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論考に関するuboshiのブックマーク (70)

  • 五月革命。 - asap@anex.

    僕にとってWebは思いつきのクリップと、ささやかな実験的実践とプロモーションのための手段に過ぎない。コミュニケーションは結果的に生まれるモノですな。なんとなく。 なんてのはさて置き。増田聡氏が「BLOGというアーキテクチャ」の話をある機会にしていて、また、Webだ活字だという議論になったのを想い出し、そこから延長して、というか唐突にふと思いついてみたことなので、適当に聞き流して欲しいのだけども。ブログって、市民革命的なツールよね。と。 と言うか、これは旅行先のひろしま美術館にて、フランス革命という出来事が芸術作品を貴族から市民に開放したという歴史的経緯についてふと想い出し、そこからつらつらと妄想してたらブログ作法トークショーの内容を思い出した、という順序が正しい。唐突に「ブログは市民革命だ!」なんて、まるで下手な社会学者もどきなことを書いても読者が混乱するだけではないか。 つまり順序はこう

    五月革命。 - asap@anex.
  • BBSの変容と現代日本の若者文化

    (要旨) 現在日のネット文化を考えるとき、コミュニケーション・ツールとしての電子掲示板(BBS:Bulletin Board System)が果たしている役割を無視するわけにはいかない。公共的な討議の場となることもあれば、友人との私的な会話空間や独白の舞台となることもある、あるいは、マスメディア的ジャーナリズムに対抗するような情報交換の場となることもあれば、匿名の有象無象が無責任な「放言」を垂れ流すだけのカオスともなることもある…毀誉褒貶さまざまな評価が差し向けられてはいるが、BBSが現代文化の「基層」を形成しつつあることは間違いないだろう。 報告では、 1.日におけるBBSの歴史的変容(90年代の「インターネットの世俗化」以前/以後の変容)を簡単にたどったうえで、 2.近年話題を集めている「ポストモダン社会」論、「データベース的消費」論(世界像を内包した物語よりは断

    uboshi
    uboshi 2005/07/21
    [2ちゃんねる][北田暁大][動物化するポストモダン]
  • 【日記】ぼくらは「2ちゃんねらー」であって「電車男」ではない - Atahualpa

    いま書店で売っている「小説トリッパー」の春号を買ってきて、パラパラと読んでたのだが、斉藤環の連載評論の第四回「オンライン小説、あるいは文化的語受信による三幅対」が、『DeepLove』『いま、会いゆきます』『電車男』という最近の「顰蹙系」話題作を批評の俎上に上げていて面白かった。斉藤環はこの3作品の文化圏を以下のようにカテゴライズしている 『DeepLove』=ヤンキー文化 『いま、会いにゆきます』=サブカル文化 『電車男』=おたく文化 ぼくはこれらの作品のうち『いま、会いにゆきます』だけは読んだことがないけれど、この作品はセカチュウ以上に村上春樹のエピゴーネンで、カート・ヴォネガットやジョン・アーヴィングへの言及なんかもあるらしいですね。作者はオンライン小説からデビューしているので、この3作品はいずれもネット関係の小説ということになる。そして、これらの作品が上記のようにキレイに読者層をカ

    【日記】ぼくらは「2ちゃんねらー」であって「電車男」ではない - Atahualpa
  • 故富沢雅彦氏の言説 - ARTIFACT@はてブロ

    おたくの (別冊宝島 104) 出版社/メーカー: 宝島社発売日: 1989/12メディア: 単行購入: 2人 クリック: 22回この商品を含むブログ (27件) を見るで、この前別冊宝島の『おたくの』の「おたくに死す 殉教者・富沢雅彦へにレクイエム」(千野光郎)を読んで気付いたんだけど、1986年に亡くなった故富沢雅彦氏はすでにかなり似たようなことを言っていた。 富沢雅彦氏は主に同人誌「PUFF」を中心に活動していたライターで、商業ベースの仕事は『美少女症候群』(ふゅーじょんぷろだくと)などかなり少ない。初期は、怪獣映画、特撮番組、SFをベースに、その後ロリコン方面に活動を移していく。 富沢雅彦氏を語った有名人はあまりおらず、浅羽通明氏が『天使の王国』で一章を割いて触れているぐらいだ。現在ネット上では、富沢雅彦氏に関する言説はかなり少ないのだが、浅羽通明氏に言及する流れで言及する人

    故富沢雅彦氏の言説 - ARTIFACT@はてブロ
  • 「B級保存版」のホームページ

    「おたく文化の原点としての80年安保的価値観の救出したい部分」の話です。良くも悪くも、皮肉や嫌味抜きに「80年代を知らない世代」ってのが既に出現してる、ってのはカルチャーショックでした。自分も「今だに80年代固執派」には相当に反感がありますが、難しいところで、同時に、ホンの一瞬だけど、彼らの言うような物が「輝き」を持ってた時代もあったと思います。それを後から出てきた世代の強みでムゲに否定しバカにして終わりにするのはちょっと無責任かなぁ、って思いもある。 それと、しょせんは自分にとっての西部邁とか福田恆存ってのは20歳を過ぎてから後づけの知識で仕入れた付け焼き刃で、やっぱ十代の頃に「アニメや漫画や怪獣」とかいったおたく的サブカルチャーにまみれていた頃に得た物が物を考えるベースとしてしっくり来るんで、そのへんを一度虫干ししとこう、ってな思いもあって。今回はそんなわけでそういうオタク話ばっかにな

  • http://introweb.sakura.ne.jp/blog/archives/2005/06/post_293.html

  • http://www.ann.hi-ho.ne.jp/cuteplus/ncp/cpg22.html

  • 純粋なココロ : 『男性版やおい』が、今まさに誕生しつつあるのかも知れない

    完全に男性が排除されている「マリア様がみてる」が男性にここまで受け入れられている事や、エロゲの「処女はお姉さまに恋してる」のヒット、ショタの存在とかからはその様な流れが何となく感じられるのです。 エロゲ、エロ漫画も主人公である男性ではなく、実は少女の方に感情移入してるのではないか。現実での母性的身体を恐れる反面、実はとてつもない憧れを抱いている事の当然の帰結として。 と、具体的な作品例を提出されています。 【『やおい』との奇妙な符合】 コレはたぶん、以前僕もチラリと触れた「やおい女」の方向性……「男の子になりたい願望を充足させるためのやおい」の男性版の流れであると思われます。 鬼書「コミュニケーション不全症候群」で中島梓は、「JUNE少女*1」の中の父性への恐れと憧れを看破しましたが、これは「現実での母性的身体を恐れる反面、実はとてつもない憧れを抱いている」という、chunyanさんが指

  • 純粋なココロ: さすが、オナゴ様は言うことが違う ~『見られる性』への男女意識格差~

    現在は「純粋なココロ2.0」で活動中です。 初めての方や、過去ログを参照したい方は、おすすめリンク集からどうぞ。 【関連サイト】 ・純粋なココロ2.0(移転先) ・世界のはて(はてなダイアリー別館)

  • 徒然庵日記 : 百合色の夢

    絵の超初心者ド下手くそ人間が、20日間絵を描いて感じたこと わたしは、「文の人」だ。絵を描くのは大の苦手。 そんなわたしが、ひょんなことから絵を描き始めた。 そうしたらおもしろくなって約20日間、なにがしかを描きつづけている。 未知の領域での挑戦は、発見が多い。 また、ここまで絵を描けない人間の挑戦は、あまりネッ…

    徒然庵日記 : 百合色の夢
  • 「傷付ける性」としての男性、そして少女化 - ARTIFACT@はてブロ

    徒然庵日記 -  百合色の夢 http://d.hatena.ne.jp/chunyan/20050707/1120755365 純粋なココロ: 『男性版やおい』が、今まさに誕生しつつあるのかも知れない http://a-pure-heart.cocolog-nifty.com/log/2005/07/post_cbf5.html この“「傷付ける性」としての男性”の理論的バックボーンに関しては、chunyanさんが言うようにササキバラゴウ氏の『〈美少女〉の現代史』で説明されている。著書参照となっているだけで、どの書籍なのか書かれていなかったので補足。 「美少女」の現代史 (講談社現代新書) 作者: ササキバラゴウ出版社/メーカー: 講談社発売日: 2004/05/20メディア: 新書購入: 3人 クリック: 57回この商品を含むブログ (121件) を見るあと、純粋なココロのコメント欄を

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    賃貸暮らしのわが家の地震対策【揺れから命を守る編】 以前のブログでも記載した、防災の優先順位に基づいて対策を進めています。まだ手をつけられていない部分もありますが、ある程度まとまってきたのでざっくりとご紹介していきます。 優先順位別に改善していっているため、今回は主に地震の揺れ対策がメインになります。…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
  • http://amrita.s14.xrea.com/d/?date=20050713

  • 切込隊長BLOG(ブログ) - ロンドン爆破テロ事件の雑感

    犯行に及んだ四名が特定されたらしい。 http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20050712it15.htm http://www.asahi.com/international/update/0713/001.html http://www.sankei.co.jp/news/050713/kok001.htm 別にためにする議論をしたいわけじゃないのだが、容疑者の絞り込みの見通しが立つまでは、どうしても国際的テロ組織アルカイダやタリバンとの関連を予見させる記事が目立った。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050709-00000104-yom-int http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050709-00000052-mai-int で、結局違ったわけだが、むしろ問

  • 私はクリエイティブ・コモンズを(たぶん)使わない

    Warning: include(/www/commonsphere.jp/global/head.php) [function.include]: failed to open stream: No such file or directory in /home/dominick/public_html/commos/column/smasuda/index.php on line 15 Warning: include() [function.include]: Failed opening '/www/commonsphere.jp/global/head.php' for inclusion (include_path='.:/usr/share/php:/usr/share/pear') in /home/dominick/public_html/commos/column/s

  • http://homepage.mac.com/annatto/memo/korosuni.html

  • http://www.asahi-net.or.jp/~RG8S-SZK/hobby/NIKKI/2005/200507.html

  • 2005-07-10

    以下の文は内野さんのマッピングに触発され、6/30日にメモされていったものだが、あんまりまとまらないので、upしなかった。でもこのままだと、捨てるだけだし、そもこのブログはメモなんだから、やはり載せて、それからまた考えていこうということで。 それにしても、ことは舞台に限る問題ではない。内野さんが注で引用されているリチャード・シェクナーのことばに、「ポストモダニズムが、かつてのモダニズム同様、完全に制度になったということです。モダニズムは破壊や新しさというものを基軸に成立しました。ポストモダニズムは再利用と再編成によって成立します」というのがある。 また、いま読んでいるにあったパブロ・ピカソの言葉に、「芸術がひとたび公認され、誰にでも理解できるものになってしまうと、その時、新しいアカデミズムが生まれる」というのがあった。 このふたつの言葉=認識に表される事態について、である。 どこから攻め

    2005-07-10
  • はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知
  • 幼少の砌の日記の思い出 - Moleskin Diary 2.0

    世の中には学級日記なるものがある。学校での出来事、家族のこと、先生に言いたい事を日記に書いて提出し、先生にコメントをつけて返してもらうというやつである。僕も小学生のころやらされていた。 ある日、僕はある学校行事のことを書いた。何の行事だったかは忘れた。学校の行事というのは建前としては生徒が主体的に取り組むものであるということが強調される。しかし実際には学校側によって強制的に参加させられる代物でしかない。矛盾した状況である。*1 僕は日記にそうした矛盾に対する違和感を正直に書いて先生に提出した。翌日、僕は先生に呼び出され、おまえは強制されるのが嫌なのかと叱責された。思い返してみるに当時の担任は生徒に対する指導力に欠けた人で、欠けた部分を厳しい言動とエキセントリックな感情の発露で補っていた。そのため他の先生のようにそうした矛盾を悪く言えば柔らかく誤魔化すことができなかったのだろう。ある意味正直

    幼少の砌の日記の思い出 - Moleskin Diary 2.0