賃貸暮らしのわが家の地震対策【揺れから命を守る編】 以前のブログでも記載した、防災の優先順位に基づいて対策を進めています。まだ手をつけられていない部分もありますが、ある程度まとまってきたのでざっくりとご紹介していきます。 優先順位別に改善していっているため、今回は主に地震の揺れ対策がメインになります。…
賃貸暮らしのわが家の地震対策【揺れから命を守る編】 以前のブログでも記載した、防災の優先順位に基づいて対策を進めています。まだ手をつけられていない部分もありますが、ある程度まとまってきたのでざっくりとご紹介していきます。 優先順位別に改善していっているため、今回は主に地震の揺れ対策がメインになります。…
アイコンなどを作る時はよく、ドット絵をデザインの手法として使うのですが、これまで、とてもたくさんのドット絵を描いてきてテクニックをあれこれ身につけてきました。はてな社内でも、どうやって描いてるの?みたいな事を時々聞かれます。試しにはてなマップで地図に表示される「写真」アイコンをWinkを使って再現してみました。(実際の物はもっとディテールに手をいれてますが。)意外と時間がかかってしまい、1300フレーム6MBにもなりましたが、個人的にも客観的に見れて面白かったです。 ドット絵ができるまで ドット絵1つでも小さい領域ながらテイストや雰囲気を考えながら作る事ができ、非常に奥の深い手法だと思います。 追記 下書き:http://d.hatena.ne.jp/tikeda/20050715/1121441586
id:tdaidouji:20050623#p1の続きとして、id:pmoky:20050624#1119554528への返答として。 前置き まず、ちょっと便利だったので引用させていただきます。 逆説的ではあるけれど、私は自分の認識している「世界」と、「現実の出来事」にズレが起こった時にこそ「世界」とか「現実」を感じるのだけどなぁ。観念として認識している「整合性のとれた世界」こそが「世界」なら、体験・経験なぞ余計なことだと思うのだけれど、何故かゲームだとか小説だとか映画だとかでは、整合性のとれたものこそ「世界」と呼ばれている気がする。 http://kishiwadungeon.hp.infoseek.co.jp/memo200507.htm#0703-2 この意見には、私はあまり異論がありません。ゲームにおける整合性というのが、おそらくゲーム性と言われてしまうもののことだと思っています
Q1:昔はそんな区別してなかったのに、なんで分けて考えなきゃならなくなってんのか。 A1:ゲームがジャンル化したから。 ジャンル化するてことは、以前からの作品文脈の方向性がゲームプレイ時に入り込むことになる。 ゲームの場合、そのジャンルの文脈てのはゲームシステムの大雑把な方向性を指す。STGとかRPGとか。ジャンル化すると文脈からの継承、延長がプレイヤーの読み筋となる。でも作ってる奴は別の読み筋で読んでもらいたい。そこでプレイヤーを別の作り手の期待する読み筋に誘導するために「物語」が導入される、というのが大雑把な筋書き。要するに、ジャンル文脈に頼りきってプレイヤーの読み筋を誘導するための手つきの繊細さに欠けると「物語」が分離する。 Q2:「物語」って? A2:この場合、ゲームの切断面と言えばいいのか。クリエイターとプレイヤーの共有事項と言えばいいのか。プレイヤーから見て理解できるもののこと
1964年生まれ。東京造形大学卒業。90年代『カロとピヨブプト』『パクシ』など子どものためのアニメーションを多彩な技法で制作。2002年『頭山』がアヌシー、ザグレブをはじめ世界の主要なアニメーション映画祭で6つのグランプリを受賞、第75回アカデミー賞にノミネートされる。『頭山』は、「アニメーションの一世紀 100作品」、「ASIFA50周年記念アニメーションベスト50」の1本に選出される。また『カフカ 田舎医者』がオタワ、シュトゥットガルトなど7つのグランプリを受賞。これまで国内外の受賞は90を越える。2010年文化交流使としてカナダで活動。2011年カナダ国立映画制作庁との共同制作で『マイブリッジの糸』が完成。 アジアアニメーション映画祭にて優秀アーティスト賞受賞(2006)、アルビーン・ブルノフスキー名誉メダル(2008)、 第30回川喜多賞(2012)受賞。 『くだもの だもの』『お
賃貸暮らしのわが家の地震対策【揺れから命を守る編】 以前のブログでも記載した、防災の優先順位に基づいて対策を進めています。まだ手をつけられていない部分もありますが、ある程度まとまってきたのでざっくりとご紹介していきます。 優先順位別に改善していっているため、今回は主に地震の揺れ対策がメインになります。…
リンク先を追いかけてって、ゲームの論文を読んだ。 物語性と主人公に着目して (インタらネット内) 主な主張はひとつだけ。物語の主人公とプレイヤーのコマであるプレイヤーキャラクターを区別して考えろ、というもの。これについては異論は特になし。ノベルもののギャルゲーにおいてはヒロインが物語の主人公を担当してるのはもはや常識だし。 やっぱり残念なのは「インタラクティブ」ていう言葉が便利ワードになってるところかしら。わかっててやってるんだろうけど、ちょっとアジテーションくさい。 んーと、映画や小説や漫画と比較して、ゲームが取り立てて有利なメディアだとは思わない。時間や金銭など、消費者側が支払うコストが高すぎる、というのがその理由。ゲームはインタラクティブメディアである、などというより、消費者側がそのメディアを享受するにあたって行うべき行動を各ゲームタイトルごとにかなり大幅に改変できる、極言すれば1ゲ
捕れないボールがあるものか。構えたミットが受け止める。 (テレビアニメ「ドカベン」主題歌『がんばれドカベン』より) 俺は自分語りをあまりしないし、好きではない。でも、このサイトの方針を明確にするために、そのわがままにしばしおつき合い頂きたい。 内容は、「俺は何故、物語至上主義者と名乗るに至ったか」について、である。 表現、という言葉には、二種類の人間が必要である。送り手。そして受け手である。 昔、俺は優れた送り手になりたかった。面白い男と言われたかった。「粋で乙な男」になりたくて仕方がない、だがなれない。「タイガー&ドラゴン」の虎児のように。俺は、いつだって「面白い男」から遠ざかっていく。 この「江戸川番外地」というサイトだって、本当はもっと誰が見ても面白いサイトにしたかった。だが、そうはいかなかった。 俺は送り手にはなれない。いつの頃からか俺はそう考えるようになった。サイトを始めて5年し
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