http://d.hatena.ne.jp/temtan/20060523/1148386775#c1148398467 ごめんなさい。謝ってすむ問題だとは思いませんが、不快に感じられる発言を不用意にしてしまったことを反省しています。もうお邪魔いたしませんので。 めんどくちゃいので冷静になりまちゅね。 俺がutsutsuさんに対して不快だと言っていますが、これは自分がutsutsuさんに対して「異性のパートナが居る」というラベリングをしており、そういうラベルを持っている人の発言は無条件でムカつく、発言というより俺が「utsutsuさんが彼氏を幸せそうにしている」事を想像するきっかけがあればそれでムカついている訳で、こんなのはどう考えても理不尽にムカついているのですよ。どんなこと言ったって、それこそ箸がころげてもムカつく訳ですよ。んで、世の中ではこれを妬み・やっかみと呼んでいるんですよ。 こ
世界Aの始末書: Web 2.0 と人工知能 この比較は面白い。それに、 バズワード的な熱狂とバブル狂騒曲 ルールベースからエージェント指向への流れ という二つの点で両者はよく似ている。そして、理論があいまいだから、バズワード的な商売に走る奴にとって使い勝手がいいという点で、この二つは関連していると思う。 でも、大きな違いもひとつある。 人工知能の推進者は、人間に対する不信感が強かった。定型業務がシステム化され、コンピュータにできることと同時にできないことがハッキリしてきた頃に、コンピュータによって人間を管理できる部分が意外と少ないことに幻滅していた人たちだ。彼らは、コンピュータによって人間を置き換えようとしていた。人間が信頼できない人たちだ。 Web2.0に熱狂している人たちは、そういうニュアンスの人間への不信は無いと思う。というか、むしろ、これを批判する人たちが「Web2.0の人は普通
人気blogランキング このブログが面白いと思ったらクリックをお願いします。 ウェブログ図書館 多くの優れたブログの記事へのリンクで構成されたウェブ上の図書館です。このブログも登録されています。 ウェブログ図書館(著者名「後藤和智」で検索) 「ウェブログ図書館」に登録されている私の書いた文章の一覧です。 mixi(ミクシィ) 何となくmixiをやっています。会員限定なので注意。リンク先は私のプロフィールページです。 オンライン書店ビーケーワン 私が書評を投稿しているオンライン書店です。 後藤和智の雑記帳 私のサブのブログです。 [Circle.ms][後藤和智事務所OffLine] プロフィール Circle.msの私のサークルのページです。 後藤和智 (kazugoto) on Twitter 雑感などを書いています。 後藤和智事務所OnLine - トップページ 筆者のポータルサイトで
加野瀬さんに資料提供:はてなネゲットの1例 ネットで知り合って彼氏彼女になりましたって話。 そういば自分の後輩の女の子もネットで知り合った人が彼氏だと言っていたのを思いだした。彼女もブログ→コメント→メールと言った感じで次に Skype で、それから滅茶苦茶遠いのに実際に会いに行ったようです。正直うらやましいと言うか、結局まわりまわって自分が嫌になりました。うぜえ。 結局のところ自分に合うのかどうかってのが一番の問題であって、似たもの同士がくっつくのはそれなりに自然っちゃー自然な事で、インターネットはやっぱり似たもの同士が集まるのだからカップルが出来るのはそれなりにありうるわけなんだけど、そんなインターネットでもマイナー街道をひた走る自分が嫌になるってかホント殺したい。
◆橋本治『乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない』集英社新書、2005年11月 冒頭の「はじめに」で書かれていることは、けっこう共感できることが多い。 たとえば、今の日本社会でおかしいと思うのは、「勝ち組・負け組」という二分法の考え方が現れたこととか、勝ち組とか負け組とか本当はどうでもいいことなんだけど、社会に向かって何か物を言おうとするなら、たちまち「負け組の欲求不満」と位置づけられてしまい、一旦「負け組のひがみ」と位置づけられると、「なにを言っても"負け組のお前の言うことには意味がない"とジャッジされかねないところ」からスタートしなければならないこととか、「勝ち組・負け組」という考え方は「思考の平等」を侵しているといった点などだ。 しかしながら、本文はやや期待外れだった。要するに、「勝ち組・負け組」といった考え方の登場は、バブルがはじけて、人々が頼るべき指針を失い不安になったために、結
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自作 midi・mp3 サイト「いいげるらんと」の後継サイト(?)です。動画が流れない場合は、一時ファイル(キャッシュ)をクリアした上で、もう1度読み込んでみて下さい。Chrome、Fire Fox、Safari 推奨。 以下は2005年12月に書いた文章だが、一年たった今、思想弾圧と思わしき事件は “ 日常のひとコマ ” と化したかのようだ。来年一月の<共謀罪>国会を前にして、言論の萎縮を狙ったと思われる事件が頻発している。西村議員の件については、拙作「GK法案で弁護士も警察の手先!? 広島・女児殺害のカルロス容疑者ように、一度逮捕されたら、もう誰も助けてくれない。」で触れてはみたのの、件数が多く、他の事件については覚えていられないので、備忘録のつもりで、このエントリーを記しておきたい。しかし、絶望感と倦怠に負けず、今後も、不審な事件については、可能な限り順次、記録していきたいと思う。
僕は 「 <共謀罪>正式に継続審議へ。 米〔愛国法〕に見る<共謀罪>成立後の日本の姿 」 というエントリーに 『 日本では既に、<共謀罪>に反対を表明する行為自体が監視対象になっている(※参考:踊る新聞屋-。 「共謀罪反対」がすでに監視対象となるニッポン)。 』 と書いたが、これは大きな間違いだったようだ。正確には 『 日本では既に、“ 小泉首相・小泉内閣に反対を表明する行為 ”は弾圧されている。 』 と書くべきだったのである。以下、Chunichi Web Press(東京新聞)より2005年11月14日付けの当該記事を引用(一部、任意に強調した)。 お上に異議をとなえる人々への「プチ逮捕」が横行している。「プチ」といっても身柄を取られたうえ、家宅捜索付き。委縮効果は十分だ。昨年の立川反戦ビラ事件では、一審で無罪判決(現在は控訴審中)が出たものの、警察、検察の強気は続く。対象も一昔前の新
おもわず ひざをたたいた。佐倉智美(さくら・ともみ)『性同一性障害の社会学』現代書館のことである。 もくじをみて、これは いいという印象をうけた。もくじに「トランスジェンダーと障害学~「障害者用トイレ」からノーマライゼーションを考える」をみつけて、これは?と、むねをおどらせました。 きました。きました。これこれ。つまり「性同一性”障害”」が「障害」ではないとしたら、なんのことはない、一般的な障害者の障害も、じつは「障害」ではなかったのである。「セクシャルマイノリティ」という用語になぞらえれば、身体障害者は身体的マイノリティ、知的障害者なら知的マイノリティだったのだ(202-203ページ)そうなのですよ。「性同一性障害」というくくりに違和感をおぼえ、「障害」というのは ちがうのではないか?という疑問をもつのは ただしい。けれども、たしかに病理的存在はいるのだという前提をゆるがすことなしに、「
本書は名著としての評価をすでに確立している。amazon.co.jp のカスタマーレビューは5つ星(5点満点中4.75点)。同僚のMさん、Uさんからも本書に対する高い評価を聞いたことがある。かつてUさんは本書を基礎演習(1回生配当)のテキストとして使用されたとのこと。見田さんの本を読むのは今回が初めてだったのだが、小さなボディーに似合わない本格的な理論書だったので、読み通すのにけっこう骨が折れた。 「(近代社会一般とは区別されうるものとしての)現代社会の基本的な特質は何か」と問われたら、あなたは何と答えるか? 著者は現代社会を情報化・消費化社会として特徴づける。現代の情報化・消費化社会のシステムが社会主義システムよりも相対的に優秀かつ魅力的だったことは確かだ。しかしそれはこのシステムがそれ自体の内に矛盾と欠陥も持たないことを意味しない。現代社会が環境・公害問題、資源・エネルギー問題、貧困・
絵の超初心者ド下手くそ人間が、20日間絵を描いて感じたこと わたしは、「文の人」だ。絵を描くのは大の苦手。 そんなわたしが、ひょんなことから絵を描き始めた。 そうしたらおもしろくなって約20日間、なにがしかを描きつづけている。 未知の領域での挑戦は、発見が多い。 また、ここまで絵を描けない人間の挑戦は、あまりネッ…
久しぶりに朝から出社して、外でタバコを吸っていると、リクルートスーツ姿の女の子の大群が歩いており、会社の説明会かなぁ*1、と思いながら観察していた。 みんな黒いスーツで、シャツの襟がとびでてる。タイトスカートが8-9割を占め、残りはパンツ。シャツの色は白、ごく稀にほんのり色のついたシャツ。髪は皆黒で、落ち着いた感じにまとまっている。 以前サブカルチャー研究家の○iji氏に何故リクルートスーツ姿の女の子はエロいのか、という件に関して「就職活動中で、業界人ぶったオトコにコロッと騙されてしまいそうなその危うげなスキがいいんじゃね?」と説明され、確かにそれは正しいとは思ったが、それが主な理由ではない、と思っていた。 で、ようやくわかったんだが、なんか生きている世界が近そうに見えるからだ。 女子高生とかCawaiiを愛読する人は宇宙人のように見えるが、リクルートスーツを着ている人はまだ親近感が沸く。
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この前、久しぶりに下北沢にいった(写真)。地元は神奈川の藤沢なので、高校時代は小田急線でよくいったが、大学に入ってからはそんなに行かなくなった街だ。 東京には楽しい街がたくさんあって、買い物するなら下北沢とか高円寺とか原宿とかあるし、夜遊ぶなら渋谷とか六本木とか西麻布とかがある。(うそです。西麻布には2、3回しか行ったことし、六本木もたいしてよく知らないし、渋谷もたまにしか行かない。。。)吉祥寺もいろいろ面白いし、立川だってそんなにいかないけれど、あれはあれでいい味だしてると思う。 やっぱり、消費の街は楽しい。楽しいものは楽しいのだ。そんなに金がないから、あんまり(本以外の)消費を楽しんでいる人間ではないが、もしお金と時間の余裕があれば、もっと消費文化にどっぷりはまっていただろう。 しかし、やっぱりそれでも自分が消費文化に浸かりきれない左翼だと思うのは、昔読んだ石弘之の『地球環境報告』(i
蟻の飼育4 :七人の蟻 誰かが呟いた。「帰る巣が無くとも、巣に女王が居なくとも、食い物に不自由しなくとも、やることは結局一緒だったんだな」 女王がいない以上、働きアリたちは立派な巣だけを残して寿命を迎える他ない。けれども……。 アリの飼育1 アリの飼育2 蟻の飼育3 :捕獲 アリの寿命については次の記事が参考になります。蟻も蜂も同じ仲間で、働き蟻も兵隊蟻も、生殖機能を持たないメスです。といった記述も面白い。 働きアリの寿命は1~2年 蟻の飼育5 :生態について Information Old:「他人」に厳しい人々 New:小説の映像化 注意書き 筆者は徳保隆夫(とくほたかお)です。1980年愛知県生まれ。千葉県成田市育ち。メーカーに技術者として就職後、関東各地を転々としています。……という設定です。 私の文章は全て実記ではなく小説なので、客観的事実と異なる記述を多々含みます。 著作権は主張
MIYADAI.com Blog (Archive) > 以下に掲げる文章は、中で明示していませんが、社会思想の最先端に関わります « [videonews.com] 丸激トーク・オン・ディマンド更新しました | [videonews.com] 丸激トーク・オン・ディマンド更新しました » ──────────────────────────────────────── 「ありのままの現実」が虚構と同じ意味しか持たなくなった後期近代、現実を濃密に 生きるにはどうしたらいいか。頽落した反倫理的な処方箋を『ぼくを葬る』に見出す ──────────────────────────────────────── ■前回紹介した園子温監督による家族を舞台にした二作品『紀子の食卓』(05)と『奇妙なサーカス』(05)は、家族の枠を越えて言えば「現実との和解の困難」を主題にしていると見られる。これは私の
池袋のジュンク堂で開催された生田武志氏、白石嘉治氏、杉田俊介氏によるトークセッション「野宿者/ネオリベ/フリーター -アンダークラスの共闘へ-」に行って来ました。一応発売日はすでに遠く過ぎていますが生田武志氏『<野宿者襲撃>論』、杉田俊介氏『フリーターにとって「自由」とは何か』、白石嘉治,・大野英士編『ネオリベ現代生活批判序説』の発売記念とのこと。 【参考】:2006-02-18 杉田俊介氏×白石嘉治氏トークセッション 「フリーターとネオリベ現代生活―われわれの生の無条件の肯定のために」 http://d.hatena.ne.jp/kwkt/20060218#p1 メールで交流のあった初対面のid:junippeさんと事前に合流し、いっしょに参加しました。id:sarutoraさんも来場られていたようです*1。 白石氏が司会の形で、それぞれの論者の方が「フリーター」「野宿者」「大学非常勤講
絵の超初心者ド下手くそ人間が、20日間絵を描いて感じたこと わたしは、「文の人」だ。絵を描くのは大の苦手。 そんなわたしが、ひょんなことから絵を描き始めた。 そうしたらおもしろくなって約20日間、なにがしかを描きつづけている。 未知の領域での挑戦は、発見が多い。 また、ここまで絵を描けない人間の挑戦は、あまりネッ…
あまり詳細をあきらかにせず、着々とすすめていた企画が、ようやくかたちになります。 以下、6月末に配本予定の新刊に関する情報を公開いたします。 なお、本書に関するくわしい情報やバックラッシュ全般(争点や問題点)について、著者の声、また編集作業の進行などについては、5月26日本日中に新設するブログのほうに掲載いたします。ご期待ください! 装丁については、デザインの詳細や色などについて、ただいま検討中です。今回、ご紹介したものは、あくまでも「ラフ」の段階のものなので、デザインや色が変わるかもしれません。ご注意ください。 さて、内容の詳細を紹介するのは、新設ブログにゆずります。ここでは、ごく簡単に企画の経緯などを。 そもそも、私が書店で宝島ムック『男女平等バカ』を目にしたのがきっかけでした。「男女平等」と「バカ」がどのように関連しているのか。そう思った私は、さっそく同ムックを読んでみました。そして
なぜ「オタク」は恥ずかしのか 「涼宮ハルヒの憂鬱」がなにげに人気です。ストーリーテーラー役のキョンはいつも被害者で、いつも正常(正しい)です。それは、責任はいつも外部にあるという責任回避的立場です。それでいて、ハルヒに繋がることでセカイの中心にいることができる。これってとても幸せな立場です。 そもそもセカイの中心にいることは難しいことですが、それで重要な位置にいるときには、そこに大きな責任がともなうものです。しかしキョンは責任回避しながらセカイの中心にいられるわけです。それでいてかわいい女性に好かれるのですから、こんな都合の良い、おいしい立ち位置はありません。これがセカイ系の物語の一般的なパターンではないでしょうか。 セカイ系の物語へはまることの「恥ずかしさ」は、このような「責任回避しながらセカイの中心にいる」というとても都合の良い、そして「現実逃避」的であるからです。「オタク系アニメ」は
世界の経済格差 格差は増えたか減ったか? Mar 11th 2004 From The Economist print edition 世界の経済格差は悪化しているのか改善しているのか? 資本主義批判者は、世界中の貧富の格差はどんどん拡大していると思いこんでいる。かれらにとって、この主張はほとんど信仰告白に等しい。経済格差の拡大は、「システム」の道徳的破産の確固たる証拠である、というわけだ。経済格差が広がっていてもそれが資本主義をこうして批判する理由になるか、というのはそれ自体考えてみるべき問題ではある。そしてそれを疑問視すべき理由もある。だが、もっと狭い事実を巡る問題の答を知るのも興味深いことだ。資本主義が世界の経済格差を悪化させるというお馴染みの主張は、本当にホントなんだろうか? 残念ながら、一見すると素直なこの質問は、思ったよりも答えるのが難しい。困難の元は大きく三つある。第一の
新書レビューです。 「99.9パーセントは仮説」(竹内薫)と「全地球凍結」(川上伸一)は、まったく違ったテイストの科学本なのだけれど、続けて読んで妙に味わいがあった。 まず「99.9パーセントは仮説」。これは実は看板に偽りのある本。内容に忠実に沿えば「100パーセント仮説」とか、「たしかなものは何もない」といったタイトルになるべき。 実際に「科学はぜんぶ『仮説にすぎない』」(33ページ)をはじめ、類似の表現がたくさんされていて、つまり、一般には「正しいことを述べている」と思われがちな、科学を相対化する言説に満ちている。 科学的理論が、仮説であるということ自体、むしろ当たり前であって、それを必ず「仮説である」と認識するところが科学のキモだと、ぼくは感じているのだが(たとえば、宗教はみずからの主張を仮説とは言わない)、どうも世の中には「科学は正しい」という信仰があるらしく、それに対して「
皆さん、励ましをありがとうございます。 たぶん、自分の中のどす黒いものと向き合ってしまっているようです。 どす黒いものは常に私の中にいるのですが、普段は上手に飼いならしているはずなのですがね。 たとえば風邪をこじらせて、喉どころか気管支が痛いとまで既に感じてしまっているのに、それでもニコチンの禁断症状に耐え切れなくなるような。 体も弱いが、意志も弱い。 仕事も、人間関係も。その無力感・・・。 こんな気持ちでブログでもないだろうと常識的に思ったのですが、でもこんな時だから、皆さんと話してみたいのかもしれないと思い直して、少しリハビリを試みてみます。 <善良な市民> こんな安易な救済と自己正当化に満ちた映画も珍しい。TV版ではてんこ盛りにされていたアイロニズムがとことん脱臭され、かわりに安易なロマンティシズムに落ち着きました、めでたしめでたし……ってバカじゃないの? (第二次惑星開発委員会 今
元日テレの藪本アナ、ブログ炎上…後輩の盗撮擁護 「男子はパンツ見たい生き物」 元日本テレビのアナウンサー、藪本雅子さん(38、写真)のインターネット上で公開しているブログが“炎上”している。後輩の日テレアナの盗撮事件に関し、「男子はパンツを見たい生き物」という内容の持論を展開したところ、「後輩をかばっている」など賛否両論が押し寄せているのだ。 今回の問題の発端となっているのは、今月19日に藪本さん自身のブログに掲載した「盗撮で思う」と題した文章。 藪本さんは冒頭、「日テレの若い社員が盗撮した件で、やってしまった行為を擁護するわけではないのだけど、おばさんは思う」と題して自説を展開し、最近はスカートの中を見られていても恥ずかしいと思わない人たちが増えてきたと嘆き、「そういうパンツを見せる女子こそ、迷惑防止条例を理由に検挙してほしいもんだ」などと“糾弾”した。 一方で、「男の子は(中略)女の子
あいりさん:19日コメント 「貴女がぶんどってくる子種の持ち主が気になります(笑)」 子種は、持ち主を選ばなければいくらでも手に入るじゃないですか(笑)。見合いを斡旋してくれるところでヤリ逃げしたっていいし、適当にアキバとか夏冬のビッグサイトに転がってるモテないオタク男子をとっつかまえてヤっちゃってもいいし。←うわ、この人サイテー その辺の倫理観は無いから目的のためなら手段には拘らないし、私さえその気になれば相手を捕獲する自信はある*1んだよね。その持ち主には可哀相な事になるかもしれないが、まぁ狂犬に噛まれたと思って諦めれーと(爆)。 子供を産むからって結婚する気はないから、持ち主に期待するモノなんてホントに精子だけなんだけど、子供に能力・性能を求めないなら、どんな遺伝子だって良いだろうし。 自分の能力・性能が割と高い自覚はあるし、そのことの恩恵も身にしみて感じているので、ある程度は能力が
「その人個人の価値観で成功し たかどうかを計らねばならない。金銭的な側面だけを取り上げて云々する人こそ“弱者(心が貧しい人)”だ」とも。国谷アナが目をむいていたが、彼女には ちょっと難しすぎたか。 個人の価値基準を測る尺度がしっかりしていないので、 何でもかんでもお金に換算してしか計れない人が増えていると言うことか。それを利用して政治的な野心を満たそうとする人もいるから、国民はどんどん煽られ ている。 しかしここで大切なこと。金銭的な格差論議は不毛だ が、金銭的な損得論議は大いにするべきだということ。お金の値打ちはみんなそれぞれで違うものの、誰かが誰かをボル、誰かが誰かにボラれるというのは、社 会的正義の問題であるからだ。格差論議とは関係ない。
ゴキブリや蚊が嫌がるとされる超音波をPCのスピーカーから発生する、一種の“防虫ソフト”。ウィンドウ上の右クリックメニューからモードを選ぶだけで、ゴキブリや蚊が嫌がって近寄らないとされる超音波を、嫌がる周波数の範囲内で約2秒ずつランダムに切り替えながら、連続的に鳴らし続けることができる。音楽や動画を再生するプレイヤーソフトの動作や、Windowsの警告音などシステムサウンドの再生とは干渉しないため、人間の耳には聞こえない超音波を鳴らしたまま好みの音楽をかけることもできるのがいい。発生中の周波数は数値でリアルタイムに表示される。選択モードには、[ゴキブリ排除モード][蚊:高周波モード][蚊:低周波モード]があるほか、[マニュアルモード]を選べば周波数の範囲を任意に指定することも可能。なお、人間は平気でもペットの動物などには悪影響を及ぼす可能性も考えられるので注意。 【著作権者】ERES 氏 【
finalventの日記より重要なポイントなので引用 finalvent 『marcel_proustさん、ども。とりあえず、先日ちと書いたのと、この先をどう言うかはとても難しいですね。ちょっとだけいうと、オウムの残党的組織を言論・思想によって解体できない市民社会側の思想が弱すぎるのだろうと思うのですよ。 いわゆる仏教とかフェミニズムとかの言説が思想として死んでいるということでもあるし、その死の意味それ自体が彼ら*1と我々の軋轢であって、佐々木さんがいうような前提たる異者とのコミュニケーション・ギャップではないんですよ。 異者と我々の問題が佐々木さんはよく考え詰められていませんというか、彼のポジションが安全すぎて痛みがない。』 (2006/05/23 13:49) 民族問題ですら、もはや単純ではありえないのに、 単純な民族問題であるかのように「嫌オウム流」を煽るしか能のない日本仏教・マスコ
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