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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/nisemono_san (10)

  • 希望はテラ豚丼 - たいしゅううんどう

    吉野家、「テラ豚丼」動画騒動で謝罪 - ITmedia Newsこういう騒動をみていて思うのは、「ああ、そうか、みんな吉野家とか松屋を利用していて、そして信頼をよせているんだな」ということだった。そして、よく判らないのは、「あれ?安いものをべるってことはそういうことじゃなかったのか?」ということでもある。まさか、あなた吉野家にいってゴキブリが這いまわっていたり入っていたり蝿が入っていたり蝿は入っていないけれども虫とか入っていたり、あるいはオナニーしたあとの手で器とか触っていたりとかしてないと思っているの?とか俺は思ってしまう。そして、俺は貧しいということは、そういう「不潔だ!」とか言われてもそういうのと付き合わざるをえないことだと思っている。そして、そういう貧しいことが「不潔だ!」とか「汚い!」ということと付き合うということの悲惨さがあるからこそ、女性は貧しいのは嫌とか言うのではないでし

  • 友達は労働。 - たいしゅううんどう

    ろうどうたいへんここでよく話の出る早稲田の「あかね」という部分から話をしたほうがいいかもしれない。今日はイベントがあって、途中から大勢で押し寄せてきたひとには不愉快なことをさせてしまったかもしれない。それは申し訳ない。それはともかくとして、やはり、なんていうか、自分の正直な感覚としては、スタッフとして、イベントをやるというのはどうも疲れるという印象が強すぎるなあと思ったりもしたのでした。それは、イベントというものを客として眺めることと、スタッフとして眺めることの重要性みたいなところで行き来しなきゃいけないんだなあと思ったりもしたのだった。それが疲れるのは、別に人がたくさん料理を頼んで「キムチチャーハン作らなきゃー」とか、伝票のつけ忘れがあったりして「うわー」となることでもない。いや、それは結構重要なんだけどね。でも、それはあまり嫌いではない。問題は、スタッフ目線からやると、やっぱりなんだか

    umeten
    umeten 2007/04/15
    これは何も「友達」に限らず、社会というものが「人間関係」そのものを「義務」視しているということだろう。
  • VOLのトークイベント『脱-政治化をめぐって』のメモ - たいしゅううんどう

    開始VOLという雑誌実際の編集は去年から行われた 今年末から作業の格化が始まる雑誌が発-行されたきっかけというのは現在の政治がグローバリゼーション、新自由主義という流れの中で貧困層や階層などの新しい問題が出てきた。それに抗う形で新しい運動、国境を越えたネットワークが繋がってきた。→それを日でできないか。日だと理論的運動が少なく、またそれらは批判に晒されることが多い。 しかし、日の「脱政治」という状況が特殊なのであり、この運動をどのように横断して現場性をどう復活させるか。自分達で新しい場所、つまり《自立空間》をどのように作っていくか。不定期で考える必要のあるときにという形式。五月十七日の朝日新聞に「フリーター系雑誌」という紹介をされた。 それはかなり反映されている。フリーターとは社会、労働、資の拒否という部分がある。 実際はかなりマージナブルだと言える。→クリエイティヴなことができ

    umeten
    umeten 2007/02/07
    <アヴァンガーデニング>の項参照
  • もうひとつやるよ!倒錯社大学開校のお知らせ - たいしゅううんどう

    つーわけでもうひとつ隠しタネを放出します。これも暇な人は来てくだされ。倒錯社大学/自宅兼研究所兼カフェばしょ:京王線代田橋から約10分→とうきょうとすぎなみくいずみ1丁目34-7 くりすたるほーむず201(たぶん、目印に看板を立てるよてい)にちじ:11月12日(日) 14:00〜 (よてい)ぎだい:ぜつぼうのコミュニケーションについてないよう:じつは、コミュニケーションは多すぎるんじゃないんだろうか。誰もがつながりを求めようとしながら、つながりを求めることによってつながることに対する飢餓感が生まれてしまうのではないだろうか。問題はコミュニケーションではなくて、徹底して考えることができるような《知のアジール(知の聖域)》の復権なんじゃないんだろうか。「自宅研究所=草研究所」の潜在性(可能性じゃないよ!)とマニフェストを考えてみよう!おかね:特になし。おさけがのめるひとはおさけ。先を走っている

  • 《大学》を作る - たいしゅううんどう

    ○:ええと、前回は《調教機械》と《教育機械》の問題で終わったわけですよね。で、まったく関係ない話なのですが、なんていうか教師の子供はなんで壊れやすいのか、ということを考えるわけです。もちろん統計的なことなどは解らないのですが、そういう印象がある。ある意味では《調教機械》の最大の犠牲者というのは《家族》だったりするわけですね。●:んー、そういう印象操作はまずい気がするけど。○:この会話は印象操作ですよ。というより別に「教師の子供に気をつけろ!」といいたいわけではなくて、そこから《調教機械》の質が見えてくる。今、もっとも《調教機械》が暴走しているのは大学ですね。来、大学というのは《調教機械》から最も離れた場所でありました。というより、《調教機械》から逃れられる場所だったということができるわけです。ですが、そのような《調教機械》があらゆるところに潜入しているわけで、ちょっと歩き煙草をしていた

  • 大澤真幸萌え(おまえ) - VOLのトークイベント『脱-政治化をめぐって』のメモ

    umeten
    umeten 2006/06/08
  • 監視社会2.0、あるいはみんなウォッチャー論 - 大澤真幸萌え(おまえ)

    僕が見てきた限りではこの論点はなかったのでさらりとメモ。結構悲観的なレトリックで書いているので、実際はもうちょっと楽観的な考え方もできるかもしれない。僕自身はWEB2.0が何を示しているのか、あるいは何になるのか、あるいは何をするべきなのかは正確にはわからない。わからないが、多くのキータームは上げることができる。例えば「集合知」というのが一つのタームだろう。集合知とは、一人の賢い人間が努力するよりも、そこそこ賢い人間が集団で集まって分担なり議論をするほうがより効率性や精度が上がるといった状態だろう。もちろん、これらには何かしらの条件があるし、例えば集団で集まった場合、扇動されやすいという側面であったり、あるいは均一の集団と化してしまう場合もあるのだろう。それは良く指摘されている。だからここでは取り上げない。では何を取り上げるか。監視社会だ。だけど題に入る前に、少し前提を説明しておく。監視

    umeten
    umeten 2006/05/20
    監視システムは分断化され、各人の内面に叩き込まれ、マッシュアップされ、まさに「集合知」としての監視が行われるように思われる。そして、後はそれらの情報を淡々と整理するシステムが稼動している。
  • http://d.hatena.ne.jp/nisemono_san/20051117

    umeten
    umeten 2005/11/23
  • 2005-11-14 - たいしゅううんどう

    ■二度目は喜劇――田透論 0.問題 歴史は回帰する。この不思議さが、マルクスが驚いた歴史の不思議さだった。そして、二度目の回帰として私達が見出したいのは田透氏に対してである。しかし、ここで田透氏の「恋愛主義論」などを、思想的に論じる視点を取らない。なぜなら、その視点は私が書かずとも、他の論者が論じているわけだからだ。問題は、田透氏のパースペクティヴが何処から来たのか、ということなのだ。先に結論を出そう。田透氏こそ、二度目のポストモダニストである。 1.ポストモダンという歴史 ここで、ポストモダンに詳しくない人々に対して自らのポストモダン理解を示しておく。ポストモダンはリオタールが述べるように、「大きな物語」への不信から始まる。「大きな物語」とは、乱暴にまとめてしまうならば、理念的な歴史であり、人類史=世界史に対する不信感である。歴史に対する普遍化に対して、その暴力性を示唆する

    umeten
    umeten 2005/11/23
  • http://d.hatena.ne.jp/nisemono_san/20051113

    umeten
    umeten 2005/11/23
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