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歴史と古代に関するturu_craneのブックマーク (21)

  • 古代エジプト軍の兵舎発見、ラムセス2世の名前刻まれた青銅の剣も

    象形文字でラムセス2世の名前が刻まれた剣/Egypt Ministry of Tourism and Antiquities (CNN) エジプト北西部でこのほど、考古学者のチームが古代エジプト軍の兵舎の跡や、そこに残された遺物を発見した。象形文字でラムセス2世の名前が刻まれた青銅の剣も見つかった。 エジプト観光・考古省によると、この建物はアレクサンドリアの南約90キロの戦略的要衝に位置し、武器や料を保管する倉庫や兵舎で構成される。古代エジプト帝国が最盛期を迎えていた当時、兵士らはこの場所を拠点に、リビアの部族や海の民による攻撃から北西の国境を守っていた。 何年前の砦(とりで)なのかは不明だが、ラムセス2世の治世は紀元前1279~1213年と、エジプト史上2番目の長さを誇った。同省によれば、砦が使用されていた当時、エジプトは「新王国」と呼ばれる経済的繁栄と政治的安定の時代を迎えていたとい

    古代エジプト軍の兵舎発見、ラムセス2世の名前刻まれた青銅の剣も
  • アマゾン熱帯雨林で2500年前の都市遺跡発見 エクアドル - BBCニュース

    画像説明, 調査チームは、古代の住居の基礎と思われる、土を盛った「プラットフォーム」を6000カ所発見した

    アマゾン熱帯雨林で2500年前の都市遺跡発見 エクアドル - BBCニュース
  • トルコの古代遺跡で新たな彫像を発見。神妙な表情で局部を握る人物像や実物大のイノシシ像 : カラパイア

    トルコにある新石器時代の遺跡「ギョベクリ・テペ」と、その姉妹遺跡「カラハン・テペ」で、新たに人間や動物をかたどった彫像が発見された。 これらの遺跡は11,400年前から1万2000年前に作られたもので、世界四大文明よりも圧倒的に古く、世界最古の神殿とされている。 ギョベクリ・テペから発見されたのは、彩色された実物大のイノシシの像、カラハン・テペで発見されたのはイチモツを握りしめたリアルな表情の人物像などだ。 いずれも当時の人々の文化や暮らしを垣間見せてくれるユニークで貴重な発見である。

    トルコの古代遺跡で新たな彫像を発見。神妙な表情で局部を握る人物像や実物大のイノシシ像 : カラパイア
  • 失われた古代マヤ文明の遺跡が発見される。道路・貯水池・球技場を完備

    中米、グアテマラ北部で、964の遺跡で構成されたマヤ文明の巨大な集落ネットワークが発見されたそうだ。 集落は、紀元前1000年~紀元150年頃までの先古典期マヤのもの。約1685平方キロの範囲に点在しており、それぞれが総延長170kmを超える道路で結ばれている。 その時代、この地域にはそれほど人が暮らしていなかったと考えられているが、どうやらそれが間違いだったことがうかがえる発見だ。 ジャングルの下から合計964の集落ネットワークが発見 マヤの集落ネットワークは、LiDARという検出技術によって発見された。 LiDARは「Light Detection And Ranging」の略で、レーザー光を照射して、その反射光の情報をもとに対象物までの距離や対象物の形などを計測する技術のことである。 グアテマラ、サン・カルロス大学をはじめとする研究チームは、「ミラドール=カラクムル・カルスト盆地(M

    失われた古代マヤ文明の遺跡が発見される。道路・貯水池・球技場を完備
    turu_crane
    turu_crane 2022/12/27
    >マヤの集落ネットワークは、LiDARという検出技術によって発見された
  • 古代エジプトのミイラに謎の民エトルリアの文字、衝撃の発見録

    「ザグレブの亜麻布の書」に記されたエトルリア文字。書はのちに細く裂かれ、エジプトのミイラを包むのに使われた。(COURTESY OF THE ARCHAEOLOGICAL MUSEUM OF ZAGREB, PHOTOGRAPH BY IGOR KRAJCAR) 1868年、クロアチア(当時はオーストリア・ハンガリー帝国の一部)のザグレブ博物館が、古代エジプトの女性のミイラを手に入れた。ミイラを包んでいた布は前の所有者によってほどかれていたが、ミイラと一緒に引き渡された。 ミイラになった女性は王族や聖職者ではなく、一般人だった。しかし、彼女を包んでいた亜麻布には、非常に興味深い謎があった。亜麻布に書かれていた文字が、エジプトの象形文字(ヒエログリフ)ではなかったのだ。文字の正体は、布を調べたドイツのエジプト学者ハインリッヒ・ブルクシュにもわからなかった。 23年後の1891年、博物館は、こ

    古代エジプトのミイラに謎の民エトルリアの文字、衝撃の発見録
  • 古代ローマ時代のはりつけの刑か、かかとに釘刺さった骨格発見 英

    ロンドン(CNN) 英イングランド東部ケンブリッジシャー州のフェンスタントンで、かかとにくぎの刺さった男性の骨格が見つかったことが8日、明らかになった。考古学者らは欧州北部ではりつけの刑が行われていたことを示す初の事例とみている。 考古学者のチームは2017年、フェンスタントンで道路脇の集落を発掘中に骨格を発見した。フェンスタントンはローマ時代の街をつなぐ道路に面した位置にある。 一帯には鉄器時代の遺跡も複数存在するが、専門家によると、少なくとも6万平方メートルに広がるこの集落は、ローマ時代後期の1世紀もしくは2世紀初頭に建設されたとみられる。 専門家らは調査の結果、計48人の遺骨が収められた墓地5カ所と少数の孤立した埋葬地を発見。墓の中から、かかとにくぎが刺さった25~35歳の男性の骨格が見つかった。 男性の骨格の周辺では12のくぎが見つかっており、専門家は、男性が板かひつぎ台の上に乗

    古代ローマ時代のはりつけの刑か、かかとに釘刺さった骨格発見 英
  • 2千年の歴史感じる旅 チュニジアのウドナ遺跡へようこそ

    チュニジアの首都チュニス近郊にあるウドナ遺跡(2021年10月14日撮影)。(c)FETHI BELAID / AFP 【11月21日 AFP】チュニジアの首都チュニス近郊にあるウドナ(Oudhna)遺跡。初代ローマ皇帝アウグストゥス(Augustus、在位紀元前27年~紀元後14年)の時代に建設された。 ウドナは、古代ローマ人の支配を受けたベルベル人の都市ウティナ(Uthina)の現代の名称。チュニスの南30キロに位置する。 一部は19世紀に発掘されていたが、1993年に発掘作業が再開され、99年に一般公開された。(c)AFP

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  • 日本に「野生のワニ」はいた? 古事記に登場するワニがサメとは言い切れない理由(石田雅彦) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    数年前、鹿児島県奄美諸島の加計呂麻島(かけろまじま)で、体調50センチから60センチのワニが発見されて話題になった。いかに地球温暖化が進んでいるとはいえ、日にワニが生息しているとは思えないが、それは果たして当だろうか。 神話に登場するワニの正体は 8世紀に編纂されたとされる『古事記』の中に「因幡の白ウサギ(稲羽の素兎)」という章がある。大黒さまが出てくる有名な話で、隠岐の島からワニを並べて渡ってきたウサギがワニに皮を剥がれてしまい、大黒さまがウサギを治療してあげたという内容だ。 この話に出てくるワニについては、当のワニなのかサメ(フカ)なのか、日史学で長く議論されてきた。実は古事記に限らず、日の古い書物にはワニがよく出てくる(※1)。 この議論に関係するのは、大化の改新の前の古代大和朝廷時代に応神天皇以降の7ないし8天皇の后を輩出した和珥(ワニ。和邇、丸邇などとも)氏という勢力だ

    日本に「野生のワニ」はいた? 古事記に登場するワニがサメとは言い切れない理由(石田雅彦) - エキスパート - Yahoo!ニュース
  • 古代の東海道?、滋賀で発見 白村江の戦いに敗れ整備か:朝日新聞デジタル

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    古代の東海道?、滋賀で発見 白村江の戦いに敗れ整備か:朝日新聞デジタル
  • 古代ローマの軍事拠点を大量に発見、イベリア半島占領の軌跡

    スペイン北部で最先端のリモートセンシング技術による調査を進めていた考古学者グループによって、紀元前1世紀後半のものとされるローマ軍の軍事拠点が66か所も発見されたそうだ。 イベリア半島の征服戦争でローマ軍がたどった足跡を明らかにするものだという。 イベリア半島への大遠征の証拠 要塞や囲いの痕跡は、スペイン北西部のドゥエロ川盆地で発見された。 これらは敵地を進軍する際や拠地周辺で作戦を行うローマ軍が設えた野営地で、イベリア半島征服の最終段階において、カンタブリア山脈付近でローマ軍が活発に行動していたことを示す。 1990年代まで、スペイン北部でこうした拠点跡が発見されることは珍しく、そのためにこの地域に大規模なローマ軍が展開したことはなかったと推測されていたという。 しかし今回の発見は、そうした推測とは裏腹に、当時ローマが「ヒスパニア」と呼んでいたイベリア半島にかなりの数の軍が投入されてい

    古代ローマの軍事拠点を大量に発見、イベリア半島占領の軌跡
  • 「ローマ時代のファストフード店」発掘、状態良好 ポンペイ遺跡

    イタリアの古代ローマ都市ポンペイで発掘された、古代ローマ時代のファストフードカウンターとも言える「テルモポリウム」(2020年12月26日提供)。(c)AFP PHOTO / POMPEI PRESS OFFICE 【12月27日 AFP】イタリアの古代ローマ都市ポンペイ(Pompeii)で、フレスコ画が描かれた「テルモポリウム」が非常に優れた保存状態で発見された。テルモポリウムは、現代のファストフードカウンターのようなものだという。考古学者らが26日、明らかにした。 多色の柄で華麗に装飾されたカウンターは、昨年一部が発掘され、その全貌を明らかにするため発掘が続けられていた。 作業の最終段階では、ワインや温かい飲み物と一緒に提供するマガモやおんどりなど、事メニューにあったとみられる動物の描写を含む静物画が複数発見された。 他にも、陶器鍋の中からは、カモの骨の破片や、ブタ、ヤギ、魚、カタツ

    「ローマ時代のファストフード店」発掘、状態良好 ポンペイ遺跡
  • 研究者は、HPの測量図を見て気付いた「古墳らしき形状…」 調査で前方後円墳と判明(神戸新聞NEXT) - Yahoo!ニュース

    兵庫県相生市相生のIHI相生事業所敷地内の山林で、前方後円墳が見つかった。国土地理院(茨城県つくば市)がホームページで公開する測量図「傾斜量図」を見た岡山の研究者から「古墳らしき形状が見られる」と相生市教育委員会へ連絡があり、現地調査の結果、相生市4例目の前方後円墳と判明した。2021年度に調査結果を報告書にまとめる。(伊藤大介) 【写真】甲崎古墳の傾斜量図 2018年10月、岡山県倉敷市の倉敷埋蔵文化財センターに勤める藤原好二さん(51)は、インターネットで相生市の傾斜量図を見ていて「古墳らしきもの」に気付いた。山上に円形の台地がうっすらと浮かんでいる。「正円の地形は珍しい」。ほかの前方後円墳と似ていることから、古墳がある可能性を相生市教委に伝えた。 市教委の現地調査の結果、IHI事務所の背後にある山の尾根(標高76メートル)に全長47メートルの古墳が確認された。4世紀ごろに築かれたとみ

    研究者は、HPの測量図を見て気付いた「古墳らしき形状…」 調査で前方後円墳と判明(神戸新聞NEXT) - Yahoo!ニュース
  • メキシコ マヤ文明最古の巨大建造物を発見 日米などの調査団 | NHKニュース

    かつてマヤ文明があったメキシコで、紀元前1000年ごろに造られたと考えられる巨大な建造物が見つかり、調査にあたった国際調査団は、マヤ文明の建造物としてはこれまでで最も古く、文明の起源や社会の在り方を考えるうえで重要な発見だとしています。 航空機によるレーダー測量と地上探査を行ったところ、南北1413メートル、東西399メートルに及ぶ、高さ15メートルの巨大な建造物が確認されたほか、周囲に舗装された道や人工の貯水池が造られていたことがわかりました。 調査団によりますと、出土した木片などの年代から、紀元前1000年ごろから造られ始めて、紀元前800年ごろにかけて増改築されていたとみられ、マヤ文明の建造物としてはこれまでで最も古く、かつ最大と考えられるということです。 マヤ文明は、紀元前1000年ごろから紀元前350年ごろに小さな村々が徐々に発展していったと考えられてきたということで、調査団は、

    メキシコ マヤ文明最古の巨大建造物を発見 日米などの調査団 | NHKニュース
    turu_crane
    turu_crane 2020/06/04
    “マヤ文明の建造物としてはこれまでで最も古く、かつ最大と考えられる
  • ぶどう畑の下から美しい古代ローマの屋敷跡が見つかる

    イタリア北部のヴェローナ県県で、3世紀ごろのものとみられる美しいモザイクタイルの床が発見されました。ぶどう畑の下から発掘されたこの屋敷跡は、1世紀近くも考古学者たちによって探し続けられたものでした。 Scoperto a Negrar il pavimento di una villa romana | Negrar https://www.larena.it/territori/valpolicella/negrar/scoperto-a-negrar-il-pavimento-di-una-villa-romana-1.8097306 Ancient Roman mosaic floor discovered under vines in Italy | World news | The Guardian https://www.theguardian.com/world/2020/m

    ぶどう畑の下から美しい古代ローマの屋敷跡が見つかる
    turu_crane
    turu_crane 2020/05/28
    こんなにきれいに残ることあるんだ
  • イラク北部でダムの水が引き約3400年前のミタンニ帝国の宮殿遺跡が発見

    2019年6月27日発表のテュービンゲン大学プレスリリースによると、2018年秋、イラク北東部クルディスタン地域にある、ティグリス川東岸のモスル・ダム(1980年建設)の貯水池の水が引いたところ、青銅器時代の宮殿が発見された。考古学的に非常に重要な発見として海外でもCNN、BBC他各ニュースで報じられている。 動画:テュービンゲン大学/ Eサイエンスセンター制作 クルド人実業家の資金援助を受けてドイツ・テュービンゲン大学とクルディスタン考古学機構(Kurdistan Archaeology Organization (KAO))の合同チームが調査を行い、同宮殿(ケムネ宮殿”Kemune Palace”)が紀元前15世紀から14世紀にかけてメソポタミア北部とシリアの大部分を支配していたミタンニ(ミッタニ)帝国の時代にさかのぼることができることが判明した。 クルド人考古学者ハサン・アフメド・カ

    イラク北部でダムの水が引き約3400年前のミタンニ帝国の宮殿遺跡が発見
  • 古代メソポタミア文明~シュメール人・アッカド人の王朝の興亡まとめ

    シュメールかシュメルか「シュメール」という日語表記については、小林登志子『シュメル――人類最古の文明』で以下の通り指摘されている。 『なお、我が国では「シュメル」ではなく、「シュメール」と「長音記号」を入れて表記されることが多いが、これには理由がある。第二次世界大戦中に「高天原はバビロニアにあった」とか、天皇のことを「すめらみこと」というが、それは「シュメルのみこと」であるといった俗説が横行した。そこで、我が国におけるシュメル学の先達であった中原与茂九郎先生(京都大学名誉教授)が混同されないように音引きを入れて、「シュメール」と表記された。』(はじめにより) 特に古代オリエント史における固有名詞の和訳の問題については小川英雄著『古代オリエントの歴史』でも死語も多い古代語でセム語系や印欧語系を始め多くの言語とも関係している点で、『一定のシステムで音写の仕方を統一することは不可能』(注1)で

    古代メソポタミア文明~シュメール人・アッカド人の王朝の興亡まとめ
  • 謎の古代文明の遺跡を中米で複数発見、マヤとは別

    ※この発見についての詳細は、2015年12月30日発売の『ナショナル ジオグラフィック日版』2016年1月号で、見つかった都市の想像図や写真を含めて詳しく紹介します。 一部が人間で一部がジャガーの姿をした石の彫像。ホンジュラスの密林奥深くに眠る遺跡では、この他数多くの出土品が見つかった。(PHOTOGRAPH BY DAVE YODER, NATIONAL GEOGRAPHIC) ホンジュラスの密林へ分け入った探検隊が、失われた文明の遺跡を発見したという驚くべき報告を携えて戻ってきた。この地域には昔から「猿神王国」あるいは「シウダー・ブランカ(白い街)」という古代文明にまつわる伝説が存在し、その遺跡がどこかに眠っているといわれてきた。探検隊はその場所を確かめるために、人里離れた未開のジャングルへと足を踏み入れた。 発見された遺跡は今からおよそ1000年前に栄え、その後滅びた文明のものと思

    謎の古代文明の遺跡を中米で複数発見、マヤとは別
  • 南米 ティティカカ湖で新たな発見 NHKニュース

    南米のボリビアとペルーにまたがるティティカカ湖の底から、インカ帝国時代の石像やおよそ2000年前の陶器のかけらなどが見つかり、この地域の古代文明の解明につながるかどうか注目されています。 ボリビアとベル-の標高およそ4000メートルにあるティティカカ湖では、ボリビアとベルギーの合同調査団が2か月前から湖底に沈んでいる文化財の調査を進めており、8日、これまでに2000以上の文化財を見つけたと発表しました。 中には、およそ600年前のインカ帝国時代の動物の形をした石像や、およそ2000年前の金メッキが施された陶器のかけらなどがあります。 隣国のチリから運ばれたとみられるものもあり、調査に参加している研究者は、この地域がスペインの植民地になる前から周辺地域と交流があったことを示すものだとしています。 この地域では、スペインに征服される前に当時の人たちが文化財を隠すために湖底に沈めたという言い伝え

  • 蘇我馬子邸は宮殿並み?  奈良・島庄遺跡 塀跡の大型柱穴列見つかる

    引用元:東京新聞 飛鳥時代の大豪族蘇我馬子(生年不明~626年)の邸宅とみられる建物群跡が確認された奈良県明日香村の島庄(しまのしょう)遺跡で、塀跡とみられる大型柱穴列が見つかっていたことが9日、分かった。2011、12年に村教育委員会が調査していた。 この遺跡で建物群跡のものとみられる7世紀前半の塀跡が見つかったのは初めて。調査した西光慎治主任技師は「柱穴の一辺が1m以上あり、宮殿クラスの規模といえる。立派な塀で囲われた邸宅だったのではないか」としており、天皇をしのぐ権勢を誇ったとされる馬子の邸宅規模を探る貴重な手掛かりになりそうだ(下略)6 :名無しのひみつ:2013/02/11(月) 00:28:51.86 ID:+DvlAMy6 馬子にも衣装の語源の人か・・・ 8 :名無しのひみつ:2013/02/11(月) 00:46:50.83 ID:IRsf7jL2 名まだ判らんのかな。

    蘇我馬子邸は宮殿並み?  奈良・島庄遺跡 塀跡の大型柱穴列見つかる
  • 古代マヤ遺跡、「夜の太陽の神殿」が発見される(グアテマラ) : カラパイア

    米ブラウン大学の考古学者スティーブン・ヒューストン率いる研究チームが、メキシコの国境付近のグアテマラ北部にあるピラミッドの墓の上に1600年前の 「夜の太陽にささげるマヤ神殿」を発見したそうだ。

    古代マヤ遺跡、「夜の太陽の神殿」が発見される(グアテマラ) : カラパイア