ヤマダトモコさんから資料整理中に発見された谷口ジローさんとの写真を送っていただきました。2012年9月30日。谷口さんはきわめてリラックスした普段着姿。場所は米澤で、トークショーか何かのときですかね。今となっては貴重なツーショットです。
![2012年9月末の谷口ジローさんとのツーショット:夏目房之介の「で?」:オルタナティブ・ブログ](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/3e038c653d97d356eddd9224f8d7d738174e8f37/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fblogs.itmedia.co.jp%2Fmt-static%2Fsupport%2Fassets_c%2Fuserpics%2Fuserpic-164-100x100.png)
http://mainichi.jp/articles/20170212/k00/00m/040/094000c そんな、、、、、信じられないです。何度かご一緒させていただき、ご自身は「話しベタ」と思われていたので、僕が話し合相手になるとリラックスされてたのが、、、、、。以前愛用していたシューズがまったく同じだったり、、、、。ああ、いい人だったです。鳥取で原画展を原さんやブノワ・ペータースさんと見て、その精緻さ、トーンの驚くべき凝りように驚いたり。ブノワさんが、谷口のマンガは(ほかの子供に受けている日本マンガと違って)、あまり日本マンガを読まない大人の読者も多く、誕生日に贈る本としても利用されてるんだよ、とその場で伺った記憶があります。嗚呼、無念です。日本マンガの至宝のお一人でした。合掌。
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6182543 水木さんが逝かれた。 デスクワークしていたら立て続けにマスコミからコメント依頼がきて知った。 貸本時代にはほとんど知らず(「忍法秘話」では見ていたはず)、「ガロ」で作家として認識し、すっとぼけた中に尋常ならざるニヒリズムというか、索漠たる気配の漂う短編群が大好きだった。後年、捕虜生活中に描いた絵の、時間が止まった「死」の気配に、それが戦争体験とつながっているのを知った。いわゆる妖怪は、おそらくその「死」=「異界」からやってくる。そのはざまに立つのが、ねずみ男だったろう。 マンガ論を手塚を軸に始めたとき、手塚を相対化する存在のひとつが梶原一騎とならんで水木さんだったし、とにかく水木マンガのあの世界が好きだった。でも、インタビューでご本人にお会いして、いきなりその人を食った存在にやられ、「水木マンガも面白いけど、ご本
http://wwws.warnerbros.co.jp/madmaxfuryroad/ 映画『マッドマックス』と立川の爆音システム さて、清水さんとの会話の中で室町的世界から『マッドマックス』の話になった。僕も「面白い」という噂を聞いていて、しかも女性人気が高いというのが不思議で気にはなっていた。二人とも、何となくふんぎりがつかないところだったので、では、というので二人で行ってきた。清水さんによると、立川のシネマシティは今回『マッドマックス』のためにサウンドマニアの館主がとんでもない音響システムを作り上げたので、ぜひそこでということになった。 いやあ、まずは爆音すごいです。むちゃくちゃいい音なのだが、見終わってファミレスで珈琲飲んでる間もしばらく耳は遠かった。映画自体もよくできていて、終始アクション、バイオレンスの連続という映画で、なぜこれを女性が? と思うが、とりあえずこれだけシンプル
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140917-00000049-natalieo-ent 水曜深夜の「しくじり先生」という番組で、オリラジのアッちゃんの激走ぶり、非常に堪能。面白かった。この人の言語生産能力はなかなかのものだと思う。うまいキイワードを効果的に繰り出し、あのレベルで二回分巻き込み続けたのには感心してしまった。いわく「天狗」の時期を過ぎ、「パラシュートタイム」で落ち続けた結果、一年間山を耕し続けて放映なしの没になった企画、韓国で手相を手術で変えてしまう乱暴な手術をしたあげく、やはり没になった話など、かなり衝撃だったし、芸人達の反応も面白かった。それこれあった末の、 「しくじらない人間なんているのか?!」 は、名台詞だったね。それだけ単体で聞いてもどうってことないけど、2回続けたテンションの最後にくると、むちゃくちゃ面白い。もっと観たかった
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2014/0914/ 「NHKスペシャル 臨死体験 立花隆 思索ドキュメント 死ぬとき心はどうなるのか」 立花隆の『臨死体験』の本はだいぶ以前に読んだ。非常に興味深いものだった。何よりも臨死体験のさいに見る「あの世」の世界観が、体験者の文化(日本、米国、インド)に規定されている(日本人の多くは三途の川を渡り、米国人は渡らずにお花畑を見、インド人の多くは閻魔大王に会う)ということが、臨死体験における「あの世」の普遍的実在生よりも、脳内の「幻覚」である蓋然性の高さを示しているように思えた。立花も、この本の時点では脳内現象であるという結論に近かったと思う。一方で、今回の番組にも登場した利根川進への取材本では、利根川の「心は科学的にすべて解明できる」という主張に違和感を表明していたと記憶する。 今回の番組では、臨死体験者の取材
鳥山明『銀河パトロール ジャコ』(集英社 鳥山明/桂正和共作短編集『カツラアキラ』と同時発売)が、意外にも(というのも失礼ながら)面白かったです。まず、大好きだった『Dr.スランプ』時代から『ドラゴンボール』の初期時代の飄々としたノンキさが生き生きと再現していて、個人的に大変好ましい。次に『ドラゴンボール』を知っている人なら、大変うれしいであろう設定になっている。正直あまり期待せずに読んだので、ほんわかとうれしい。往年の鳥山マンガの読後感に戻ったような感動がありました。 ちなみに「期待せずに読んだ」のは、別に鳥山明を評価していないのではありません。むしろ、僕の講義を聴いていればわかるだろうでけど、高く評価している。でも、「ジャンプ」編集部は彼の才能に頼りすぎて、あまりにもギリギリまで消耗させてしまったという印象がある。その後の作品は、あまりにも落差があって、表現の気迫を感じさせるものがなか
http://natalie.mu/comic/gallery/show/news_id/104134/image_id/235626 表紙、かっこいいー。キャラクターへの愛情が感じられる。 前巻から1年、ようやく出た『リアル』12巻。 大好きな、最高にいいキャラのプロレスラー白鳥が、リハビリもままならぬまま、ついにリングに登場。同期の盟友で若い頃タッグを組んだ相手と、ヒールとして闇を歩いてきたプロレスラーとして対戦する。うまいなあ。一巻全部使ってプロレスですよ! この物語としては、ごくたまにある車椅子バスケの場面をのぞけば、久しぶりの躍動感溢れる運動場面。しかも、白鳥は自分の足で立てないんだぜ。リングのロープにつかまって、ようやく立っているにすぎない。そんな彼がどうやって「活躍」するのか? それを観戦するリハビリ仲間、花咲君と高橋の反応はいかに。いや、見ごたえあります。泣きますね、ほんと
http://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2013/131101-447.html 何となくザッピングしてて、途中から観ましたが、武井壮という人の人生背景が語られてけっこう興味深く観ました。「人に見てほしい、ほめられたい」ということを、両親がいない環境があったとはいえ、これほど素直に自分に認めて主張できるというのが、なかなか素晴らしいなと思いました。この人の厭味のない印象も、背景に唯一頼れたお兄さんの若すぎる死などがあってのことだと思うと、ちょっと感動します。 ただ、本命の100m、200mですが、残念ながら100mは4位。200mでかろうじて3位入賞でした。もちろん、40代とはいえ世界の強豪相手にこの成績ですから、文句なく凄いことです。でも、彼の走りを見ると、素人の僕が見ても明らかに右肩への偏りが強く、もしこれが修正されてたら、効率も上がって、100
学習院身体表象の担当ゼミ(批評研究)で、以下のようなレジュメの発表を行いました。 2013.10.2-9 マンガ・アニメーション芸術批評研究(3限) 宮崎駿『風の谷のナウシカ』マンガ版と「読みにくさ」 夏目房之介 ※以下のメモは、今秋提出の当専攻博士課程後期・砂澤雄一の『風の谷のナウシカ』についての博士論文に触発されたものである。 1)『ナウシカ』マンガ版は読みにくいのか? 阿部幸広「究極の、そして最も幸福なアマチュア-マンガ家としての宮崎駿」(「ユリイカ 臨時増刊 宮崎駿の世界」青土社 1997年)をはじめ、『ナウシカ』マンガ版を「読みにくい」とする意見が複数ある。夏目自身は、違和感は多少あるが、それほど読みにくいとは感じていなかったので、少し意外であった。直観的には、宮崎のマンガ観が50年代の読書体験によって形成され、古典的な表現形式を踏襲しているために、現在のマンガ形式になじんだ読
8月21日放映の『孤独のグルメ』Season3の7回目「駒場東大前」の「ボラーチョ」。録画をようやく観ましたが、ツボでした。 まず、「マッシュルーム・ガーリック」は、青学近くのスペイン料理屋で初めて食べて以来好きな料理で、けしてキノコ好きではないが、あればつい頼みたくなる料理なのだ。しかも、バケットの具合がまことに好みのカリカリ感で、食感の音がおいしいそう。こいつをガーリック味のオリーブオイルのソースにつてけ食うのが、何といっても好き。そのあとのカキグラタンにしても、うまいソースをバケットで掬い取って、きれいな皿にして返す快感に共感。 これは僕にとって、おいしい店に出会ったとき、いかにおいしく食べたかを店に伝えたい気持ちをこめられる行為なのだね。おまけに、駒場東大前は昔明大前に住んでいたときの散歩地域で、あそこはじつにいい散歩コースなんだよ。ゴローのようにゆったりと歩き回って、それからボラ
うちの息子たちも、もはや30と38になるのだが、少し前に一緒に話していたら、二人ともホームセンターに行くとテンションが上がり、いろんなグッズを見ては「これならゾンビと闘えるな」「どうやって頭をつぶすか」などと考えるのだとか。彼らの世代では、それがふつうらしい。学生にもちょっと聞いてみたら「そりゃそうでしょう」と答えた人もいた。そもそも「もしゾンビが襲ってきたら」とか、そういう想定自体したことがないので、ちょっと驚いた。でも、ゾンビって頭半分いかれても動くので(映画にもよるけど)、頭ごと飛ばすか、両足ぶったぎるしかない。なので、チェンソーが効果的ではあるが、そうそうそこらにはない。それに多分何度も使ってるといろんなもの詰まって動かなくなる気もする。僕個人としては、手近にありそうだとすれば、金属バットで頭飛ばすのがいちばんのように思えるのだが、彼らはそんなふうに、いろんな道具をみては、それをど
宮崎克原作、吉本浩二漫画『ブラックジャック創作秘話』3巻(秋田書店)が出た。1~2巻も読んだが、ほぼすべて何らか知っているネタだったのが、3巻になって新たに取材したネタらしく、初めて知る内容になっている。 で、中に1981年、手塚プロに一冊の中国翻訳版『鉄腕アトム』が届くエピソードがある。日本では昔の赤本にあった、文庫の半分ほどのサイズで、横長(かつて中国で定着した連環画と同じ)。これを見て手塚は激怒する。周囲は著作権侵害(当時中国は国際的な著作権条約を結んでいないので、日本から見れば「海賊版」だが、中国では正規の出版物)の問題として理解するが、手塚が怒ったのは、日本版と大きく異なる版型にしたために、部分的にものすごくヘタな描き直しがされていたことだった。驚くべきことに、手塚はそのすべてを描き直し、中国に送る。もちろん原稿料も印税もないのに。 いかにも手塚さんらしい怒りと対応で面白いのだが
たまたま「もてもてナインティンナイン」(TBS)で手塚治虫をやってて、いやあ、典型的なテレビ的ホラというか、神話伝説化のステロタイプみたいでした。一体どこから情報集めたのか、あるいは誰かTVの作家が作ったのか、元になる情報はわかるけども、こうやって手塚神話は作られるんですねー。手塚が少女マンガを初めて描いたとか、擬音語をマンガに使ったとか、少し知ってればすぐにわかるものから、こまかいところで大げさにしてるものまで。「これが初めて」という「わかりやすさ」を提供しようとする起源神話作りにあわせて情報が歪曲されたり、「すごさ」「極端さ」を強調するために部分的に変えたり曖昧にしたり。「テレビ的」に見栄えよくするという至上命題の前で、情報が歪んでゆくサマが見て取れて興味深いものでした。『ブラックジャック』が『ゴルゴ13』のキャラクター特性を利用したものだとの説は、あるいは僕の「殺し屋」スタイルの援用
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2013/0113/index.html NHK総合で放送され、16.8%の視聴率を記録した番組。再放送を録画して観ました。 面白かった。ダイオウイカは、でかいのになると18メートルになるというバケモノで、僕ら世代では映画『海底2万マイル』で登場するお化けイカとして記憶されている。まさかホントにいるはずない、と昔は思ってたが、深海600~800メートルに実際生息し、マッコウクジラと格闘するんだそうだ。いやあ、まさにジュール・ベルヌの世界! この怪生物は生態がほとんど不明で、打ち上げられたりした死骸くらいしか確認されていなかったらしいが、このプロジェクトでは、世界の研究者が様々な方法でおびき寄せ、深海艇で直接撮影しようと試みる。クジラにカメラをつけて撮影しようとした研究者もいた。が、結局、プロジェクト・リーダーだった日本
http://mainichi.jp/select/news/20121210dde041060097000c.html 以前、ラジオでなぜか「孫」について語るということで共演させていただいた。想像通りの方で、話のリズム、人に接する感覚、言葉の選び方、様々な意味ですぐに近寄れる、壁のない感じを受けた。多分、東京生まれの肌合いがお互いにあったからだと思う。いつまででもお話を伺いたいような思いが残った。ご挨拶すると、永六輔さんなどから話を聞き、僕の本なども読んでくださっていた。あの大俳優、大芸人の小沢さんに読んでいただいただけでも嬉しかったのに、お世辞とはいえ「ファンなんです」といわれて、真底嬉しかった。どこかで同じ感じ方をもっていたのだろうなと思う。あんなに楽しかったトークはめずらしい。 若い頃は、映画も観たし、仕事しながらラジオ「小沢昭一的こころ」を聴いていた。「そのこころは、またあしたの
学習院大学院の身体表象文化学専攻も5年目を終えようとしていて、つまり僕の専任教授生活も5年目になる。 これまで数人の修士に修士論文を書き上げてもらい、その手伝いをしてきた。今のところ、学生たちの、ときに目を見張る成長を見ることができて、自分としては、はじめての仕事にしては、何とか合格点かなと思う。学術的な専門教育を受けていない僕が、どうやって学術論文の「指導」をするのか、すごく不安だったが、修士論文についてはそれなりに経験をつむことができた。そして、相当不安にさせる学生たちでも、最後の最後に、驚くようなふんばりで、それまでできなかった領域に入っていくものなのだと知ることができたのは、本当にしあわせなことだと思う。 が、博士論文となると、話は少し違ってくる。このレベルでは、当然のように、僕よりも学術的な背景をもった学生が相手であり、それぞれの背景によって、方法論も異なってくる。また、博士課程
勘三郎さんが亡くなった。 別に知り合いでも何でもないけど、いくどか歌舞伎をみた。よかったし、うまかったし、面白かった。客いじりも楽しそうで、一生懸命だった。玉三郎との共演は、ものすごい火花の散るような演じの競り合いだったように思う。そういう芝居をみると、幸せになるし、こういう人が歌舞伎界にいるって、とてもいいことだろうな、と思っていた。 NHKの大河忠臣蔵もので、大石をやったときも、見事だった。 昼行灯のふわーっとした感じで出てきて、道場で木刀を構えたときの、あの見事な腰の落とし。 城を明け渡したあと、使者にすがって土下座するときの、所作の見事さ。歌舞伎役者だから、ではあるけれど、感動した。 ご冥福をお祈りします。
これは、ごく個人的な話で、村上春樹の小説についての批評とか分析ではない。なので、村上春樹の小説のファンや、その批評に興味のある人は読んでも意味がない。村上春樹の小説を僕が読んできて、やがて読まなくなり、最近また読み始めた、ただそういう話なので、一般的にも、別に面白い話ではないだろう。 要するに、個人的な記録のようなものだ。 村上春樹が文芸新人賞をとって最初の単行本が出たとき、初めて彼の小説を読んだ。まだ僕は20代の終わり頃だった。それはとても僕を惹きつけた。何となく自分や自分の同世代にぴったりくるものがあるように感じた。 しばらく追い続けるうちに、その感覚は深まってゆき、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の頃には、そのラスト部分を読むために、わざわざ明治神宮に行って池の前のベンチで読むようになっていた。 彼の初期の本の装丁には佐々木マキが使われていて、彼はその理由を短いエッセ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く