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モンゴルに関するtweakkのブックマーク (32)

  • 古代の遊牧民が築いた帝国の秘密、DNAで解明

    (CNN) ある遊牧民の帝国が、紀元前200年から3世紀にわたりアジアの平原を支配していた。彼らはシルクロードで交易を行い、精巧な墓地を死者のために築き、馬を駆って遠方の土地を征服した。 匈奴(きょうど)の名で知られるこの帝国と強力なライバル関係にあった古代中国の王朝は、防衛のため万里の長城を建設。その一部は現在も残っている。 しかし、当時の歴史を伝える文字史料は中国の年代記作者による記述のみ。その中で匈奴は蛮族とみなされているが、帝国や民族の実像は長く歴史の陰に閉ざされてきた。 だがここへ来て、古代のDNAの証拠と近年行われた考古学上の発掘の成果を組み合わせることにより、あの時代最も強大だった政治勢力の一つにまつわる秘密が明らかになろうとしている。 国際的な科学者チームがこのほど、匈奴の支配地域の西側にある墓地2カ所についての遺伝子研究を完了した。現在のモンゴルに位置するこれらの墓地は、

    古代の遊牧民が築いた帝国の秘密、DNAで解明
    tweakk
    tweakk 2023/04/20
    "両方の墓地に埋葬された17人の遺伝子情報を解析。「極めて高いレベルの」遺伝的多様性があることを突き止めた。これにより匈奴の帝国は多民族、多文化、多言語だった公算が大きくなった"
  • 遊牧帝国の文明 ボルジギン・フスレ(著/文 | 編集) - 三元社

    紹介 世界史上最初の遊牧帝国――匈奴帝国がつくった城址,遼,西夏,金の諸帝国が防衛等のために建設した長城など。これら歴史的遺構は,中央ユーラシアあるいは北アジア地域における多民族,多勢力の力の均衡によるものである。さまざまな視点からのアプローチによってその謎に迫る。 目次 口絵 まえがき xiii ボルジギン・フスレ(Husel Borjigin) 国際シンポジウム「遊牧帝国の文明と現代社会」開催挨拶 xvi 昭和女子大学理事長・総長 坂東眞理子(Mariko Bando) 第 1 章 匈奴帝国の単于庭と龍城に関する国際共同研究――プロジェクト2022年度現地調査報告 1 U. エルデネバト(U. Erdenebat),Z. バトサイハン(Z. Batsaikhan),Ch. アマルビレグ(Ch. Amarbileg),A. ゾルジャルガル(A. Zoljargal),ボルジギン・フスレ(

    遊牧帝国の文明 ボルジギン・フスレ(著/文 | 編集) - 三元社
  • テングリ信仰の国と王朝の一覧 - Wikipedia

    これは、中央アジアのシャーマニズム的信仰であるテングリ (天空)信仰を主としたハーン国、帝国、王国の一覧である。 匈奴 (紀元前209年 - 紀元前93年) 拓跋部 (紀元前93年 - 234年) 柔然 (330年 - 555年) フン族 (370年 - 469年) [1] 突厥 (552年 - 582年) 大ブルガリア (632年 - 668年) ヴォルガ・ブルガール (7世紀 - 922年) ハザール (650年 - 740年) 第一次ブルガリア帝国 (681年 - 864年) 西突厥 (582年 - 741年) 東突厥 (582年 - 744年) タタル部 (8世紀 - 1202年) 回鶻 (744年 - 840年) オグズ葉護国(英語版) (766年 - 1055年) カラハン朝 (840年 - 934年) ペチェネグ (860年 - 1091年) ハンガリー公国(英語版) (89

  • テングリ - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "テングリ" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2019年11月) モンゴルの宇宙三界説 テングリ(天神、匈奴語: 撐犁(とうり)、突:𐱅𐰭𐰼𐰃、回語: Täŋri、現代モンゴル語: Тэнгэр(『元朝秘史』の蒙古語: 騰格里、拼音: Ténggélǐ)、土: Tanrı、チャガタイ語: تنكري、Tangrī)は、アジア北方の遊牧民族に共通な、「天上世界」もしくは「天上神」「運命神」「創造神」を意味する概念。中国史の史料上はしばしば「天」と訳されている。 定義と特徴[編集] 「テングリ」は中国史における「天」概念と

    テングリ - Wikipedia
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    tweakk 2023/02/16
    "中国史において天の人格神である天帝が北極星と同一視されているのに対し、テングリは澄みきった青空のことであると考えられてiる。「テングリ」崇拝は匈奴の時代から確認されている"
  • 匈奴時代の貴族の古墳から発掘された約400点の遺物を展示・公開する 11月30日から来年3月1日まで モンゴル国立博物館

  • ジョチ・ウルス - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "ジョチ・ウルス" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2012年11月) ジョチ・ウルス Алтан Орд, Зүчийн улс (モンゴル語) Алтын Урда (タタール語) Altın Orda (トルコ語) اولوس جوجي (ペルシア語)

    ジョチ・ウルス - Wikipedia
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    tweakk 2023/02/02
    “広大な支配地域のもとに多くのテュルク系遊牧民を含んだと推測される。このため、元来モンゴル系だった人々のテュルク化が進展し、勅令など支配者から発給される文書もテュルク語が使われた”
  • 今までのフォーラム 地球ことば村 - 「モンゴルの言語と文字の歴史」

    【地球ことば村・世界言語博物館】 NPO(特定非営利活動)法人 〒153-0043 東京都目黒区東山2-9-24-5F http://chikyukotobamura.org info@chikyukotobamura.org 「モンゴルの言語と文字の歴史」 ● 2012年9月29日(土)午後2時-4時30分 ● 慶應義塾大学三田キャンパス研究室棟研究会議室 ● 話題提供:宮脇淳子先生(東洋史家・学術博士) 講演要旨 はじめに:モンゴルという名称 「モンゴル」の名称は、7世紀・唐代の文書に初めて現れるが、13世紀になって、それ以前の遊牧民を統合した名称となった。強い人物が出てきたときに、その一族と結婚によって結びつくことが行われて血がつながっていった。双方が娘をやりとりする「相互いとこ婚」であり、同じ姓の者とは結婚しない。強い者の姓を名乗りたがる。そうすることで親戚が増えていったため、モン

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    tweakk 2023/02/02
    “アルタイ系といわれる言語群は語順が同じで文法もよく似ている。後置詞のテニオハもある…アルタイというのはアルタイ山脈がトルコ語とモンゴル語の接状地帯であることから総称としてふさわしいとして用いられた”
  • Гора Белуха - самая высока вершина Сибири. - По-Сибири

  • トール川 - Wikipedia

    トゥール川を越えるモンゴル語。 トール川(トールがわ、トゥール川、トゥール・ゴル、モンゴル語: Туул гол, 英語: Tuul River)は、モンゴル国の中部から北部にかけて流れる川である。資料によってはトーラ川(トラ川、Tola River)ともいう。中国語では土拉河(拼音: tŭlā hé)。長さは704km、流域面積は49,840平方km。 流域 「トゥール モンゴル語: Туул」とはモンゴル語で歩き渡ることを意味する。トール川はしばしばハタン・トゥール(Khatan Tuul、女王トゥール)とも呼ばれる。トール川は隋書の列伝第四十九・北狄伝の鉄勒の部分には「独洛河」の名で登場し、僕骨部、同羅部、韋紇部、抜野古部、覆羅部などの部族がいたとされる。元朝秘史では、ケレイト部の長トオリル(オン・ハン)が拠とする「黒い森」がトーラ川沿いにあったと書かれ、チンギス・ハンはたびたびこ

    トール川 - Wikipedia
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    tweakk 2023/01/22
    “トール川は、大都市ウランバートルや川沿いの集落が出す生活排水のほか、トゥブ県のザーマル地区などで開発される金鉱から出る重金属の排水などで汚染されている”
  • ノヨン・オール - Wikipedia

    ノヨン・オール(モンゴル語: Ноён уул)またはノイン・ウラとは、モンゴルのウランバートル北方、トゥブ県にある山で、西暦紀元前後の匈奴の古墳群によって知られる。 ノヨン・オールの「ノヨン」は領主、「オール」は山を意味する[1][2]。 ノヨン・オールには200を越える古墳群があることで知られる[3]。古墳群には規模の大きな方墳(日でいう前方後方墳の形)が多く含まれている[4]。 主な出土遺品には、青銅製容器・装身具・玉器・馬具と車蓋などその装具類がある。漢の遺物も多く出土しており、漆器には建平5年(紀元前2年)の銘があった[3][5]。絹織物も多数出土した。一方、棺の下に敷いた毛氈や壁飾りの装飾はスキタイ・サルマタイの文物の特徴を持つという[3]。 ノヨン・オール遺跡は1924年から1927年にかけてピョートル・コズロフ率いるソ連の探検隊によって調査された。出土品はエルミタージュに

  • Altai Tavan Bogd National Park – Travel guide at Wikivoyage

  • タワン・ボグド - Wikipedia

    タワン・ボグド(モンゴル語: Таван богд, [tɑwɑŋ ˈbɔɡ.dɔ])は、モンゴルにある連山である。中国ロシアとの三国国境地帯にある。最高峰のフィティン山(海抜4374メートル)は、モンゴルの最高地点である。 タワン・ボグドはモンゴルのバヤン・ウルギー県に所在する。北側の斜面はロシアのアルタイ共和国に、西側の斜面は中国の新疆ウイグル自治区イリ・カザフ自治州アルタイ地区ブルチン県に属する。 最高峰のフィティン山を含め、タワン・ボグドには5つの山頂がある。タワン・ボグドはモンゴル語で「5人の聖人」の意味である。他の山頂は、ナイラムダル山(英語版)、マルチン山(英語版)、ブルゲド山、ウルギー山である[2]。 三国間協定や公開された地形図によると、中露国境、中蒙国境、露蒙国境の接合点は、北緯49度10分13.5秒 東経87度48分56.3秒 / 北緯49.170417度 東経

    タワン・ボグド - Wikipedia
  • オイラト - Wikipedia

    12世紀のモンゴル高原の諸部族 オイラトは、モンゴル帝国以前の12世紀にバイカル湖西部のアンガラ川からイェニセイ川に掛けての地域、現在のモンゴル国西部のフブスグルからトゥヴァ共和国の地にかけて居住していた部族集団で、元来はテュルク系であったと伝わる[2]。『元朝秘史』、『元史』では斡亦剌などと書かれ、『集史』などのペルシア語資料では اويرات Ūyrāt と書かれている。のちに瓦剌部と呼ばれる。 13世紀初頭、オイラト部族集団の首長のひとりとしてクドカ・ベキの名が知られている。『元朝秘史』によると1200年頃に一時アルチ・タタル氏族、グチュウト・ナイマン氏族、メルキト部族などの諸部族の盟主(グル・カン)となったモンゴル部ジャダラン氏のジャムカが、ケレイト部のオン・カン、同じモンゴル部のキヤト・ボルジギン氏のカンのテムジン(後のチンギス・カン)の連合軍に敗れたコイテンの戦いにおいて、ジャ

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    tweakk 2023/01/20
    “オイラトは、モンゴル帝国以前の12世紀にバイカル湖西部のアンガラ川からイェニセイ川に掛けての地域、現在のモンゴル国西部のフブスグルからトゥヴァ共和国の地にかけて居住していた部族集団で、元来はテュルク系
  • モンゴル語 - Wikipedia

    モンゴル文字で書かれた「モンゴル」 モンゴル語(モンゴルご、Монгол хэл、Mongol hel、ᠮᠤᠩᠭᠤᠯ ᠬᠡᠯᠡ、mongGul kele、英: Mongolian, Mongol)は、モンゴル諸語に属する言語であり、モンゴル国の国家公用語である。モンゴル語を含むモンゴル語族は、テュルク語族及びツングース語族とともにアルタイ諸語と呼ばれる。 モンゴル国の憲法(英語版)第8条はモンゴル語をモンゴル国の国家公用語に規定している。モンゴル国では、行政・教育・放送のほとんどがモンゴル語でなされるが、バヤン・ウルギー県では学校教育をカザフ語で行うことが認められている。こうした地域の人々の中にはモンゴル語を全く解さない者もいる。モンゴル国外には10万人以上のモンゴル国民が居住(日国内にも合法・不法合わせ数千人が滞在しているものと推定されている)しており、かれらの母語でもある。 モンゴル

    モンゴル語 - Wikipedia
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    tweakk 2023/01/20
    “他方、中国内のモンゴル系民族はモンゴル文字やトド文字(オイラト語の表記に使用)による表記体系を現在まで維持し、モンゴル人民共和国のモンゴル語とは、文字により分断されてきた”
  • ヘルレン川 - Wikipedia

    ヘルレン川(ヘルレンがわ、ケルレン川、Kherlen、Kerülen、モンゴル語: Хэрлэн гол, Kherlen gol; 中国語: 克魯倫河、拼音: Kèlǔlún hé)は、ユーラシア大陸の北東部を流れる川で、モンゴル東部のヘンティー県から中華人民共和国北部(内モンゴル自治区)にかけて流れている。 ヘンティー県のグン=ガルート自然保護区(英語版)周辺のヘルレン川 チョイバルサン市を流れるヘルレン川 ヘルレン川は首都ウランバートルからは北東へ180キロメートルほど離れた、ヘンティー山脈南麓のハン・ヘンティー厳正保護区内にある、チンギス・ハンの生まれ故郷とされるボルハン・ハルドン(ブルカン山)の近くに発する。この地域は、太平洋へ流れる川(ヘルレン川)と北極海へ流れる川(トーラ川)の分水嶺でもある。 ヘルレン川は山地を南へ下った後、東へ向けてヘンティー県とドルノド県を流れ、モンゴル

    ヘルレン川 - Wikipedia
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    tweakk 2023/01/18
    ”ヘルレン川の注ぐフルン・ノールには水の出口がないが、降水量の多い年には湖の北岸から水があふれて草原を…流れアルグン川へと合流することがある。アルグン川は…シルカ川と合流してアムール川を形成”
  • オゴデイ・ウルス - Wikipedia

    オゴデイ・ウルスの始祖オゴデイと息子達(『集史』「オゴデイ・カアン紀」パリ写) オゴデイ・ウルス(Ögödei ulus)とは、チンギス・カンの三男で、モンゴル帝国第2代皇帝となったオゴデイを始祖とする王家によって支配されたウルスである。13世紀初頭に成立し、15世紀初頭までは残存していたとされる。 かつては類似した概念として「オゴデイ・ハン国(Ögödei Khanate)」という呼称も用いられていたが、研究の進展により現在ではほとんど用いられることがない。「オゴデイ・ウルス」及び「オゴデイ・ハン国」という呼称はともに創始者オゴデイの名から取られているが、当時の史料にある用語ではなく、歴史家による通称である。 かつてのモンゴル史研究では中央アジアのエミル川流域を中心とする地域(現在の中国新疆ウイグル自治区北部ジュンガリア地方)に、13世紀前半から1306年まで「オゴデイ・ハン国」という

    オゴデイ・ウルス - Wikipedia
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    tweakk 2023/01/08
    “かつては類似した概念として「オゴデイ・ハン国(Ögödei Khanate)」という呼称も用いられていたが、研究の進展により現在ではほとんど用いられることがない”
  • 文化人類学者さんの驚き「モンゴルで日本式の暴走族や特攻服が輸入されていた」→実はあの漫画の影響で、世界各地で特攻服を着る人が出てきていた模様

    リンク Wikipedia 東京卍リベンジャーズ 『東京卍リベンジャーズ』(とうきょうリベンジャーズ、Tokyo Revengers)は、和久井健による日漫画。『週刊少年マガジン』(講談社)にて2017年13号から連載中。略称は「東リベ」。 不良だった主人公が中学時代へのタイムリープ能力に目覚めたことを機に、かつての恋人が殺害される運命を変えるべく元凶となる暴走族チームで成り上がる姿を描いたサスペンス作品。ヤンキー漫画の要素に加えてSF漫画やアクション漫画の要素が合わさった作風が特徴。第44回講談社漫画賞少年部門受賞作。2021年8月時点で累計発行 3 users 7

    文化人類学者さんの驚き「モンゴルで日本式の暴走族や特攻服が輸入されていた」→実はあの漫画の影響で、世界各地で特攻服を着る人が出てきていた模様
  • 白雪姫と七人の小坊主達 人と人をつなぐ見えない糸

    木曜日はわがゼミの「冬至のお祭り」であった。闇の中から光が力をとりもどしはじめるこのよき日を祝って、わがゼミでは500円以内のプレゼント交換を行う(笑)。 ちなみに、500円というのは買いに行く場合の目安で、家の中にある不要品をもってくる場合は実勢価格は500円をこす場合もある。 プレゼント交換は一種の籤で、みんなが提出したプレゼントにポストイットで番号つけて、もう一方で番号札ひいてあたった番号のプレゼントを自分のものとする。自分のものがあたったりする場合もあって、システムは万全ではないが、この方法が一番楽なので、なんとなく毎年こうしている。 で、いつもながら不思議に思うのだけど、誰の買ったものが誰にあたるのか、というのを見ていると、やはりそのプレゼントを交換したもの同士にはすべてにあてはまるわけではないけど、やはり見えない糸がつながっているように見える。 たとえば、去年自分が準備したジブ

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    tweakk 2020/03/08
    「ジニャーナバジラはチベットから造仏・造寺の工人をひきいてチベットから帰国し、トゥーラ河のほとりにガンデン大僧院のモンゴル版ガンデン寺をたてた。この周りに形成された町が現在のウラーン・バートルである」
  • ヒップホップ・モンゴリア、あるいは世界の周縁で貧富の格差を叫ぶということ/島村一平 - SYNODOS

    ヒップホップ・モンゴリア、あるいは世界の周縁で貧富の格差を叫ぶということ 島村一平 文化人類学・モンゴル研究 文化 貧富の格差や政治腐敗といった社会問題にするどく切り込むドキュメンタリー『モンゴリアン・ブリング』が、今月17日渋谷にあるミニシアター、アップリンクファクトリーで初めて上映される。日初公開にあわせ、今をざわめくモンゴル・ヒップホップとその厳しくも驚くべき社会・文化的背景を解説しておこう。 「ヒップホップの発祥地は、モンゴルなんだよ」 映画の冒頭、民族衣装(デゲル)で身を固めた中年の男が大真面目に語る。どこかの国のとんでも起源説みたいだと切って捨てるのはたやすい。しかし、そう思わせるような文化的背景がモンゴルにあるのは事実だ。実はこの男は、れっきとした伝統的な口承文芸の担い手、ユルールチ(祝詞の語り部)である。 彼の「ヒップホップ・モンゴル起源説」については、あとで検討するとし

    ヒップホップ・モンゴリア、あるいは世界の周縁で貧富の格差を叫ぶということ/島村一平 - SYNODOS
    tweakk
    tweakk 2018/06/11
    “モンゴル語の場合、音節言語だし、二重子音や三重子音も普通にある。そして何よりも彼らは韻踏み合いの伝統を今に残している。遊牧民であった彼らは、書いて残す文学よりも口で語る口承文芸を発達させてきた”
  • flyingline.info - このウェブサイトは販売用です! - flyingline リソースおよび情報

    tweakk
    tweakk 2018/05/24
    絵本なのかな?