タグ

ブックマーク / merubook.hatenablog.jp (6)

  • 「僕はこれでも君から尊敬されたいんだ」 - Sound and Fury.::メルの本棚。

    漱石の『明暗』に、貧乏で社会主義的な思想を持つ「小林」という不気味な男がいる。今風に言うなら「負け組」にあたる人物とでも言おうか。ともかく、漱石の作品に似合わないキャラクターで、研究者にはウケがいいというか割と注目されている登場人物だ。その「小林」が主人公の「津田」に向かって吐く言葉は、現代の視点から読んでみても鋭い。 「君は僕が汚い服装をすると、汚いと云つて軽蔑するだらう。又会(*たま)に綺麗な着物を着ると、今度は綺麗だと云つて軽蔑するだらう。ぢや僕は何うすれば可いんだ。何うすれば君から尊敬されるんだ。後生だから教へて呉れ。僕はこれでも君から尊敬されたいんだ」

    「僕はこれでも君から尊敬されたいんだ」 - Sound and Fury.::メルの本棚。
  • 物語の原型? - Sound and Fury.::メルの本棚。

    「内田樹の研究室: 第一回ヨンヨン学会」のエントリーが興味深い。正確には、ここで語られている「冬ソナ」論が面白いのではなく、その分析に「能」を引き合いに出して比較していることが興味深いのである。 きちんと調べたわけではないので、単なる勘違いかもしれないが、内田氏は物語を論じるときにしばしば「能」を引き合いにだすことが多くないか。このエントリーでは、「あまり知られていないことだが(私が昨日思いついたのだから)、『冬ソナ』は複式夢幻能と同一の劇的構成を持っている」と主張する。そして、以下「冬ソナ」を能に見立てて読み解いている。―― 内田氏に限らず、文芸評論を読んでいると、「〜〜は能と同じ構成である」といった分析を見かけることがある。「死者」とか「夢」が主題になる物語では、能の形式と比較すると案外うまく分析できるのかもしれない*1。内田氏の分析が面白いのは、能の形式が何も日の文芸のみならず、外

    物語の原型? - Sound and Fury.::メルの本棚。
    umeten
    umeten 2006/07/04
    てゆーか、古そうな演劇なら何でもいんじゃね?ギリシャ演劇でもよくね?
  • 学歴難民! - Sound and Fury.::メルの本棚。

    『Newsweek(日版)』(2006年6月7日)に「学歴難民クライシス」という特集があると知ったので、さっそく屋に行って買ってきた。 記事によれば、一流大学を卒業しても、あるいは大学院を修了しても仕事にありつけないのは、日に限らず今や他の先進国によく見られることだという。 高学歴者の就職難民化は、先進国共通の問題だ。韓国では大卒以上の失業者が33万人超に達し、ドイツでは年間の新卒者数に匹敵する23万人の大卒者が失業している。ブレア政権が大学進学率の向上を推進したイギリスでは、単純労働の仕事しか見つけられない高学歴者が社会問題化している。進学率の上昇で高学歴人口が増え、高学歴者同士の生存競争が激しくなっているのだ。(p.26) この記事のなかに出てくる事例は、私自身の状況とまったく同じなので、他人事ではない。この記事の内容は、結局学生側の意識に問題があるような流れとなっていて、当事者

    学歴難民! - Sound and Fury.::メルの本棚。
  • Sound and Fury.::メルの本棚。 - 橋本治『乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない』集英社新書

    ◆橋治『乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない』集英社新書、2005年11月 冒頭の「はじめに」で書かれていることは、けっこう共感できることが多い。 たとえば、今の日社会でおかしいと思うのは、「勝ち組・負け組」という二分法の考え方が現れたこととか、勝ち組とか負け組とか当はどうでもいいことなんだけど、社会に向かって何か物を言おうとするなら、たちまち「負け組の欲求不満」と位置づけられてしまい、一旦「負け組のひがみ」と位置づけられると、「なにを言っても"負け組のお前の言うことには意味がない"とジャッジされかねないところ」からスタートしなければならないこととか、「勝ち組・負け組」という考え方は「思考の平等」を侵しているといった点などだ。 しかしながら、文はやや期待外れだった。要するに、「勝ち組・負け組」といった考え方の登場は、バブルがはじけて、人々が頼るべき指針を失い不安になったために、結

    umeten
    umeten 2006/05/24
    橋本治は、回りくどい言い方で、単純なことをわざわざ複雑に考えるほうがおもしろい。
  • 大学院を出たけれど - Sound and Fury.::メルの本棚。

    職がない。大学院で博士号を取ったなら、研究職を目指せばよいのだが、それもうまくいかない。いつポストの空きができるのか分からないし、たとえ募集があったとしても、少ないポストに多数の応募者がいるわけだから、簡単にポストが得られるわけではない。その間、どうしたらよいのか。また、このような不安定な生活に耐えられず、路線を変更して一般の職を目指そうとしても、高年齢で職歴が無いために難しい。結局、このまま将来が見えぬまま、フリーターとかニートになるしかないのだろうか。 毎日、このような不安を抱きつつ生きている。なので、昨日の稲葉氏と立岩氏のトークセッションはいろいろと考えさせられることが多かった。労働、所有、不平等、分配・再分配...etc これらの問題は、明日生きるか死ぬかの瀬戸際にいる私にとって切実な問題なのだ。 たしかに、大学院に進学したのは自分の意志である。そして、少子化の影響で特に文学系の研

    大学院を出たけれど - Sound and Fury.::メルの本棚。
  • 理解できない - Sound and Fury.::メルの本棚。

    「我々の使用している日語は質的にロジカルでないし、また対話も存在しない。あるのは空気を醸成するためのモノローグの集合だけだ*1」ということが分からない。「日語」が「ロジカル」でない? 「日語」に「対話」がない? 「日語」が話したり書いたりするのだろうか。人が「日語」を使って話したり書いたりすることはあるが、「日語」それ自身が話しているところを見たことがない。また「日語」が「日語」の文章を書いている場面を見たことがない。興味があるので、「日語」が「対話」をしている場面を見てみたい。 そんなことはともかく、たとえば司馬遼太郎の書く文章が「ロジカル」ではない、ということは理解できる。しかし、そのことと「日語」が「ロジカル」でない主張がどのように結ぶつくのかが分からないのである。司馬遼太郎の書く文章が「ロジカル」でないのは、司馬遼太郎という書き手の問題であって、「日語」それ

    理解できない - Sound and Fury.::メルの本棚。
  • 1