2006年3月14日のブックマーク (3件)

  • [R30]: 言葉の磁場

    以前のエントリにも書いたことがあるが、93年にタイで出家していたことがある。その理由は、1つには高校時代のホームステイ先のホストマザーを喜ばせたいということだったが、もう1つはこちらのサイトで彼が書いているようなこととそっくりな理由だった。彼が91年、そして僕が93年だから、京都と東京という違いはあれど、あれはちょうどあの時代の共通な空気だったのかも知れない、と思う。僕はたまたまタイで出家ができた。彼はそれを日でやりたいと考えた。違いはそれだけだったのだろう。 僧侶だった間、僕はずっと自分と世界とのかかわりの法則について考えていた。当時の僕の頭の中は、マルクスとかデカルトとかカントとかヘーゲルとかヴィトゲンシュタインとか、そういうものでいっぱいだった。そして、タイで先輩僧侶に向かって「マルクスはこう言っている」とか「ヴィトゲンシュタインはこういう説を述べている」とか、つたないタイ語で必死

    [R30]: 言葉の磁場
    umehoushi
    umehoushi 2006/03/14
  • 坂口安吾 安吾巷談 今日われ競輪す

    先月某新聞に競輪のことを書いたが、そのときはまだ競輪を見たことがなかった。二十万円ちかい大穴だの、八百長紛擾(ふんじょう)、焼打、そうかと思うと女子競輪などゝ殺気の中に色気まであり、百聞は一見に如(し)かずと指をうごかしていたが、伊豆の辺地に住んで汽車旅行がキライときているから、生来の弥次馬根性にもかかわらず、出足がおくれたのである。 二十日あまり坐りつゞけて、予定の仕事が全部かたづいた。こんなことは、ここ三年間に始めてのことで、たいがい翌月廻し、無期延期などゝ後味のわるい月日を送ってきたが、珍しく二十日のうちに五ツほどの仕事がキチンと片づいて、あと三日間ぐらいは天下晴れて遊べることゝなった。よってジャンパーにりりしく身をかためて出陣に及んだのが東海道某市に於ける競輪であった。私は背広も外套も持たず、冬の外出着といえばこのジャンパーが一着であるが、あたかも競輪へ微行のために百着の服の中か

    umehoushi
    umehoushi 2006/03/14
  • ミクロとマクロ (Dead Letter Blog)

    前回僕は不用意にも「まずは」民主主義的な社会、逆バネの効く社会が構築されることが肝心、などと書いてしまったが、やっぱりシステムを構築するのって結局ミクロなパトスの下支えがあってだよなあ、とも思う。そんなことを改めて思い出させてくれた記事や発言をメモ。 まずはpavlushaさん。システム的解決法が理論やモデルの設計・構築に当たるなら、人格的解決法はその理論やモデルに対する検証や反証の手続き、または理論やモデルそのものを作ろう(または適用しよう)と意欲するための契機に当たる。どちらにもそれぞれ重要な機能があり、どちらか一方だけあれば足りるというものではない。お次は山形浩生さんのとてもかっこいい発言。ぼくにとって制度とはそういうものではありません。制度とは、結局のところ、その社会の構成員が自主的に(いやいやかもしれなくても)やることの総和です。法律なんて、そのごくごく一部でしかありません。です

    umehoushi
    umehoushi 2006/03/14