江戸から明治時代に流行した「大阪七墓巡り」が静かなブームになっている。当時、町衆が徹夜で市中郊外の七墓をまわり、若い男女のデートコースでもあったという七墓巡り。ほとんどの墓地は消え、跡地には高層ビルやマンションが立ち並ぶが、わずかな“面影”から醸し出る不思議な魅力を求めて現代人が訪れるという。(上岡由美) 梅田墓地の「現在」 午後11時過ぎ。夜空にそびえ立つ高層ビル群。見上げると月光がメタリックなビルの壁面に降り注ぎ、まるでまちが眠りながら呼吸しているよう。 この日、集まったのは約30人の男女。平成版の「大阪七墓巡り」の参加者だ。親子やカップルもいるが、ほとんどがこの日会った人ばかり。浮かれ騒ぐわけでもなく、静かに梅田墓地を目指す。 梅田墓はJR旧梅田貨物駅界(かい)隈(わい)にあったとされ、大阪駅北側の再開発で当時を彷彿させるものはないが、墓場があったと思うだけで何か人を惹きつけるものが
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