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ブックマーク / littleboy.hatenablog.com (10)

  • マツコ・デラックスの武装と幸福論 - てれびのスキマ

    マツコ・デラックスの快進撃が止まらない。 昨年下半期以降、初の冠番組『マツコの部屋』を皮切りに、『しゃべくり007』『ガキの使い』『めちゃイケ』をはじめとして数々の番組にゲスト出演。そのいずれもで爪痕を残していった。 その勢いは今年に入っても留まることを知らず、最近では『レッドシアター』『ぐるナイ』「おもしろ荘」にも重要な役どころで出演を果たした。 いわば、「バカに見つかった」状態のマツコ。 TVっ子垂涎の『クイック・ジャパン88』でも、ロングインタビュー*1を受けている。 大根: テレビを作る人たちって意外と情報が遅いから、いまようやくマツコさんの面白さに気付いて一斉に群がってるのが、観ていてもよくわかるんです。そうやって自分が消費されることへの危機感はありますか? マツコ: 一昨年(08年)はね、ほとんどのオファーを断ってたの。でもレギュラー仕事をやるようになって事務所のお世話になった

    マツコ・デラックスの武装と幸福論 - てれびのスキマ
    umeten
    umeten 2010/02/19
    基本的な精神構造がこれと全く同じだということに気づかれただろうか?「醜さ」への居直り>http://blog.livedoor.jp/insidears/archives/52211837.html
  • 草野仁が明かすオウム報道- てれびのスキマ

    間もなく最終回を迎える「草野☆キッド」は「さよならスペシャル」と題し、草野仁の人生を自ら語り振り返っていた。 その中で彼が長く司会を務めた「THEワイド」での「オウム報道」について、当事者ならではの臨場感あふれる語り口で話していた。 長くやりました昼の番組の「THEワイド」っていうのはですね、他のどんなニュース番組にも、あるいはどんな情報番組にも負けなかったと思うのは、やっぱり「オウム報道」なんですね。 1995年3月20日に地下鉄サリン事件が起きるんですが、伏線は当然その1年前の松サリン事件です。 すぐに取材を開始して、当時、みなさん覚えてらっしゃるでしょう? あの近くに住んでいた河野義行さんが怪しい、と。 でも、そこに使われて、何人かの命を奪ったのが化学兵器のサリンである、と。 そういうことが分かった瞬間、これはもう、河野さんの(個人でできる)レベルじゃないから、河野さんは疑いの対象

    草野仁が明かすオウム報道- てれびのスキマ
  • 2009-03-06 - てれびのスキマ 「有吉弘行のブレイク論」

    3月5日に放送された「アメトーーク」では「今年が大事芸人」として昨年ブレイクした芸人が数多く出演し昨年を振り返りっていた。ご覧になった方も多いかと思うが、あまりにも有吉弘行が見事に自分の置かれた立場を的確に分析し、それを言葉にしていたので書き留めておきたい。 まず有吉はブレイクするまでの軌跡を以下のように名付けた。 2007年8月  「おしゃクソ事変」 ↓  売れっ子の品川に牙を剥き浮上。 ↓ 2008年前半 「おしゃクソバブル」 ↓  「文句を言ってれば良し」という凄く楽な時期 ↓ 2008年中盤 「あだ名面倒臭い時期」 そして、有吉は「あだ名面倒臭い時期」に至った後、だんだんとやりにくくなってきている現状を具体的なエピソードを明かし訴える。 どこででもあだ名をつけてくれって言われるようになったんですよ。 ここ(「アメトーーク」)でやってるうちは良かったんですけど特徴も何もない人間につけ

    2009-03-06 - てれびのスキマ 「有吉弘行のブレイク論」
    umeten
    umeten 2009/03/08
    「小泉劇場」に喝采を送っていたみなさん。あなたこそがバカなのです。
  • 「M-1グランプリ」で戦うために - てれびのスキマ

    いよいよ1週間後に迫った「M-1グランプリ」。 過去の例から見ても、ここで活躍をすればその後の人生を変えるといっても過言ではない大会である。もちろんこの大会に出る芸人は、それに向けて様々な努力をして挑んでいる。しかし、基的にぼくらは、その完成されたネタしか見ることが出来ない。 そんな舞台裏を描いた貴重な資料としても一級品なのが昨年のM−1王者サンドウィッチマンの「敗者復活」である。 富澤たけしが、「M-1」に向けた準備について述懐している。 2007年のM-1に向けて、僕は集中的に研究を重ねていた。 『紳竜の研究』など、完成度の高い漫才DVDを片っ端から見まくった。ただ見るだけじゃなくて、「間」を測る方法、言葉の使い方、ネタの磨き方、お客さんの的確なつかみ……取り入れるべきポイントを意識的にチェックした。過去のM-1決勝のDVDも繰り返して見た。決勝に進出したコンビが、何をやって、どうい

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  • 母親も語る麻生久美子の過酷な少女時代 - てれびのスキマ

    『hon-nin vol.03』の、吉田豪による「hon-nin列伝」(「hon-nin列伝 セキララなオンナたち ( 2)」にも収録)で、麻生久美子人からあっけらかんと語られた壮絶な少女時代の貧乏話。 その話を裏付けるように彼女の母親のインタビューが「週刊現代」2月26日号(2月2日発売号)に掲載されていた。 それを読むと、麻生久美子自身が語った、その濃すぎる内容は、それでもまだ実際の生活よりは薄くしていたのだということが判る。 例えば「『また同じの着てる。あいつん家、貧乏だからしょうがねえよ』みたいな、そういう延長で石とか投げられたことがあって、それで額にまだ傷があるんですけど。」と人が語った文字どおり"石を投げられた"イジメ話は、母の記憶では、さらに命の危険にも及ぶ。 久美子はただ貧乏だというだけでよくイジメられてたの。石を投げられたり、突然、道路で押されて、車に轢かれそう

    umeten
    umeten 2008/02/11
    こういう貧乏話が芸能人の口から語られだすというのは、もはやネタとしてのゴージャスを消費する余裕もなくなり、せめて自らと同じ貧困の境遇に共感する、という方向へ消費マインドがシフトしつつあるという事か
  • 阿久悠をも唸らせた半田健人の歌謡曲鑑賞術(阿久悠追悼に変えて) - てれびのスキマ

    7月28日、NHK総合で放送された「通(つう)」という番組に、生前の阿久悠が出演していた。相変わらず情熱的だけど、随分年老いたなあという印象だったから、その直後に訃報を聞いた時はなんだか複雑でショックだった。 「歌謡曲」をテーマにしたこの回では、「タモリ倶楽部」等でもマニアっぷりがお馴染みの半田健人がますだおかだに歌謡曲の味わい方を指南するという体で、それを別室(というかVTR)で阿久悠が聞き、半田健人の味わい方についてコメントするという流れで構成されている。 「まだ23歳でしょ?」というますだおかだに対して半田は「リアルタイムっていうのは油断してるんですよ!」と返し、「歌謡曲の正しい聴き方(僕流の)」をレクチャーしていく。 ●歌詞カードを欠かしてはならない! ●作詞・作曲・編曲者の事前チェックは礼儀。知らないと曲に失礼! ●歌詞カードで見た上でなおかつ、ヘッドフォンで聴く。 ここで、阿久

    umeten
    umeten 2007/08/05
    イヌタク見直したぞ。
  • 超能力少年と呼ばれて|てれびのスキマ

    清田君が大麻で逮捕されてしまい、そうなると当然、こういうふうにすべてが否定されて報道されてしまう。あの時のように……。残念。 実は以下のエントリは最近また徐々にメディアに露出をし始めた清田君を見て準備していたもの。そんな時にこんなことになってしまうとは。 1962年、寿司屋を経営する清田喜徳、せつ子夫の間に生まれた長男が、後にエスパー清田君と呼ばれることになる清田益章である。 少年清田は「こりゃあ精神科行きかな」と心配されるほど、両親から見ると「とんでもない嘘つき」に見えた。 何かが部屋の中にいるとか、誰かが入ってきたとか、そんなことばかりしょっちゅう言っていたという。 しかし、程なくして彼は両親を次々と驚かせていく。 例えば部屋をぐちゃぐちゃに散らかした時。母親が「片付けろ」と怒る。すると、ものの5分も経たないうちにすっかり綺麗になっていたというのだ。 「玩具とかさ、例えば部屋の隅にあ

    超能力少年と呼ばれて|てれびのスキマ
  • 中谷美紀の発言が意外にガチな件について - てれびのスキマ

    中谷美紀は、その著書「嫌われ松子の一年」でも、映画「電車男」について「負け戦だった。私は立っていただけ」などと、正直すぎる発言をしているが、以前スカパーの日映画専門チャンネル「日曜邦画劇場」に特別ゲストとして出演し、軽部真一のインタビューを受けた際も率直すぎる発言を繰り広げていた。 −−−「電車男」の話をもらった最初の印象は? とても嬉しかったんですね。と、申しますのは、2ちゃんねる上のログには実はアクセスしたことがなかったんですけど、「電車男」が凄いよ、って言う話は随分前から伺っていていまして、で、あの新潮社さんからとして出版された際に読んでみたんですね。 どんなものなんだろう? って思ったらまあ、2ちゃんねる用語っていうんですか? 一杯出てきてなんか訳が解らなかったんですけど、読んでるうちに面白くなってきて、さらには自分の名前が出てきたんですね(笑)。 「某CMに出てる中谷美紀に似

    中谷美紀の発言が意外にガチな件について - てれびのスキマ
  • てれびのスキマ - ジャイ子の本名が「不明」である理由

    先日放送された『ドラえもん誕生物語 〜藤子・F・不二雄からの手紙〜』は興味深いエピソード満載で非常に良い番組でした*1。 そんな中、個人的に最も印象に残ったのは、インド版「ドラえもん」主題歌の歌声がジャイアンの歌声並みのすさまじさだった……ことではなく、ジャイ子の名についてのエピソード。 ジャイ子の名については様々な説があったりしてよく「ドラえもん」における謎の一つとして議論の対象になる問題ですが、今ではジャイ子はあくまでもあだ名であり、名は別にあるけれども、それは「不明」、というのが定説になっている*2ようです。 では、何故、その名が決められないままだったのか、その真相をアニメスタッフの一人、別紙壮一氏が語っていました*3。 「名、何か作りましょう」と話をしたときにしばらく先生は考えられて 「やっぱりやめましょう」 「え? どうしてやめるんですか? 先生」と聞いたら先生は、 「

    てれびのスキマ - ジャイ子の本名が「不明」である理由
  • てれびのスキマ - 太田光、先輩三谷幸喜への屈折した想いを語る。

    昨日放送の「スタ☆メン」に「有頂天ホテル」の宣伝のために三谷幸喜がゲストに訪れた。 実は三谷と爆笑問題とは大学の先輩後輩という関係。 番組冒頭、太田は「色々私には三谷さんに対して複雑な思いがあるんですよ」と切り出すと、阿川や田中が「古畑任三郎」について語るのを静かに聞いた後、その愛憎入り混じった感情を吐露し始める。 太田『日大芸術学部演劇学科ってところなんですけど、僕が1年生の時に三谷さんはもう4年生で、その時既に有名だったんです、学園内で。劇団つくってたでしょ、小劇団……、なんでしたっけ? 東京サンシャインボーイズ? いや、ちょっとその前がありましたよね? …で、そこで、ぼくらが学生で悶々としてるときに三谷さんは、僕のイメージでは「常に絶賛されている人」なんです、周りから。 僕なんかは捻くれているから当時から人の悪口ばっかりいって学校に嫌われて、友達にも嫌われてっていうなかで(その頃は)

    てれびのスキマ - 太田光、先輩三谷幸喜への屈折した想いを語る。
    umeten
    umeten 2006/01/12
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