遺伝子を効率よく改変するゲノム編集研究の第一人者で米ブロード研究所のフェン・チャン主任研究員は、エボラ出血熱やジカ熱の早期診断技術を開発したことを明らかにした。ウイルスの遺伝情報が…続き 受精卵のゲノム編集、なぜ問題 優生思想と表裏一体 [有料会員限定] ゲノム編集食品 販売容認、条件満たせば安全審査なし [有料会員限定]
今回は、絶好調のクックパッドの技術陣を率いる最高技術責任者、橋本健太さんにお話を伺いました。橋本さんは、その落ち着いた物腰から想像した通り、SFCの研究室出身です。SFCでの佐野社長との出会いや研究者から民間企業に転じたいきさつ、そしてサイトの「Ruby on Rails」による全面リニューアルの舞台裏などを余すところなく語っていただきました。引っ越ししたばかりのクックパッド社の白金台のオフィスには、大きなキッチンが広がっています。キッチンを通り抜けた会議室で1時間ほどお話を伺いました。 橋本健太 氏 ◆クックパッド株式会社の最高技術責任者。 ◆慶応義塾大学政策・メディア研究科修士課程修了。 ◆同博士課程在籍中に、研究員として、細胞のコンピュータシュミレーションの研究を行う。 ◆2004年、クックパッド株式会社の前身である有限会社コインへ入社、ユーザー向け有料サービス立ち上げに従事。 ◆2
レンタルサーバーサービス「ロリポップ!」や、ブログサービス「JUGEM」などの提供で知られる“ペパボ”ことpaperboy&co.(ペーパーボーイアンドコー)。「2manji」などのユニークなサービスを次々にリリースすることでも知られる。 社長の家入一真氏は、2007年には“元引きこもりのIT社長”として内閣メールマガジンにも登場したことでも話題になった。家入氏はどんな思いで起業し、また東京への移転を決めたのか。ここに至るまでとこれからについて聞いた。 ● リーダーから孤立への転落 家入一真氏 paperboy&co.代表取締役社長。1978年生まれ、福岡県出身。中学でリーダー格から一転、孤立した経験が尾を引き、高校でも周囲と馴染むのに失敗。きっかけが掴めないままに引きこもりになったという 中学生の頃までの僕は、明るくてクラスでもリーダー的存在でした。クラスにはリーダー的な子がもう1人いて
小野 和俊(おの・かずとし)さん 慶應義塾大学環境情報学部を卒業後、サン・マイクロシステムズ株式会社に入社。研修終了後はアメリカ本社に移り、JavaやXMLでの開発を経験する。2000年に帰国すると株式会社アプレッソの代表取締役社長に就任。2001年データ連携のミドルウェア「DataSpider」を開発し、数々の賞を受賞する。2003年より製品開発に専念するため代表取締役副社長CTO、メインの開発エンジニアとなる。 小野さんは新入社員研修が終了後、アメリカの本社で働くことを選びました。「私がシリコンバレーで働きたいと思ったのは、『向こうの技術は日本より5年も進んでいる』といわれていたから。学生時代に大手シンクタンクでナレッジマネージメントシステムを開発していたのですが、いわれているほど日本の開発が遅れているようには思っていませんでした。そこで『本当に5年も進んでいるのならば、自分の目で確か
公式ホームページへ 1.まずはここから 2.『スーパーデラックス』と『ウルトラスーパーデラックス』 3.ウルトラないろいろ 4.シークレット いろんなごほうび 作った人たち ハル研 阿部さん ハル研 熊崎さん 任天堂 白川 もっと詳しく 5.最後にメッセージ N.O.MのバックナンバーへN.O.M11月号のサイトマップページへ
放送作家 高須光聖のオフィシャルホームページ「御影屋」では一線で活躍する多くの放送作家をはじめ、テレビを創る人々と、高須光聖との対談がご覧頂けます。
「Amebaブログ(アメブロ)」などのネットメディアを展開する他、インターネット専門広告代理店としても事業を展開する株式会社サイバーエージェントの藤田晋社長は、代表的な若手企業家としてメディアに登場してきた。「普通の人」と自らを評する藤田社長の起業の原点を、今回はあえて探る。(聞き手はグリー社長 田中良和) 藤田 晋(ふじた すすむ)氏 プロフィール1973年福井県生まれ。97年3月青山学院大学経営学部卒業後、株式会社インテリジェンス入社。その後、24歳の若さで株式会社サイバーエージェントを設立し代表取締役に就任。インターネット広告で躍進し、2000年3月には史上最年少の26歳で東証マザーズに上場を果たす。著書に『渋谷ではたらく社長の告白』など。 藤田さんのGREEのプロフィールを見る ごくごく平凡な小中高時代 田中:藤田さんは株式会社サイバーエージェントという会社の社長というイメージが
はてなの組織としての魅力には、社長・近藤淳也氏のパーソナリティが色濃く反映されていると言われる。前編では、起業までの軌跡を追った。「やりたいことをやる」を貫き通した学生時代から、起業を決断したターニングポイントはどこにあったか?(聞き手は弊社社長 田中良和) 近藤 淳也(こんどう じゅんや)氏 プロフィール 1975年生まれ。2000年京都大学大学院を中退後、カメラマンを経て、2001年7月「有限会社はてな」を設立。2004年春、株式会社化ならびに東京移転。初の著書『「へんな会社」のつくり方』は、2月13日発売。 近藤さんのGREEのプロフィールを見る 「人生、何でもあり」を実感したアメリカ横断 田中:会社を作るような人は初めから使命感やビジョンのままに生きて来たに違いないという固定観念があると思いますが、多くの場合、そんなことはないと思います。実際、僕自身も学生の頃の「将来的にやりたい
「Flash作品の紹介を中心としたウェブアニメーション情報サイト”イイ・アクセス”の管理人。 Flashがネットでよく見られるようになった2001年ごろから数多くの作品を見続けてきたフラッシュ好きなファンの一人でもある。最近はFlash-ClipなどFlash作品を扱った新たなサービスを模索中!?」 インターネットの発展にともない、現在ウェブ上には数々のサービスが提供されている。これまで企業が中心となって提供されていたウェブサービスが、XML、SOAPなどの標準技術を利用することにより一般のユーザーでも簡単に利用できることになったことで、個人レベルで様々なウェブサービスが作られるようになった。そのような中、2週間に六つのウェブサービスを立ち上げ、Yahooニュースにも取り上げられ大きな注目を浴びたひとりのクリエイターがいる。今回は現在も大きな話題を集めている“IT業界のえがちゃん”こと永
連載第2回目は、なんと夫婦同士の対談です。お相手は、はてなダイアリーやはてなブックマークをはじめ、エンジニアのみなさんにも人気のサービスを次々とリリースしている(株)はてなの代表取締役社長 近藤淳也さんと、その奥様であり、はてなで広報、総務、経理などのお仕事をされている令子さん。それを迎え撃つのは、小飼弾さんとその奥様、直美さんです。いったい、どんなGeek話が飛び出すのでしょうか?(文中、敬称略) なお、この対談の模様は、近藤淳也さんの日記でも、podcastで音声が公開されています。 編集部注) 本対談は2006年5月に行われたものです。 撮影:武田康宏 夫婦でも情報共有 弾:淳也さんは社内の情報共有を強く意識されていますが、夫婦間の情報共有はどうですか? 令子:彼は、夫婦のことは夫婦でちゃんと情報共有しようっていうスタンスだったんですけれど、私は個人は個人なんだから、知らない
今回の対談相手は、シックス・アパート(株)勤務で、現在サンフランシスコ在住の宮川達彦さん。本誌でも連載や特集でこれまで何度もご執筆いただいていますが、渡米して数年、アメリカでの生活はどんな感じなのでしょうか? 左:宮川達彦氏、右:小飼弾氏(撮影:武田康宏) 経歴 弾:お久しぶりです。 宮川(以下、宮):お久しぶりです、どうも。 弾:最初に、あらためて簡単な経歴を。 宮:東京大学の理学部情報科学科でコンピュータサイエンスの勉強をしていて、2年のときにオライリー・ジャパンでバイトを始めました。そのときはコンピュータというより事務系の仕事で、4年になったときにオン・ザ・エッヂ[1]でアルバイト。それが1999年。上場前で、弾さんが入る…。 弾:前ですよね。そう、先輩なんですよ、オン・ザ・エッヂでは。 宮:僕が2ヵ月くらい前に入って。それから5年くらいライブドアにいて、2005年からシック
今回のゲストは、TwitterのCo-founderであるEvan Williamsさん。対談は2007年11月16日、Web 2.0 EXPOでO'Reilly MediaのTim O'Reillyさんとの「A Conversation with Evan Williams」と題したキーノートのあとに行われました(以下、敬称略)。 (左)Evan Williams氏、(右)小飼弾氏(撮影:平野正樹) 今日は働いています 弾:Hello there! Evan:Hi! 弾:今日はTwitterを見ながら対談しましょう。 Evan:そりゃすごい。今日誰か落ちてるって言ってたけど。 弾:今は動いているみたい。 猫はニャン匹? 弾:Twitterを動かすのに猫は何匹必要?[1] Evan:多過ぎて数えられないよ(笑)。 弾:まじめな問題、Twitterの稼働率ってどれくらい? 当初はず
海外面白系ニュースを扱うブロガーの方にその手法や思いをインタビューしてみようという日曜企画、第5弾です。今回は「東京福袋」で「Tokyo Fuku-blog」を運営されている吉野さんとみやしたさんをご紹介いたします。「Tokyo Fuku-blog」的コンテンツ戦略は一体どんなものなのでしょうか? ブロガーインタビューvol.5 Tokyo Fuku-blog:吉野 忍さん・みやしたゆきこさん http://tokyo.txt-nifty.com/fukublog/ ■「Tokyo-Fuku-blog」というタイトルの由来は何ですか? いろいろタイトルを考える中で、親サイト「東京福袋」の「ブクロ」を「ブログ」に変えた「Tokyo Fuku-blog」を思いつき、これしかないと決めました。 ■ブログを始めた時期を教えてください。 「Tokyo Fuku-blog」は2004年5月から、親サイ
海外面白系ニュースを扱うブロガーの方にその手法や思いをインタビューしてみようという日曜企画、第6弾です。今回は「エルエル」を運営されているご本人のエルエルさんをご紹介いたします。人気のあるブログを継続していく、その心意気と秘訣は? ブロガーインタビューvol.6 エルエル:エルエルさん http://10e.org/ ■「エルエル」というタイトルの由来は何ですか? これは漫画家の古賀亮一さんの「ゲノム」と言う作品に出てくるエルフっ子の名前をそのままパクリました。この子が大好きなのです。ちなみに本家のエルエルさんはウチのサイトのエルエルとは姿とか格好は全然似てないんですけどネ。おっぱいだけにちょっと似てるけど(笑 ■ブログを始めた時期を教えてください。 今現在最も古いログとして残っているのは2003年の9月です。でも実際に初めてウェブサイトを作ったのは2001年だったと思います。当時はサイト
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