真の継体天皇陵とされる大阪府高槻市の今城塚古墳(6世紀前半)の近くで石橋に使われていた石材(長さ110センチ)は、同古墳の石棺の一部だった可能性があることが分かり、10日、市立今城塚古代歴史館が発表した。 今城塚古墳は、これまでの発掘で、石棺とみられる破片は数百点出土していたが、最長で19センチしかなかった。今回確認された石棺材は最大で、同館は「立派な石棺だったことが分かり、大王のひつぎの実態に迫る発見」としている。 石棺材は幅66センチ、厚さ25センチ、重さ250キロ。ピンク色の凝灰岩で、のみの跡や表面に塗られた朱も残っていた。熊本県の宇土半島で産出することから阿蘇溶結凝灰岩や馬門石と呼ばれ、古墳時代に石棺材として用いられたことが知られている。 今回の石棺材は、家形石棺の側面か底部とみられるという。同館によると、昭和30年代まで今城塚古墳の西側にある高槻市氷室町地区で用水路の石橋に使われ
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