01 昭和の終わり、平成の終わり 19.03.29 原美術館のドリス・ファン・ノーテン 19.03.07 マックイーンとマルジェラ――ファッション・ビジネスの大波の中で 18.12.07 映画のラスト・エンペラー――ベルナルド・ベルトルッチ追悼 18.11.03 トランプから/トランプへ(5)マクロンとトラン

    tsysoba
    tsysoba 2019/05/04
    ぶれないなあ。
  • 文壇の末期的状況を批判する-REALKYOTO

    福嶋亮大 どいつもこいつもナメとんのか――、少々下品だが、これがここ数ヶ月の文壇の醜態を目の当たりにした、私の偽らざる感想である。言うまでもなく、早稲田大学教授の文芸批評家・渡部直己のセクハラ事件を端緒にした一連の騒動、および芥川賞候補作になった群像新人賞受賞作である北条裕子「美しい顔」をめぐる盗用疑惑を指してのことである。それぞれについて私見を述べる。 私はほかならぬこのRealkyotoで渡部直己とは対談したことがあり、今回の騒動の直前には彼に代打を頼まれて、福永信とのトークショー@芦屋市立美術博物館に急遽出演したくらいで、以前からかなり親しい間柄である。彼の女性遍歴についても知らないわけではないけれども(近年はそちらの方面は「卒業」したのだろうと思い込んでいた私の認識は甘かったのだが)、そこはプライヴェートな領域に関わるので触れるべきではないだろう。一般論として、男女の問題は外野には

    tsysoba
    tsysoba 2018/08/18
    ‪安易な一般化は戒めるべきなのだろうが、自分を含め「責任」「良識」を担う立場にいる世代の脆弱性について考えてしまう。/ 福嶋亮大「文壇の末期的状況を批判する」‬
  • REALKYOTO - 2017年フランス大統領選挙の後で

    浅田 彰(あさだ・あきら) 1957年、神戸市生まれ。 京都造形芸術大学大学院学術研究センター所長。 同大で芸術哲学を講ずる一方、政治、経済、社会、また文学、映画、演劇、舞踊、音楽、美術、建築など、芸術諸分野においても多角的・多面的な批評活動を展開する。 著書に『構造と力』(勁草書房)、『逃走論』『ヘルメスの音楽』(以上、筑摩書房)、『映画の世紀末』(新潮社)、対談集に『「歴史の終わり」を超えて』(中公文庫)、『20世紀文化の臨界』(青土社)などがある。 最新のエントリー 19.05.01 昭和の終わり、平成の終わり 19.03.29 原美術館のドリス・ファン・ノーテン 19.03.07 マックイーンとマルジェラ――ファッション・ビジネスの大波の中で 18.12.07 映画のラスト・エンペラー――ベルナルド・ベルトルッチ追悼 18.11.03 トランプから/トランプへ(5)マクロンとトラン

  • REALKYOTO: リオ五輪閉会式「引き継ぎ式」への疑問

    小崎 哲哉(おざき・てつや) 1955年、東京生まれ。 ウェブマガジン『REALTOKYO』及び『REALKYOTO』発行人兼編集長。 写真集『百年の愚行』などを企画編集し、アジア太平洋地域をカバーする現代アート雑誌『ART iT』を創刊した。 京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員、同大大学院講師。同志社大学講師。 あいちトリエンナーレ2013の舞台芸術統括プロデューサーも務める。 最新のエントリー 20.08.03 会田誠の『げいさい』 20.04.18 無人劇と無観客無配信ライブ(承前) 20.03.31 無人劇と無観客無配信ライブ 20.03.07 ロームシアター京都の騒ぎについて 20.02.02 ダムタイプとサミュエル・ベケット アーカイブ ▼2020年8月 「会田誠の『げいさい』」 ▼2020年4月 「無人劇と無観客無配信ライブ(承前)」 ▼2020年3月 「無人劇

  • REALKYOTO 新国立競技場問題をめぐって 浅田彰

    浅田 彰(あさだ・あきら) 1957年、神戸市生まれ。 京都造形芸術大学大学院学術研究センター所長。 同大で芸術哲学を講ずる一方、政治、経済、社会、また文学、映画、演劇、舞踊、音楽、美術、建築など、芸術諸分野においても多角的・多面的な批評活動を展開する。 著書に『構造と力』(勁草書房)、『逃走論』『ヘルメスの音楽』(以上、筑摩書房)、『映画の世紀末』(新潮社)、対談集に『「歴史の終わり」を超えて』(中公文庫)、『20世紀文化の臨界』(青土社)などがある。 最新のエントリー 19.05.01 昭和の終わり、平成の終わり 19.03.29 原美術館のドリス・ファン・ノーテン 19.03.07 マックイーンとマルジェラ――ファッション・ビジネスの大波の中で 18.12.07 映画のラスト・エンペラー――ベルナルド・ベルトルッチ追悼 18.11.03 トランプから/トランプへ(5)マクロンとトラン

  • パラパラソフィア——京都国際現代芸術祭2015の傍らで REALKYOTO

    浅田彰 para- = 「側-」「副-」「擬似-」 「PARASOPHIA : 京都国際現代芸術祭 2015」が開幕した。もちろんまったく期待していなかったとはいえ、ここまでつまらないとは思わなかったというのが正直なところだ。国際芸術祭が乱立し、当然ながら平均的な水準が下がっていく中で、私自身、1990年代以後は国際芸術祭をあまりフォローしなくなったので、客観的な評価はプロフェッショナルな美術批評家・美術ジャーナリストに委ねたい。だが、個人的に言えば、「PARASOPHIA」は国際芸術祭の中でも最もつまらない部類に入るのではないか。 京都で国際芸術祭を? そもそも私は、国際芸術祭なるものをこれ以上増やしても仕方がない、やるならばこれまでにないような形式を発明しなければ意味がない、と考える凡庸な常識人である。だが、あえて言えば、日で国際芸術祭を開催するなら京都だということははっきりしている

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