同志しろ @Shiro_White1111 高校で一瞬だけディベート部入ってたんですけど、あまりにも競技化されすぎていて議論として社会・時事問題等に対しマジで何も深められないだろこれと思って二日で幽霊になり、二ヶ月後に辞めた
同志しろ @Shiro_White1111 高校で一瞬だけディベート部入ってたんですけど、あまりにも競技化されすぎていて議論として社会・時事問題等に対しマジで何も深められないだろこれと思って二日で幽霊になり、二ヶ月後に辞めた
尊敬・謙譲・丁寧といった複雑な敬語などの言い回し、「見る」でも「見られる」でもない「見える」という(印欧言語の再帰的用法とは異なる)中動態ともいえる表現を使う特異な一人称・自己の位置づけ(木村敏 「中動態的自己の病理」、『臨床精神病理』31号、147-154頁、2010年12月30日を参照)など、日本語(正確には「やまとことば」)の対象との関係性の複雑さや曖昧さの話をすると、それが日本人の美徳、日本語の美しさの所以ということになる。 一面、それは、正しいであろう。明治以降の言語学者が、日本語について西欧言語に対する強い劣等感を持っていたなかで、海外から敬語の存在を教えられ、そこに日本語の存在意義を見つけて飛びついた歴史の系譜を思い起こす。 しかし、この連載は、日本の美徳を云々することを念頭にはおいていない。美徳と言われる文化的強さ(均衡点としての社会規範や性行)を対象(客体)として自らが認
Join the NDT on FACEBOOK Indiana University - March 28-April 1, 2014 - Results Results NDT 2012, NDT 2013 - Weber State& Emory Univ Georgetown Wins 2014 NDT Andrew Arsht and Andrew Markoff Finalist - Michigan - Ellis Allen & Alex Pappas Semi Finalist- Oklahoma - George Lee & Rashid Campbell Semi Finalists- Harvard - Bradley Bolman & Michael Suo Quarter Finalist Houston - Lanning and Rajwani Northw
以前より注目を集めていた町山智浩氏と上杉隆氏の公開討論「ニコ生×BLOGOS番外編「3.14頂上決戦 上杉隆 VS 町山智浩 徹底討論」 - ニコニコ生放送」がとても面白かった。上杉隆氏については今までTwitterでの断片的な発言や彼の周辺をめぐる言説を見て、単純に不誠実な人だなという印象しかなかったのだが、生で彼の弁論術を見て、なるほどこれは一種の才能であると敬服せざるを得なかった。なかなか貴重な体験だったので、せっかくだから彼の弁論術について私が感じいった部分を少し要約してみたいと思う。 1を聞かれたら10答える 彼の弁論術を支える基本は、その言葉数の多さである。ごくごくシンプルな質問であっても、一見無関係なディテールから描き出し、質問の核心に触れることを巧妙に避けつつ、全体としてみればその質問に対する回答として推論可能な形に落としこむ手口は鮮やかの一言。 この戦術の効果は非常に大き
あたしが小学5〜6年生だったときの担任・マツダ先生(仮名)は、クラスで話し合うとき生徒にたったひとつのルールを課しました。そのルールとは、「意見を言うときは、必ず理由を言わなければならない」というもの。これは鉄の掟で、例外は許されませんでした。今にして思うとこれはすばらしい教育で、あたしはマツダ先生にものすごく感謝しています。 このルール下だと、「今度クラスのレクリエーション時間でどんなスポーツをやるか」なんて議題で話し合うとき、ただ各自で 「バスケがいいでーす」 「ソフトボールがいいでーす」 「ドッジボールがしたいでーす」みたいに提案だけしていきなり採決ってのはダメなわけ。提案するには、絶対に「なぜ自分はクラスでこのスポーツをやるのがいいと思うのか」を言わなきゃいけないんです。 そうなってくると、「自分がバスケが好きだから」クラス全体でバスケをするべきだなんて言えないわけですよ。いくら小
昔、『12人の怒れる男』という映画を見ました。一人の少年の裁判に集められた陪審員達が、無罪か有罪かに決定を下す、密室での議論だけに焦点を絞った映画です。11人が有罪という中、一人の男性が無罪を主張し(実際には空気だけで決まる有罪に待ったをかける)その後議論が展開していくという話で、僕は何かこの映画にすごく感銘を受けてそれ以来ことあるごとにこの映画を思い出します。 Twitterを始めてから、よく私は人に反論、批判を受けるようになりました。もちろん有意義な意見もあるのですが意地悪なのも結構あります。私は流れができそうになった時、敢えてそれを止める癖があります。それには主流の流れが加速する事の恐れ、流れが決断を下す事への恐れがあるからですが、それが人を怒らせるようです。 私自身もそうですが、人はどうしても思い込みや偏見から逃れられません。生まれてきた環境、教育や経験が重なるとどうしても、反射的
メカAG氏のブログ記事が面白かった。 メカAG氏の指摘を誤読し、ソースを元に組み立てない議論なんてなんの意味があるのかみたいなコメントも多くあったが、そのとおり、確かに根拠をきちんと明示して論理的な議論を組み立てるためであれば、むしろソースはとても大事なのだが、ソースをコピペだけして、はい、論破。みたいなのは極端にしても、ソースと自分の主張と現実との因果関係をまともに説明できないのに議論しているつもりになっているひとばかりがネットに溢れている。 ネットでよく見る非論理的な論客を昔、twitterでこう評したことがある。 ・ ゾンビ型論客 ・・・ 議論でいくら斬られても痛みを感じず、気づきもしない。 ・ スケルトン型論客 ・・・ 議論で斬られたはずの論点が、時間がたつと再生する。 ・ スライム型論客 ・・・ 斬ると議論が分裂する。 彼らは論理的な思考力がそもそも備わっていないので他人の理屈を
言論の自由*1には、相手を不快にする権利も含まれる。(1964年のアメリカ連邦最高裁裁判所判決) 11:07 PM Nov 11th webから 烏賀陽 弘道 on Twitter: "言論の自由には、相手を不快にする権利も含まれる。(1964年のアメリカ連邦最高裁裁判所判決)" 烏賀陽(うがや)弘道氏*2による、ツイッター上でのこの発言を一見して、「相手を不快にする権利」という言葉に引っかかった。そんな「権利」をわざわざ保護する必要があるのだろうか。何らかの権利行使により他人を不快にすることはいくらでもあるだろうが、それは「他人を不快にする」ことが権利として保護されるということとは異なるのではないか。 本当に「1964年のアメリカ連邦最高裁裁判所判決」がこのようなことを言っているのか(正確にこの表現で言っているのか)、知りたいと思った*3。 烏賀陽氏は、別のところでこのような発言をしてい
■編集元:ニュース速報板より 18 パレオくん(兵庫県) :2010/11/09(火) 12:04:52.87 ID:4uL56jcz0 アマチュア=問題の難しさや危険を知らないか,過小評価する。 アマチュアの論理 ・理想論を規範論にする ・当事者の能力や努力を知らず,無能・無責任・怠惰と批判する。 ・プロは,ミスをせず,また,変化や危険を予知できる存在と決めつけ, それに反する事故が発生すればプロ失格と批判し,時には,犯罪者にする。 ・難しいこと,危険なことを簡単に考え,「やれ」と言う=「素人の暴論」 ・成功や失敗の理由を,1~2の要素に求め,短絡的に理解し,論じる。 特に「アイデア」,「意識」,「体質」,「制度」,「組織構造」などに求める。 ↓ ・現在の制度のデメリットのみをあげつらう。 ・新たな制度のメリットのみをアピールして提唱する。 ・新たな制度のデメ
ギャンブルやバカラの本は人気上昇中です。ギャンブルに関する本の出版社を無視してギャンブルについて語ることはできないでしょう。こういった本は、読み出すと本当に面白いものです。世界中には多くの出版社があり、その数を数えたり、ひとつひとつ解説するのは不可能です。しかしここでは、ギャンブルに関する良質な書籍を出版している人気の出版社をご紹介します!他にもご紹介したい出版社はたくさんありますが、ここでは数社に限定しています。 (more…) ギャンブルやバカラの本は人気上昇中です。ギャンブルに関する本の出版社を無視してギャンブルについて語ることはできないでしょう。こういった本は、読み出すと本当に面白いものです。世界中には多くの出版社があり、その数を数えたり、ひとつひとつ解説するのは不可能です。しかしここでは、ギャンブルに関する良質な書籍を出版している人気の出版社をご紹介します!他にもご紹介したい出版
最近のTwitter人気は衰えを知らず、今日も多くのTLで議論が交わされている。しかし、多くの人が感じているように、Twitterはあまり議論に適したサービスではない。むしろ、議論を積み重ねるという観点から見れば、便所の落書きとも揶揄される2ちゃんねるの方が適している部分も多い。本エントリでは、2ちゃんねるとTwitterのアーキテクチャの違いに着目し、その違いが有用な議論を行なう上でどのような効果をもたらすのかについて考えてみたい。 濱野氏は著書『アーキテクチャの生態系――情報環境はいかに設計されてきたか』において、ローレンス・レッシグの提唱した概念『アーキテクチャ』に依拠した上で、ソーシャルウェアを場とみなす立場をとっている。 ここで、アーキテクチャは次のような概念だ。 任意の行為の可能性を「物理的」に封じてしまうため、ルールや価値観を被規制者の側に内面化させるプロセスを必要としない。
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