TLに流れてきた @part2style さんのつぶやきからたどって構成。途中、ステージの上側にいるRed Spiderとの対話あり。 ヌケがあれば追加を、引用されたくない方がいたら削除を、編集自由です。ただしできれば「時間順でソート」は文脈が読みにくくなるのでやめてほしーなー、とか。
Togetter - 「ライトノベルの表紙によくある「白背景+人物単体」について」 このまとめを読んでいたときに、「白背景+人物単体」のラノベ表紙についてまとめ内容と全く関係なく突然の閃きがやってきたのですよ。 単独の女優を前面に押し出したタイプのAVのパッケージと、ラノベの表紙ってデザイン的にかなり近いところがある気がしてきた 2010-06-09 20:58:34 via TwitterIrcGateway いったん気づいてしまうと「白背景+人物単体」のラノベ表紙、中でも特に制服の女の子がまっすぐこちらを向いて直立しているようなのがAVにしか見えなくなってしまいました。同時に、制服姿の女優が立っているようなAVのパッケージが全てラノベの表紙にしか思えなくなり。 見れば見るほど似ているので当然俺の前に誰か話題にしていると思って検索してみると全く同種の言及がなく、せっかくなので「AVのパッ
2010年08月30日13:00 「日本人男性に対する偏見をやめて」日韓カップルの悩みとは? 近年、日韓両国間を行き交う観光客や留学生の増加に伴い、日本人と韓国人による日韓カップルが増えてきているようだ。だが、多くのカップルは韓国人男性と日本人女性のパターンであり、日本人男性と韓国人女性のパターンというのはなかなか見ることができない。 日本人の彼氏を持つというボムさん(韓国人)は、日本人男性と韓国人女性のカップルが少ないのは、韓国人の中に日本人男性に対する偏見が存在するからだと語る。ボムさんも以前は少し持っていたそうだが、今の彼氏と出会ったことによって大きくイメージが変わったのだという。 「『日本人男性は割り勘主義』というイメージ。これは確かに韓国人男性よりも、割り勘にしてお金を払うと思った。でも、それはお互いに負担が少なくていいことだし、韓国人男性のように無理してお金を払う必要はない
アラブの出会い系サイトがスゴイ! ネットユーザー「誰が誰だかわかんねーよ!」 - ロケットニュース24(β)という記事が出たが、よく調べてみたら誤報だった。 アラブの出会い系サイトに登録している女性全員が宗教上のルールから覆面をしており、目しかわからない状態で顔写真を掲載しているのである。つまり、誰がどんな顔をしているのかわからない出会い系サイトなのだ。 と上記ニュースには書かれているのだが、実際にそのサイトを見てみたところ、「アラブの」ではなく「イスラムの」「まじめな結婚案内サイト」だった。しかも「全員が……覆面」というような事実はまったくなく、実際には多くがブルカやニカーブを着用しない顔出し状態だった。 ネットにこう書いてあったよ、というのを右から左へ流すだけの記事でお茶を濁すなら、ネットニュースサイトは有害無益だろう。 というわけで、実際にそのサイト「Muslima.com」に登録し
少子化に歯止めがかからない原因の1つとして、労働市場で非正社員が増加している影響が取り沙汰されている。雇用が不安定で収入が低い非正社員の増加は、若者の未婚化に拍車をかけ、さらなる少子化につながりかねないと言うのだ。しかしそれは、1つの要因に過ぎない。東京大学社会科学研究所の佐藤博樹教授は、最大の原因は「社会構造の変化」にあると説く。(聞き手/ダイヤモンド・オンライン 小尾拓也、撮影/宇佐見利明) さとう・ひろき/社会学者。東京大学社会科学研究所 社会調査・データアーカイブ研究センター教授。専門は産業社会学。1953年生まれ。東京都出身。一橋大学卒業。雇用職業総合研究所研究員、法政大学大原社会問題研究所助教授、法政大学経営学部教授などを経て、現職。主な共著・編書に『人事管理入門(第2版)』(日本経済新聞出版社)、『男性の育児休業――社員のニーズ、会社のメリット』(中公新書)、『実証研究 日本
メロドラマのルーツは、ヴィクトル・ユーゴーやアレクサンドル・デュマ・ペールがロマン主義の演劇改革を起こすよりもずっと前の1775年にジャン=ジャック・ルソーが書いた音楽劇「ピグマリオン」と言われている。当時、カロン・ド・ボーマルシェの喜劇「セビリアの理髪師」と並び、フランスの古典派演劇に新風を吹き込んだ。 今回取り上げる映画におけるメロドラマの全盛期は、1930年〜50年代のハリウッド映画である。その当時のハリウッドはプロダクション・コードのもとに守られ或いは規制されていることで完成された形式と法則があった。1960年代に入ってからは不穏な社会情勢の影響で、そういったハリウッドのスター・システム等の伝統を突き崩し、反体制的な人物を描いたアメリカン・ニューシネマが席巻。それ以降、エットレ・スコーラ監督「特別な一日」(1977)や、ピーター・ウィアー監督「刑事ジョン・ブック/目撃者」(1985
ドリーブ:バレエ「コッペリア」 リチャード・ボニング指揮 ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団 クラシック音楽において バレエ音楽は1つの大きなジャンルを形成しています。 特にフランス宮廷では16世紀末からバレエが盛んに踊られるようになり 芸術性や様式美も整えられていきました。 ジョイカムにとってバレエの印象は エドガー・ドガ(1834-1917) の絵画が大きいです。 エドガー・ドガ「舞台の踊り子」 19世紀(1877年) に描かれた絵画です。ご存じの方も多いのでは。 実はジョイカムはこの絵がとても怖くて直視できません。 この絵画の印象で、バレエ音楽を素直に聴けないという まるで不幸な結婚生活のような心理状態になってしまってます。 バレエは、はじめ宮廷貴族のものでした。 18世紀になってからは、 宮廷から劇場(オペラ座など)に場所を移して上演されるようになり 豪華絢爛なグランド・オペラ様
眠る時間( ˘ω˘ )スヤァ… 風がおさまってきた…ようやく(°∀°)。 ここ2日ほどの強風が止んできた。自転車移動する人間にはつらい境遇であった。いく先々が何故がいつも向かい風になっていて体力を奪われた。 重力が1.5倍の世界で生きていたようなもので筋力はアップしたかもしれない。明日からは穏やかに晴れて欲しい。
岡井崇之 (おかいたかゆき) 1974年、京都府生まれ。 上智大学大学院文学研究科新聞学専攻博士後期課程単位取得退学。現在、法政大学、日本大学などで非常勤講師。専門はメディア研究、文化社会学、社会情報学。メディア言説と社会や身体の変容をテーマに研究している。主著に、『レッスル・カルチャー』(風塵社、2010年、編著)、『プロセスが見えるメディア分析入門』(世界思想社、2009年、共編著)、『「男らしさ」の快楽』(勁草書房、2009年、共編著)など。 →bookwebで購入 「女はポルノをどう読んでいるのか」」 「ポルノグラフィは、『悪いもの』という前提でだけ考察されることが多い主題である。アダルトビデオやインターネットのアダルトサイト、ポルノコミック、アダルトゲーム、写真雑誌、小説・・・・・・とポルノが社会に蔓延している状況に顔をしかめる人は多い。しかしその一方で、マスターベーション
やおい/BLは、主にレズビアン/ゲイ・スタディーズの分野から批判的に評価されてきた。ゲイにファンタジーを押しつける、ゲイを「一角獣のような幻の存在」として描いており「不愉快」である、男性同性愛者の性を商品化した差別表現であるなどと批判されてきた。これらをまとめて表象の横奪(the appropriation of representation)の問題と呼んでおく。 (石田仁「ほっといてくださいという表明」 『ユリイカ』2008年12月臨時増刊号 総特集BLスタディーズ)> 1 それは〈私たち〉にとって何であるか 本稿の表題はエピグラフとして引いた石田論文への応答というよりは軽くガンつける挨拶するくらいのつもりでテキトーにでっち上げられたものだが、ここでいう〈私たち〉とは、論文に慣用的に使われて嫌う人もいる(私はけっこう好き)一人称複数ではなく、具体的な二者を指している。むろん、読む人は
id:nagano_haruさんの経由で、801ちゃんからフェミニストへ質問が来ていることを知りました。 nagano_haru「801ちゃんより、腐女子を分析中のみなさんへ」 http://d.hatena.ne.jp/nagano_haru/20100511/1273595010 私はフェミニストです。腐女子研究者というアイデンティティは持っていませんが、一度、出版物でヤオイについて分析しているので、応える立場にあると思いレスポンスします。twitterの発言は追っていないので*1、nagano_haruさんが引用している部分に応えます。 この手の事に猛っても仕方ないのは百も千も万も承知だけど、大阪の件ついて腐女子でもない人が勝手に腐女子を分析した挙句、俺の考えた正義を披露してだから腐女子は駄目なんだとか、ほざいているのを見ると、腐女子どころじゃないくらいのド腐れだなあと思います。分析
日記 801ちゃんより名指しで質問きてますが、腐女子研究やっている方々どう答えるんだろうか?この手の事に猛っても仕方ないのは百も千も万も承知だけど、大阪の件ついて腐女子でもない人が勝手に腐女子を分析した挙句、俺の考えた正義を披露してだから腐女子は駄目なんだとか、ほざいているのを見ると、腐女子どころじゃないくらいのド腐れだなあと思います。分析したいだけだろ、お前ら。http://twitter.com/801_CHAN/status/13794510792 特にフェミフェミいうてる人たちは、他人のそういうデリケートな部分を、したり顔で分析したり批判したりすることの失礼さとか、他人の生き辛さを再生産していることについてどう思われますかね。まじで。失礼にもほどがある。http://twitter.com/801_CHAN/status/13794573911 腐女子ってさーと語ってるお利口さんな
1.新渡戸稲造とジャンヌ・ダルク 「武士道」(1900年)で知られる新渡戸稲造(1862-1933)が生涯ジャンヌ・ダルクを崇拝していたことは案外知られていないと思います。 祖父のジャンヌ・ダルクに対する崇敬の思いは、明治十一年、札幌にいた十六歳頃に始まり、当時のノートによれば、彼はキリスト、ジャンヌ・ダルク、仏陀、モハメッドを精神の糧にしていた。ジャンヌの神と国王への献身は、祖父の心奥にあった武士の忠誠心と呼応して相通じるものがあったに違いない、と後年祖母はしみじみと語っている。しかも祖父自身若いときから、神秘的な体験をしていたそうである(加藤武子「新渡戸稲造とジャンヌ・ダルク」YANASE LIFE編集室(編)『とっておきのものとっておきの話』第3巻、芸神出版社、1997年)。 要するに、新渡戸は実は西欧の騎士道的な「女性の男性性」に自己同一化していたのです。新渡戸自身、自分が「神経質
ある日、あなたが、長時間労働できなくなったら。〜「迷走する両立支援」を読みました〜 - kobeniの日記 http://d.hatena.ne.jp/kobeni_08/20100423/1272031425 片親で乳児を育てることになった私は、日本だったら研究職はあきらめなければなかっただろうな、と想像する。義理の妹がいまだに手伝ってくれているとはいえ、仕事の絶対量は確実に減った。予防接種やら熱出したやら、といったときに私は仕事を中座して病院にいき親権者として同意書などにサインせねばならない。流感であれば登園禁止になるので仕事を休んで家で面倒をみる。仕事をこれまた中座して子供の保育園の行事にも出席し、他のおかあさんたちとドイツ語で歌なぞうたう。それでもなお、仕事を続けられているのは、社会にそれをうけとめるだけの余裕があるからだと思う(個人の職業倫理としては仕事のクオリティに確実にかかわ
サイゴンで日本人駐在員の方と話をする機会があった。彼は40代後半、日本人なら誰でも知っている一流企業勤務の幹部社員である。海外勤務が長く英語も堪能で「社畜」と呼ぶにはあまりに紳士的ではあるのだが、次のようなことをさらっと語った。 プロの条件は、2つある。有能である(able)ことと、いつでもつかまる(available)こと。夜9時・10時でも客から掛かってきた電話には応対しなければならない。さもなければ新しい仕事を逃す。子育てのために残業が出来ないという女性は、プロになれない。 注意していないと聞き逃してしまうほど、自然な語り口であった。それは彼にとって至極当然な信念なのだろう。そして、彼が長年所属する組織の信念でもあるのだろう。 私は、多少大人気ないと思いながらも、日本的な優雅さでこの話題を流さず、あえて抗議してみた。「そのように長時間労働を当然の前提にするのは本当に正しいのか?もっと
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