社会学者達は萌え絵を焼いたら、次は”ジェンダガーと”銀英伝を焼きに来ました。 社会学者やフェミニスト、ポリコレ賛成派達は、自分達で作品を作らず、自分達の価値観に合わない他者の作品を蹂躙し、自分達の価値観に矯正させることしか考えてません。 ”社会学者は馬鹿の代名詞”という実証例がまた1ページ。
■「新しい人生が始まった」 「私はすべての人間が平等であると信じます。今日、新たな人生を手に入れたと信じます」 昨年10月下旬、刺すような日光を遮る天幕の下で、数百人が手を合わせ、僧に続いて唱和した。改宗の儀式だ。終わると、仏教徒になった証明書を受け取る。「インドのへそ」とも呼ばれ、国土の中心に位置するナーグプル。毎年9~10月の数日間、改宗をする人やそれを祝福する仏教徒ら数十万人が集まる。 約900キロを鉄道でやってきた大学生ラワン・パル(23)は、「不可触民(ダリト)」と呼ばれてきた、カーストで最底辺層の出身。両親の希望で、改宗式にやってきた。「家を借りるのが難しく、ヒンドゥー教寺院に入ることも許されない。学校では教師から避けられ、警察からも嫌がらせ。犬のような扱いだった」 2007年に改宗して以来、毎年この地に来るナラヤン・アムテ(69)は「犬の方がまだいい」とさえ言う。「犬は村の井
法政大学 社会学部メディア社会学科の 津田正太郎教授が このようなtweetをした。 Shotaro TSUDA @brighthelmer @tekidanhei 作品は常に批判に開かれています。批判する自由もあれば、その批判をさらに批判する自由もあります。批判を受けて変えるのも、変えないのも制作者の自由です(強制できないですし) 「つまらない」等々は許されるのに「ジェンダー描写に違和感がある」という批判が許されないのはおかしくないですか? 2020-09-11 13:12:58 https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1590878 ツッコむにも脱力するような、恥知らずでレベル低い詭弁だ。 1.「つまらない」という批判と「ジェンダー描写に違和感が~」という批判は同等か?結論から言って、そんなわけない。 まず、つまらんという意見は別に
筆者は、社会人生活9年目にしてようやく『昇進に男女差はなかった』ことを理解した。 この考えに至るまで、筆者は「私が昇進できないのは女だからだ」と自分自身を呪い続けてきた。 今ならはっきりと言える。筆者が昇進できなかったのは、筆者自身の能力が足りていなかったからだ。 「同期の男の方が先に昇進した!私の方が結果も出してるし仕事ができるはずなのに!!」と悔しい思いをした同志たちに、自分を苦しめるだけの重たい鎧を脱いで欲しいが為に書かせて頂く。 これから書くのは筆者の経験談である。 筆者は地方の大学を卒業し、上京した。 総合職として採用されてから今まで、IT関係の企業で営業として働いている。 弊社は中規模程度の企業で、会社が創立してから相当年数が経っていることもあり、いわゆる日本企業らしい文化が残っている会社だ。 社員の約8割が男性ということもあり、筆者が入社した当時、配属先部署のフロアには女性が
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うちのブログではGoToキャンペーンに対する悪口をすでにさんざん言っているのに、まだ足りないのかと言われるかも知れないが、まだ足りない。 悪口というより、脱力感のようなものを覚える機会が相次いだ。 実家に、身内がよく使う旅行代理店から、ダイレクトメールが届くようになった。 以前はひんぱんに届いていたのだが、コロナ禍の影響で一時期めっきり減っていたのだ。 見せてもらった。 厚みは以前に比べてずいぶん薄くなっていた。 ページをめくって「あ、なるほど!」と思った。高級プラン集のようになっていたのだ。 一例として、有名ホテルや有名旅館に一泊5万3~4千円、キャンペーン適用で負担額4万5~6千円だったかな。それに何千円かのクーポン券による還元が加わる。 それよりも、ページの配色が以前の高級プランのページのものになっていたのが印象的だった。以前であれば、高級プランと一般向けお値打ちプランが別の冊子にな
gendai.ismedia.jp 上記の記事は3ヶ月前のものだ。ブコメは現時点で30ほどしか付いていないが、わたしを含めて、違和感を表明しているコメントが多い。 特に違和感があるのは、やはり、「人種は存在しない、あるのはレイシズムだ」というタイトルだろう。ここには、ある種の文系の"学問"や"社会学"に独特なレトリックと、市井の感覚との乖離が見出せる。今回は上記の記事を直接批判したり反論したりするわけではないが、このタイトルが象徴するような、"社会学的"なレトリックや議論に対してわたしたちが感じる違和感について、ちょっと書いてみたい。 人種の問題に限らず、ある種の社会学(あるいは、ある種の「哲学」や「思想」)では、"わたしたちが「自然」であったり「普通」であると思っている物事は社会的に構築されている"、ということが強調される場合が多い。 そして、多くの場合には、その社会的構築の背景には"レ
KRISTINA HARRISONさんのエッセイ:トランスの権利は、運動家が女性の懸念を尊重した場合にのみ、永続的なものとなる Harrisonさんはトランス当事者の方なのですが、女性がセルフIDに懸念を示すのは女性が受けてきた性差別ゆえであると理解しておられ、またネットで非常に攻撃的な態度を女性に対して取る過激なトランス活動家たちに警鐘を鳴らしておられます。このような方がいらっしゃることでようやくきちんとした対話ができるのだと思います。ところでどこかから苦情でもあったのか、Harrisonさんの2週目のエッセイがトップページからリンク切れになっていました。個人的には最も重要な記事の一つだと思うので少しでも多くの人に読んでもらいたいと思います。Trans rights will be durable only if campaigners respect women's concernsト
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