タグ

精神分析に関するukeyeのブックマーク (15)

  • フロイト=ラカンに入門するために - A Mental Hell’s Angel

    2015-02-21 フロイト=ラカンに入門するために 精神分析入門のためのレビューエントリーです。  臨床家のための精神分析入門―今日の理論と実践 作者: アンソニーベイトマン,ジェレミーホームズ,館直彦,増尾徳行 出版社/メーカー: 岩崎学術出版社 発売日: 2010/10/01 メディア: 単行 この商品を含むブログを見る 極めて網羅的。精神分析学について知りたい場合は書と藤山さんの著書をまずおすすめです。 集中講義・精神分析〈上〉精神分析とは何か/フロイトの仕事 作者: 藤山直樹 出版社/メーカー: 岩崎学術出版社 発売日: 2008/11/01 メディア: 単行 クリック: 18回 この商品を含むブログ (9件) を見る 上巻はフロイト中心。 集中講義・精神分析 下 フロイト以後 作者: 藤山直樹 出版社/メーカー: 岩崎学術出版社 発売日: 2010/06/01 メディア

    フロイト=ラカンに入門するために - A Mental Hell’s Angel
  • 『【再掲】素人による精神分析読解の問題(『フロイト全集 月報』)』

    最近、精神分析に対する自分の考えを表明してほいた方がいいかなと思うことがありました。 岩波版『フロイト全集』第19巻(2010年6月配)によせた文章をここに再掲します。 少し前の文章ですが、自分の考えは変わっていません。 素人による精神分析読解の問題 國分功一郎 フロイトは医者だった。一八八一年にウィーン大学医学部で学位を取得しており、一八八六年にはウィーンでクリニックを開業している。フロイトの名は精神分析から切り離せないが、これはフロイトが医者として患者に接するなかで自ら創始し、様々な変更を受けいれながら発展させていったものである。つまり、それは、彼がヒステリーや神経症に苦しむ患者を治療するために作り出した理論である。 すると次のような疑問が出てくるのは至極当然のことであるように思われる。たとえば筆者のような、医者でもなく、心の病の治療に携わるわけでもない人間が、フロイトの精神分析につ

    『【再掲】素人による精神分析読解の問題(『フロイト全集 月報』)』
  • ニセの問題の見分け方/ドゥルーズ『ベルクソンの哲学』について - 学者たちを駁して

    上手に問題を出す 答えを出すことよりも質問することの方が難しい。質問の仕方が不味ければ正しい答えを出せるはずもないし、答えが見つからずに悩んでいる時は質問の仕方がそもそも良くない場合が非常に多い。或る問題が一向に解決を見ないのは、答えばかり知ろうと焦るあまりに、問題を上手に立てることをおろそかしているからではないだろうか。 ちきりんでも室井佑月でも、なんか学校でいた「この問題わかんないから答え教えて! 難しいことわからないので答えだけでいいから!」っていう友達思い出すんだよねえ。お前、答えだけ聞いてわかったつもりになっても、なんでその答えになるか考えられないと意味ないだろう、みたいな。— 津田和俊@てっぽう撃つでぇ (@kaztsuda) 2015年1月6日 たとえ正しい答えを知ることができたとしても、その答えを出すに至るまでのプロセスを知らなければ、学生がよくやる一夜漬けのその場しのぎと

    ニセの問題の見分け方/ドゥルーズ『ベルクソンの哲学』について - 学者たちを駁して
  • Hatena ID

    Hatena ID is an account used for various Hatena services.

    Hatena ID
  • 哲学にとってタブーとは何か?/デリダ『精神について』Ⅰを読む - 学者たちを駁して

    精神分析家としてのデリダ デリダは常に精神分析家の眼差しで哲学者を眺めている。彼にとって、哲学者とは何よりもまず神経症者であり治療の対象である。けれども、生きた生身の人間を治療すべき対象として扱うのは言うまでもなく大変に無礼なことだ。ましてや医者でも何でもない人間にお前はヒステリーだと言われ、治療が必要な病人として扱われたらふつうは怒る。だが、生前のデリダは勇敢にもその種の無礼を何度となく働いて相手を激怒させてきた。例えば、フーコー*1やサール*2との論争などはその典型例である。要するに、生者に対する精神分析はイヤラシイのだが、もちろんデリダはそうした"治療"が不可避的に孕む背徳性を十分に承知していた。自分と同時代を生きる人々について語るとき、彼がどこか遠慮がちに見えたのは多分そのせいだろう*3。 それに対して書『精神について』(1987年)でデリダが取り扱うのはハイデガーである。当時、

    哲学にとってタブーとは何か?/デリダ『精神について』Ⅰを読む - 学者たちを駁して
  • ネットメディアで露出した「図書館で本を借りた」と公言してしまうナルシシズム - エキサイトニュース

    フロイトにはじまる精神分析は、幼児期の性欲をずいぶんと重視した。 幼児期に性欲の充足(とりわけ、親を性の対象とすること)が禁止されることによって、子どもはいわば「断念」あるいは「欠如」を体験する。 この欠如が、人間の欲望のもとになっている、という人間観である。 だから、精神分析に批判的な人は、いくらなんでも幼児期の性欲を大きく見積もりすぎなんじゃないか、と言う。僕自身も、ちょっとそう思っている側の人間だ。 フロイトが書いたもののなかでおもしろいのは、これでもってフロイトが人間の行動、とくに「文化的」な行動を説明しようとしたところだ。 もちろん、フロイトの当初の目的は、人間が精神を病む仕組を解き明かすことだった。 ところが、いろいろと臨床の経験を積み、また理論を構築していくうちに、病だけでなく、人が恋したり、出世しようとしたり、お金儲けしようとしたりするような、要は一般的な行動も、「禁止」「

    ネットメディアで露出した「図書館で本を借りた」と公言してしまうナルシシズム - エキサイトニュース
  • エディプス・コンプレックスと日本的ナルシシズム

    人間のこころについて、それを閉じた計算機のアナロジーで考える立場がある。この場合に、一人の人間という固体の中には、予め生存に必要な計算を行う材料が遺伝情報のような形で内在的に備えられており、それが時間経過に沿って展開することで、人間としての十全な知性が発揮されるようになると考えられる。この場合に精神の病は、機械の故障に譬えられる。 それとは異なる考え方をする現象学や精神分析のような立場がある。こちらでは、閉じた個人としての意識を、文化的に複雑な作業を経てようやくに到達できるものであると考える。自我のまとまりは損なわれやすいもので、乳幼児の意識にとって母の意識が分離しがたいものであるように、私たちの意識は社会や周囲の雰囲気と一体化しやすい。また、性欲などの衝動は、特に思春期などの人生経験が不十分な時には、自我の中に統合できない精神の異物と体験されうる。個々の衝動が、個人の全体を飲み込んでしま

    エディプス・コンプレックスと日本的ナルシシズム
    ukeye
    ukeye 2014/02/05
    あとで読む
  • 〈ドゥルーズの麻薬論〉――来たるべき薬理分析 - A Mental Hell’s Angel

    2014-01-04 〈ドゥルーズの麻薬論〉――来たるべき薬理分析 狂人の二つの体制 1975-1982 作者: G・ドゥルーズ,宇野邦一 出版社/メーカー: 河出書房新社 発売日: 2004/05/21 メディア: 単行 クリック: 7回 この商品を含むブログ (11件) を見る [時間がなかったため簡易的なレジュメです] ―― ■ドゥルーズ「麻薬に関する二つの問題」(『狂人の二つの体制 1975-1982』所収) ◆二つの問題 ・ドゥルーズが論点とするのは「麻薬固有の因果性」と「麻薬における「転換期」」の二点 1.    「麻薬固有の因果性」とその探求 ・「集合としての麻薬」の輪郭、麻薬総体の内包-強度→麻薬の質。ドゥルーズは「麻薬の種類の区別は「二次的」である」とし、その共通性を剔抉しようとする。ミルプラにおいてそれは時空間認知の変容、速度、分子的なものの知覚、また存立平面的なも

  • 財津理の思想研究 ドゥルーズ/ラカン/ハイデガー 『ドゥルーズと精神分析』1

    モニク・ダヴィド=メナール『ドゥルーズと精神分析』(2005年)の訳稿を、河出書房新社に定期的に送り始めた。そこで、このブログで、断片的に、この著書の紹介もしていきたい。このブログの来のテーマに取り組むのがさらに遅れるが、致し方ない。 この書の異常に長く複雑な文章を砕いて、日語として読んでわかる訳文に変換するのに手間取っている。また、フロイト、ラカン、ドゥルーズの三者に通じている読者はそれほど多くないと思われるので、書に出てくる精神分析用語とドゥルーズの哲学用語について訳注で平易な解説を加えたいとは思っているのだが、どの程度まで訳注を付ければよいか、少し迷っている。 この書は、ドゥルーズによる精神分析批判とりわけラカン批判に対する、メナールからの、つまり精神分析の側からの検討というかたちをとっている。メナールは、ドゥルーズに対して、いきり立った「反論」をしているのではなく、治療実践と

  •  「Risk Intelligence」 - shorebird 進化心理学中心の書評など

    Risk Intelligence: How to Live with Uncertainty (English Edition) 作者: Dylan Evans出版社/メーカー: Free Press発売日: 2012/04/17メディア: Kindle版この商品を含むブログ (21件) を見る 書はディラン・エヴァンズによるヒトのリスク知性にかかるだ.エヴァンズは進化心理学のをいくつか書いていることで有名だが,実際には多彩な研究歴をもっている.若い頃一旦ラカニアン精神分析医になったが,その精神分析の方法論自体に疑問を持ち分析医をやめ,哲学のコースをとりながら進化心理学を勉強し,その後進化ロボティクス,温暖化と格差問題に対するユートピア的な解決,意思決定理論,リスクマネジメントなどのリサーチャーになっている.現在はリスク知性のリサーチとそれをビジネス界に売り込むビジネスを行っており

     「Risk Intelligence」 - shorebird 進化心理学中心の書評など
  • スラヴォイ・ジジェク『ラカンはこう読め!』――精神分析学的社会批評への入門 - A Mental Hell’s Angel

    書は哲学者であるスラヴォイ・ジジェクによるジャック・ラカンへの入門書である。ラカンは戦後フランスの最も偉大な精神分析家であり、いわゆる現代思想に多大な影響を与えた思想家である。ラカンは「フロイトに帰れ」というスローガンのもと自我心理学を批判し、フロイトの可能性の中心を読もうとした。 精神分析においては分析家と患者(分析主体)の間におけるパロール(発話)によって治療が行われる。ということはつまり、言語の問題が浮上してくる。そこでジャック・ラカンはソシュールらの構造主義言語学を精神分析に導入した。言葉を使って治療するからには、何らかの言語観に依拠する必要があるからだ。 ラカンの主要概念に「象徴界・想像界・現実界」という三幅対がある。人間存在の現実はこの三界のトポロジカルな絡み合いとして捉えられる。チェスの例を出してジジェクは述べている。チェスをする際に従うべきルールが象徴界であり、駒ごとに特

  • ラカンの『愛のコリーダ』論 - alacantonade

    *Jacques Lacan : Le Séminaire, livre XXIII, Le sinthome, Seuil, 2005. 『サントーム』は晩年のラカンの重要な講義録のひとつ。最近出た『精神分析の名著』(中公新書)に選出された21篇のなかにも、『エクリ』とならんで(なぜか?)ランクインしていた。 ジェームズ・ジョイスを症例として論じていることで有名なセミネールだが、なかに大島渚の『愛のコリーダ』についての興味深い言及がある。 ヒロインの定が恋人を殺害し、その局部を切り取るという物語のクライマックスをなすエピソードについて、ラカンはつぎのような問いをたてる。 なぜ切ってから殺さず、殺してから切ったのか? 「なぜ切り取ったのか?」というありふれた問いではないところがミソだろう。なんともするどい問いかけである。 以下の抜粋は、1976年3月16日の講義からのもの。 一の日映画

    ラカンの『愛のコリーダ』論 - alacantonade
  • 精神病と創造性についてラカンは何を語ったか (2011年発表原稿) - à la lettre

    2012年6月23日(土)・24日(日)に、第59回日病跡学会総会が東京藝術大学で開催されます。 http://www.geidai.ac.jp/event/pathography2012/index.html お時間のある方は、どうぞお越しください。 開催にちなみ、と言ってはなんですが、期間限定で、昨年の私の病跡学会での発表原稿を掲載します。 1.はじめに 精神分析家ジャック・ラカンは,その論文や「セミネール」と呼ばれる講義のなかで,膨大な数の作家や文学作品に言及しています.とりわけ,『ハムレット』論や,マルグリット・デュラスの『ロル・V・シュタインの歓喜』の詳細な分析はよく知られています.しかし,これらの文学作品の精神分析的解釈は,作家における創造性を問うというよりも,むしろ作品と作中人物を分析することによって,精神分析理論を例証する目的でおこなわれたものと言えるでしょう.その意味で

    精神病と創造性についてラカンは何を語ったか (2011年発表原稿) - à la lettre
  • 科学言説的アイコンとしてのフロイト・心理学及び精神分析 : 両大戦間期アメリカの大衆向け雑誌・文学におけるフロイト及び心理学のイメージの受容について | CiNii Research

    JaLC IRDB Crossref DataCite NDL NDL-Digital RUDA JDCat NINJAL CiNii Articles CiNii Books CiNii Dissertations DBpedia Nikkei BP KAKEN Integbio MDR PubMed LSDB Archive 極地研ADS 極地研学術DB 公共データカタログ ムーンショット型研究開発事業

  • 性的虐待と、その後の人生における精神疾患の診断(Systematic Review and Meta-analysis)

    Mayo Clin Proc. 2010 July; 85(7): 618-629 Sexual Abuse and Lifetime Diagnosis of Psychiatric Disorders: Systematic Review and Meta-analysis 一般人口における性的虐待を受けたことのある割合は、成人の4.0~21.4%、子どもの3.0~33.2%と報告されている。 あらゆる言語、民族の1980年~2008年のあらゆる年齢層の研究を対象とした。17のcase control, 20のcohort研究に含まれる316万人が対象となった。、これらは被害者の性や虐待の起こった年齢に関わらず、関連がみられた。統合失調症、身体表現性障害と性的虐待に統計学的有意な関連は観られず、双極性障害、強迫性障害との関連を調査したものはなかった。性的虐待と抑うつ、摂障害、PTSD

  • 1