タグ

ブックマーク / booklog.kinokuniya.co.jp (23)

  • 『太平記』 さいとう・たかを (中公文庫) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →上巻を購入 →中巻を購入 →下巻を購入 「マンガ日の古典」シリーズから出ているさいとう・たかをによる『太平記』である。 漫画だから吉川英治版をもとにしているのかなと思ったが、そうではなかった。オリジナルの『太平記』をかなり忠実に漫画化というか、劇画化しているのである。 怨霊話だらけの第三部を短くするとか、軍勢の数の誇張や史実との違いを注記するとかいったアレンジはほどこしてあるが、ほぼそのままなのだ。 詠嘆調の場面や、クライマックスの場面では原文が書きこんであって、禍々しい字面が迫力をいや増しに増している。意味はわからなくとも絵を見れば一目瞭然だから、古文が不得意な人は擬音の一種と思えばいい。 巻ごとに起承転結があって、ぐいぐい引きこまれる。古典の漫画化としては大和和紀の『あさきゆめみし』と双璧をなすかもしれない。 順に見ていこう。 上巻は後醍醐帝即位から鎌倉幕府滅亡までを描く。後醍醐帝

    『太平記』 さいとう・たかを (中公文庫) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 『雑誌倶楽部』出久根達郎(実業之日本社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「泥つきの掘りたて根菜もろもろ詰め合わせ」。選りすぐられても、磨きをかけられてもいない。べてみないことには、うまいかまずいかもわからない(なかには有毒なものもあるかもしれない)。泥つきだから、種にもなるので育てることもできる。とにかく、いろんなものを一度に味わえる。ただし味見するだけなので、おいしさを堪能するところまではいかない。 こう、まえがき「雑誌の妙」にはある。「何が入っているか、開けてのお楽しみ」、それが雑誌というものだと。『婦人之友』『実話時代』『新青年』『犯罪科学』『面白倶楽部』『笑の泉』『丸』『平凡』『あまとりあ』『宝島』……こうしてタイトルを書き出していくだけでも楽しい。さまざまなジャンルの雑誌を読む、というこのエッセイも、もとは、書の版元でだされている文芸雑誌で連載されていたもの。掲載号と同じ月の号の雑誌がセレクトされていたのだろう。三年

    『雑誌倶楽部』出久根達郎(実業之日本社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 『新京都学派』柴山 哲也(平凡社新書) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 「学問の世界のフィールドワーク」 京都学派とは、西田幾多郎、田辺元、和辻哲郎など京都帝国大学の哲学科を中心にして集まった哲学者の学風として、昭和初期に生まれた呼称である。戦後になると、桑原武夫に率いられた京都大学人文研究所の学者たちがジャーナリズムで活躍したことから、京大人文研に連なる人材を「新京都学派」と呼ぶようになった。わたしに新京都学派という呼称の憶えがあるのは、一九六五年の小松左京の論文からだが、もっと前からいわれていたのかもしれない。 いま一九六五年といったがわたしの大学四年生のときで、河野健二、上山春平、加藤秀俊、井上清、梅棹忠夫などの先生については、学内非常勤で教育学部や教養部で授業を聞いた。もっとも学内非常勤といっても教養課程や教育学部のことであったからかもしれない。同じ京大でも文学部には、京大人文研の、とくにジャーナリズムで活躍していた先生が

    『新京都学派』柴山 哲也(平凡社新書) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 『フィクションの中の記憶喪失』小田中章浩(世界思想社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋ウェブストアで購入 記憶喪失や殺人といった非日常的なことが、テレビドラマなどで頻繁に都合よく使われる。現実味の乏しい設定に、うんざりすることもある。そんな記憶喪失も、「虚構の世界、たとえば小説に描かれるようになったのはさほど古いことではない」という。 著者、小田中章浩が問題にするのは、「さまざまなフィクションが記憶喪失という現象をどれほど正確に再現しているかということではなく、記憶喪失を基にしながら、フィクションの制作者たちが想像力を駆使してどれほど興味深い物語を作り上げたかということである。別の言い方をすれば、記憶喪失が虚構の世界においてどのように「表象」されているか」である。つまり、滅多におこることのない記憶喪失を使って、いかに虚実ない交ぜの社会を描き、読者や観客を「楽しませる」かが、制作者の腕の見せどころとなる。 さらに、書の狙いは、つぎのように説明されている。「神話や伝

    『フィクションの中の記憶喪失』小田中章浩(世界思想社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 『定刻発車―日本の鉄道はなぜ世界で最も正確なのか?』三戸 祐子(新潮文庫) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「「あたりまえ」を疑うところから社会を見つめなおす」 「この列車、ただいま○○駅を1分遅れて発車いたしました。お急ぎのところ、大変ご迷惑をおかけいたしますことをお詫びいたします。」 これは、ある日の帰宅時に、私が実際に聞いた車内アナウンスである。耳慣れたものとはいえ、この日の内容にばかりは驚きを隠せなかった。 「1分遅れただけで、謝らなければならないものか。仮にこの電車が1分遅れたとして、それでどれだけの人に迷惑がかかるものだろうか」 もちろん、遅れないに越したことはないだろう。しかし、逆に言えばこのアナウンスは、日ごろ、日の鉄道がほとんどの場合において、“1分”たりとも遅れずに運行しているということを示しているといえよう。 なぜ日の鉄道は、これほどまでに正確な運行が可能なのか。誰しもが当たり前のように享受している日常的な事実でありながら、あえて格的な検証がなさ

    『定刻発車―日本の鉄道はなぜ世界で最も正確なのか?』三戸 祐子(新潮文庫) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    tukinoha
    tukinoha 2011/02/24
    「本書がさらに興味深いのは、そもそも鉄道開通以前の江戸期において、日本社会には共有された時間感覚と、それに伴った規則正しい生活パターンがすでに成立していたのではないか、と指摘している点である」マジ?
  • 『一七世紀科学革命』 ヘンリー,ジョン (みすず書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 マクミラン社の「ヨーロッパ史入門」というシリーズの一冊である(邦訳はみすず書房から)。235ページあるが、文150ページほどのコンパクトなで80ページ以上が用語辞典、索引、300冊近い参考文献、訳者解説、日語の参考文献にあてられている。 参考文献は著者名と発表年であらわすことが多いが、書は通し番号であらわし、文中に埋めこんであるので参照しやすい。すべての参考文献に短評をつけているのはありがたい。 入門書とあなどって読みはじめたが、見通しのよい明解な記述に舌を巻いた。 科学革命の解説はまず自然の数学化をどう説明するかがポイントになるが、書は科学革命以前の天文学はプラトンの流をくむ数学的部分と、アリストテレスの流れをくむ自然学的部分からなる「混合学」だったと大づかみに把握した上で、プトレマイオスの周天円やエカントは実在ではなく、計算のための単なる補助線とみなさ

    『一七世紀科学革命』 ヘンリー,ジョン (みすず書房) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』黒岩比佐子(講談社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「思想としての「売文」」 明治・大正期の社会主義者としては、幸徳秋水、大杉栄、荒畑寒村らに比べて論じられる機会の少なかった堺利彦に光を当てた、格的な評伝である。書によれば堺は、1910年の大逆事件で幸徳らが一斉検挙されたときに、その2年前の赤旗事件で入獄中だったために逮捕を免れ、出獄して数か月後の翌年1月に同志たちの死刑が執行されてしまったので、彼らの遺体を引き取りに行き、引取り人がいないものは自分で供養をし、遺品を家族に分配し、さらに彼らの故郷へと慰問の旅をして(刑事に尾行されたまま)義捐金を遺族たちに事情に応じて分配したという。そしてこのような社会主義への圧倒的な弾圧のなか、挫けることなく「売文社」という翻訳や文章立案や代筆などを引き受ける編集プロダクションのような会社を立ち上げて、残った同志たちの生活基盤を作っていくことに奔走したという。この、これまで知られ

    『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』黒岩比佐子(講談社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 『アメリカ文学史』平石貴樹(松柏社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「半径2メートルで語る」 文学史とは、言ってみれば結婚式のスピーチのようなものである。「新郎新婦、どうぞご着席を」にはじまって、「こんなに笑顔のかわいらしい花子さんをもらって幸せな山田君よ」とか「辛いときこそ力を合わせてウンヌンカンヌン」などと、あれこれ言わなければならないことが決まっている。 何よりそれは〝演説〟なのである。「アメリカ文学」という、実はあるんだかないんだかよくわからないものを、まるでそこにあるかのように指差し、ひっくり返したり持ち上げたりしながら、呼びかけ、連呼し、賞賛する。つまり、〝自分の声〟で語る余地は非常に少なくて、お約束のことをよそ行きの強張った声で、しかも延々と数百頁にわたって語り続けなければならないのである。何と因果な商売だろう! 読む方だってたまったものではない! というわけで文学史というのは通読するものではないと筆者は思ってきた。 し

    『アメリカ文学史』平石貴樹(松柏社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 『岩波講座 東アジア近現代通史』和田春樹・後藤乾一・木畑洋一・山室信一・趙景達・中野聡・川島真編集委員(岩波書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 1992年に、「国籍の異なる12名のヨーロッパ人歴史家たちが何度も討議を重ね、その上で共同執筆されたヨーロッパ史の教科書」が、EU(ヨーロッパ連合)加盟国の各国語で同時に刊行された(日語訳:木村尚三郎監修『ヨーロッパの歴史』東京書籍、1994年)。その「フランス語版へのまえがき」には、つぎのような「注意書き」がある。「しかし、誤解しないで下さい! 書の執筆者も刊行者も、地域史・各国史をおとしめる意図など毛頭ありません。それらの歴史は異論の余地なく一定の場を占めています。また、現代世界を理解するのに必要不可欠な、世界史とヨーロッパ以外の大陸の歴史を無視するつもりもありません。私たちの目的は補完的なものです-それはヨーロッパの行為なるものを、私たちの地域的過去や私たちの民族的現実、そして全人類の冒険と、つき合わせて考えてみる一助とすることです」。 東南アジアを含む東ア

    『岩波講座 東アジア近現代通史』和田春樹・後藤乾一・木畑洋一・山室信一・趙景達・中野聡・川島真編集委員(岩波書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 『史学概論』遅塚忠躬(東京大学出版会) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 歴史学とはやっかいな学問である。いくら説明しても、なかなかわかってもらえない。それは、だれもがよく知っている歴史の延長線上に、学問としての歴史学があると勝手に思って、わかろうという気もないからである。世間一般の人びとが認識している歴史と、学問としての歴史学は、似て非なるものであることに気づく者は、それほど多くない。そして、それをわかりやすく説明できる歴史研究者は、数少ない。そんな数少ないなかのひとりが、著者の遅塚忠躬である。 冒頭の「はしがき」で、著者はつぎのように書き出している。「歴史学に従事している人びとは、その従事する学問の性質について、大筋では共通の見解をもっているかといえば、けっしてそうではない。そこには、雲泥の差が見られ、ときには正反対の見解が対立している。したがって、私には、「公平な」史学概論を書くことはできない」。だから、著者は、「はしがき」で「読者に

    『史学概論』遅塚忠躬(東京大学出版会) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 『日中戦争期中国の社会と文化』エズラ・ヴォーゲル・平野健一郎編(慶應義塾大学出版会) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 8月6日、9日の広島、長崎の「原爆の日」の前あたりから、テレビでは連日、戦争特番が組まれる。この毎年8月に集中して繰り返される報道が当たり前のようになっているが、これらの番組のうち、いったいいくつが国際的に耐えられるものだろうか。日人が受けた戦争被害を強調することによって、戦争の悲惨さを伝え、反戦を呼びかけるものになっている番組を、日に居住している韓国・朝鮮人47万、中国人35万、フィリピン人13万(2005年国勢調査)などは、どのように観ているのだろうか。 日の国が関係する博物館も同じ傾向にある。1999年にオープンした昭和館、2000年にオープンした平和祈念展示資料館、2006年にオープンしたしょうけい館(戦傷病者史料館)は、補償が充分でない人びとの労苦を中心に戦争の悲惨さを伝えている。昭和館の今夏の企画展は「銃後の人々と、その戦後」、1993年にオープンし

    『日中戦争期中国の社会と文化』エズラ・ヴォーゲル・平野健一郎編(慶應義塾大学出版会) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 『言語ジャック』四元康祐(思潮社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「無理に詩人である必要はありません」 詩人には二通りいる。 まずは言葉の遅い詩人。どちらかというとその言葉が読者より〝遅れている〟と感じられる詩人だ。読む人の方が先を歩き、詩は後から追いついてくる。読者は少しペースを落としたり、聞き耳を立てたりしないと、なかなかその詩の世界には浸れない。忍耐が必要だ。こういう詩人は、詩人のくせに言葉少なでもの静かで、一行にせいぜい十字くらいしかしゃべらない。「自分にしゃべれるのは詩だけなんです……」というような追い詰められた頑なさがあって、それぞれの言葉へのこだわりも強く、どうしてもこうでなくっちゃ、と寸分のスキもないような語り口をとる。自分のやり方は決して変えず、読者が自分のペースに合わせてくれるのを待っている。 こういう詩を読むのは、書いた人の生理や神経に没入するのに等しい。密着型である。読むことと、好きになることとがかなり近接し

    『言語ジャック』四元康祐(思潮社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 『チャリティとイギリス近代』金澤周作(京都大学学術出版会) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「チャリティは、福祉国家の「諸起源」の一つであるのみか、その構成要素として生き続けている」。「二〇世紀後半以降にグローバルな規模で、ときに国境や国家主権を乗り越えて展開する国際人道支援の動きも、イギリスにとってみればことさら新しいものではない」。「終章 「チャリティの近代」のゆくえ」のこの2つの文章だけでも、書の意義がよくわかる。現在、多くの社会が国家福祉のあり方について議論している。また、災害、紛争、貧困などといったグローバルな問題への国家の役割とNGO/NPOの役割とのあいだで議論が生じている。著者、金澤周作は、これらの議論に「他者救済の世界史」研究の成果をもって参加しようとしている。 チャリティ(慈善)やフィランスロピ(博愛活動)といったイギリス社会にとってありふれたものが、歴史学的に考察されなかった理由は、ありふれたものだからこそ、そして近代になって公的な救

    『チャリティとイギリス近代』金澤周作(京都大学学術出版会) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 『アガンベン入門』ゴイレン,エファ(岩波書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

  • 『精神の自由ということ―― 神なき時代の哲学』アンドレ・コント= スポンヴィル著/小須田 健、コリーヌ・カンタン訳(紀伊國屋書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「信じる人にも、信じない人にも」 玄侑宗久(作家・福聚寺住職) こののタイトルを見れば、たいていの禅僧は振り向くだろう。「精神の自由」とは、禅の中心テーマでもあるからだ。そしてを手にとって目次を見ると、簡潔な章立てだけが書かれている。曰く「宗教なしですませられるだろうか」「神は実在するのだろうか」「無神論者のための精神性とはどのようなものか」。じつにシンプルにこのの内容が告げられている。そう、このは、無神論者である著者が、誇り高き無神論者としての精神性を追求したもので、人間の外部に拝む対象をもたない禅とどこかで通底している。 なるほど、世界は今、外側の神を礼拝する人々の宗教的な狂信や原理主義による殺戮(さつりく)に満ちている。また宗教組織の腐敗による犯罪の例にも事欠かない。しかし著者のスポンヴィル氏が無神論を標榜するのは、そんな現状を批判するためだけではない。

    『精神の自由ということ―― 神なき時代の哲学』アンドレ・コント= スポンヴィル著/小須田 健、コリーヌ・カンタン訳(紀伊國屋書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 『ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争』デーヴィド・ハルバースタム(文藝春秋) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入〈上〉 →紀伊國屋書店で購入〈下〉 朝鮮戦争は、米国人にとって「忘れられた戦争」「歴史から見捨てられた戦争」であるという。米国と中国の参戦によって戦線は膠着状態となり、「Die for a tie」、引き分けるために死ぬ「二流」の戦争となった。しかし、著者ハルバースタムは、ベトナム戦争の取材時、関係者が漏らす朝鮮戦争に関心を持ち、長年の構想と調査の末、朝鮮戦争の記録と記憶を掘り起こし、歴史の中から拾い出した。著者のライフワークであり、「最高」と自認した作品であり、そして「最後」の著作となった。書のゲラを校正した五日後、ハルバースタムは事故で急死してしまったからだ。 朝鮮戦争は、日人にとっては「ほとんど知らない戦争」である。歴史の教科書では半ページ程度で記載されるに過ぎない。──1950年、北朝鮮軍が38度線を越えて侵攻、韓国・米軍は釜山付近に追い込まれる。しかし、マ

    『ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争』デーヴィド・ハルバースタム(文藝春秋) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 東京大学(英米文学)・阿部公彦の書評ブログ : 『近代文学の終り』柄谷行人(インスクリプト)

    →紀伊國屋書店で購入 「柄谷ファンクラブをめぐって」 せっかく柄谷行人のものをとりあげるなら『探究I』とか『探究II』とか『トランスクリティーク』とか、あるいは『日近代文学の起源』など、堂々とそびえ立つ記念碑的な作品から選ぶべきなのかもしれないが、書後半に掲載された座談会中の次の一節に出くわして、このを話題にしてみたくなった。浅田彰や大澤真幸らを相手にNAM運動の失敗について振り返った部分である。 NAMがうまくいかなかった理由の一つは、まずインターネットのメーリングリストに依存しすぎたことです。(中略)もう一つは、運動に経験のある未知の人たちに会って組織すべきだったのに、僕の読者を集めちゃったわけね。インターネットでやればどうしてもそうなる。それで、柄谷ファンクラブみたいになってしまった(笑)。しかし、ファンクラブというのは実は互いに仲がわるいうえに、僕に対して別に従順ではなくて、

    東京大学(英米文学)・阿部公彦の書評ブログ : 『近代文学の終り』柄谷行人(インスクリプト)
  • 『経済学の再生―道徳哲学への回帰』セン,アマルティア(麗沢大学出版会) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「資主義と倫理」 この書物でセンが語るのは、きわめて明確で簡略なことである。経済学には、アリストテレス以来の「善き生」を求める倫理的な伝統と、インドのカウティリヤの『実利論』以来の「工学的な」問題処理に専念する伝統がある。ただし現代の経済学は、近代初期の統計データを利用したウィリアム・ペティ以来の「工学的」なアプローチ(p.21)を重視する傾向がある。 この工学的なアプローチには利点もあった。たとえば飢餓と飢饉という「悲劇的な問題」では、倫理的なアプローチよりも、「一般均衡理論が焦点をあてる相互依存関係のパターン」(p.26)を用いることで、料があっても飢餓が起こる事実を解明することができたのである。 しかしこの工学的なアプローチには、いくつかの重要な難点がある。第一は、人間が合理的に行動する存在であることが前提とされ、それが現実のものとみなされていることである。

    『経済学の再生―道徳哲学への回帰』セン,アマルティア(麗沢大学出版会) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 『政治概念の歴史的展開〈第1巻〉』古賀 敬太【編著】(晃洋書房 ) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「重要な政治的な概念の歴史的考察」 政治的な概念の歴史的な展開を考察するシリーズで、第三巻まで刊行されている。ドイツには『歴史的な基概念』という9000ページに及ぶ大シリーズがあるが、それには及ばないものの、ひとつの概念に20ページほどを使って考察している。古代から中世を経て近代までの流れを展望し、現代の論争的な状況を解説し、最後にお勧めの参考文献をあげるという標準的な作りだが、枚数がかなりあるので、参考になるだろう。ぼく好みのではある。 この第一巻では、自由、平等、友愛、人権、寛容、正義、公共性、権力、国家、官僚制、市民社会、連邦主義という一二の概念が考察されている。筆者はみな異なるが、それほどの凹凸はなく、標準的な出来栄えになっている。 たとえば「自由」の項目では、ルソーの一般意志の概念を批判したヘーゲルが、特殊と普遍の実質的な媒介を目指して、「個人の個別性と

    『政治概念の歴史的展開〈第1巻〉』古賀 敬太【編著】(晃洋書房 ) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 『貧困と共和国―社会的連帯の誕生』田中拓道(人文書院) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「「社会」の発明」 かつてアレントは『人間の条件』において、ギリシアの公的な空間と私的な空間の分離について説いた後、近代、とくにフランス革命になってからこの二つの空間とはことなる社会的な空間」が登場し、それが公的な空間を覆ってしまったと語ったことがある。アレントは『革命について』ではそれをフランス革命の「失敗」と関連づけるのだが、そのプロセスが実際にどうであったかは、詳しくは考察されていなかった。 著者はアレントのこの私的に関心をもって、「社会的なものの内実に関心を向けるようになった」(p.263)という。この〈社会的なもの〉の登場は、フーコーに近い人々、とくにドンズロの『社会の発明』やエヴァルトの『福祉国家』などの著者でも詳しく考察されているものであり、ぼくも関心をもっていた。この著書は、フランスの福祉国家が登場するまでのこうした〈社会的なもの〉の思想的な変遷をたど

    『貧困と共和国―社会的連帯の誕生』田中拓道(人文書院) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG