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尊敬・謙譲・丁寧といった複雑な敬語などの言い回し、「見る」でも「見られる」でもない「見える」とい... 尊敬・謙譲・丁寧といった複雑な敬語などの言い回し、「見る」でも「見られる」でもない「見える」という(印欧言語の再帰的用法とは異なる)中動態ともいえる表現を使う特異な一人称・自己の位置づけ(木村敏 「中動態的自己の病理」、『臨床精神病理』31号、147-154頁、2010年12月30日を参照)など、日本語(正確には「やまとことば」)の対象との関係性の複雑さや曖昧さの話をすると、それが日本人の美徳、日本語の美しさの所以ということになる。 一面、それは、正しいであろう。明治以降の言語学者が、日本語について西欧言語に対する強い劣等感を持っていたなかで、海外から敬語の存在を教えられ、そこに日本語の存在意義を見つけて飛びついた歴史の系譜を思い起こす。 しかし、この連載は、日本の美徳を云々することを念頭にはおいていない。美徳と言われる文化的強さ(均衡点としての社会規範や性行)を対象(客体)として自らが認
2013/06/11 リンク