言葉の数だけ世界は広がる―無限の楽しみ! 『日本語の隣人たち』、『日本語の隣人たちⅡ』の合本復刊。日本語の「隣人」計16の諸言語を各3課構成で紹介。音声はWebで聴けます。 知らない言葉、知らない広大な世界 通常のニューエクスプレスプラス・シリーズとは異なり、東アジアの端に位置する日本列島を取り巻く16の言語をそれぞれ「言語の概要+3章の会話と文法解説」というコンパクトな形で紹介します。どんなところで、どんな言葉が話されているのか、興味は尽きません。 本書は2009年刊行『日本語の隣人たち』と2014年刊行『日本語の隣人たちⅡ』を内容はそのままに合本にしたものです。音声はウェブで聴く形に変更になりました。 [目次] Ⅰ はじめに 日本語の隣人たち (中川 裕) Ⅰ セデック語の世界 (月田 尚美) Ⅱ ニヴフ語の世界 (丹菊 逸治) Ⅲ ホジェン語の世界 (李 林静) Ⅳ イテリメン語の世
『万葉集』の作者層が「天皇から庶民まで」にわたるというのは、近代国家建設期に、国民的一体感の醸成という国家的課題に沿って作為された想像、幻想である。そのことを私はもう二十年も前に実証し、『分断された時代を生きる』(白水社、二〇一七年)にも寄稿した。 ところが、この古臭い幻想を早口でまくし立てた男がいる。耳を疑うそばから奉祝ムードが拡がり、次々に便乗本が刊行された。東歌は民謡であるなどと、とっくに潰(つい)えた説を蒸し返す輩(やから)まで現れたではないか。おいおい、改元したと思ったら、昭和に後戻りしたのかい? 東歌は巻十四に二三〇首が載る。あからさまな性愛表現など、『万葉集』中の異彩と評すべき歌群だが、すべて定型の短歌であって、字余りの様相までが都の貴族たちの作とまったく同一の法則に支配されている。短歌という貴族の詩形に、この詩形が許す限りで特異な内容を盛った歌々、それが東歌なのだ。 足(あ
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