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ブックマーク / subscriber.hatenadiary.org (7)

  • フェミニズムから後戻りできない派 - 読書感想日記

    負け犬女と呼ばれるひとたち。かつて、近代的人間観(男女の性差は肉体的なものであって、精神的には差がないはずだ!という理想というか、妄想)に基づくフェミニズムが大流行していた。その主張にさらされたことによって、現実との折り合いが付けづらくなってしまった人たち。 この人たちの一番つらいところは、小うるさいフェミニスト達によって、女性は差別されている、という強烈なイメージだけを刷り込まれてしまったところ。もはや権力の構造の中で、かつての「男 vs 女」みたいな単純な構図はとっくに解体されてしまったんだけど、いまだに自分が弱者である理由をそこに見出そうとしてしまう。だから究極的なところで、喪男の境遇に同情がない。

    フェミニズムから後戻りできない派 - 読書感想日記
  • 女子バブル、という用語を考えた - 読書感想日記

    ぶっちゃけ、女の子は「わたし、雰囲気に弱いの」なんて言ってる場合じゃないと思うのよ。それが言えたのは、女の子が大きな責任を負えなかった時代だけなの。女の子は《雰囲気》に弱すぎる――集団の同調圧力に弱すぎる。もしこの社会の中で責任を負うのであれば、なんらかの対策をすべきだと思うよ。同様に、自身の攻撃性も自覚し、対策すべきだと思う。女の子だって十分に攻撃的だ。ただ、それは暴力じゃなくて、コミュニケーションの上で行われる。言葉で人は死ぬんだよ? もちろん、こうした責任をすべて男(とくに喪男)に押し付けることは可能だ。でもそれしかできないんだったら、今まで何度も繰り返したように、自由じゃないの。主体性がないの。そこで「これって自分の問題じゃないの?」と責任を引き受ける自由こそが重要なの。女の子の一部は、こうしたことを明確ではないにしろ、自覚してるし、対策を採っている。リブの活動が手に入れた女性の自

    女子バブル、という用語を考えた - 読書感想日記
  • 読書感想日記 - [雑記] 処女だけどお尻は開発済み、って萌えるよね!

    トニオさんとこで apesnotmonkeys 氏が言ってることが興味深い。 私が「保守的な道徳こそが非モテを自縄自縛に追い込んでいる」と書いたのも同じ趣旨なんですよ。「処女にして娼婦」というのは保守的な性道徳をもつ(異性愛の)男が抱きがちな女性像なんですよね。そこから「オレ以外の男にやらせる女は許せん!/オレにやらせない女は許せん!」という結論が出てしまうわけです。 なるほど、何となく言わんとすることがわかった、というか、どこに立ち位置の差があるのかわかった気がしますよ。俺に言わせりゃ、上記の性道徳ってのは別に保守特有のものではなく、男性の生物学的な性戦略の典型例なんだ*1。それを変更可能なもの、または少数のものとして apesnotmonkeys 氏が考えている点が俺と異なるわけだ。 さて、こういう能と現実社会をどう折り合いをつけるかという手法のひとつは「遊びと気を分ける」ってこと

    読書感想日記 - [雑記] 処女だけどお尻は開発済み、って萌えるよね!
  • 非モテ論よくある誤解FAQ - 読書感想日記

    Q1. そんな提案や批判をしても、君が非モテから抜けられるわけじゃない。もっと手っ取り早く非モテから抜けられる方法があるのに、何でそんな無駄なことをするの? A1. 非モテ論者がする提案や批判は、当の非モテ論者個人を救済するためのものじゃないんだよ。ひょっとすると非モテを救済するためのものですらないかもしれないくらいなんだ。特に非モテ論者自身は、妥当な理由であるなら非モテであり続けることは妥当だとすら考えてるんだよ。 Q2. 恋愛の施しが欲しいんでしょ? 恋愛共産主義なんでしょ? A2. 修正資主義を共産主義だ、と言い張る人に対してならそのとおりだよ。結婚制度をはじめとした法の整備や執行は当然政府の仕事だし、今や政府の市場への介入も当然のことだ。またいつでも自分が弱者になる可能性があるから福祉があるんだし、そういう意味では福祉は弱者だけのものではなく、みんなのものなんだ。適度な福祉政策が

    非モテ論よくある誤解FAQ - 読書感想日記
  • 読書感想日記 - 男の反・非モテについて

    先日は反・非モテ論者の女の子について考えてみた。今日は反・非モテ論者の男について考えてみる。とりあえず、反・非モテ論者自身と女の子との関係性という点に着目して考えてみる。大雑把であるので抜けや誤りがあるだろう。ちなみに、その存在が分かりきっているので DQN は抜いておいた。 これ以外にも、無言で生暖かく見守っている、多くの男たちがいるはずだ。たぶん。 女の子との間に愛情なんて築けるわけねー、挑戦するだけ無駄、と思っているタイプ。結局のところ、この位置に落ち着く男は多い。人生は有限だし、男がやりたいことは結局恋愛の外にあることが多い。そうはいっても世間的に女の子は必須ということになっているから、女の子は適当なのを選んであしらってればいいや。そういうタイプ。 まぁ、そういう考え方自体は問題ではない。問題になるのは、そういう考え方をしているクセに非モテ論を責めるような奴らだ。「俺だって音で女

    読書感想日記 - 男の反・非モテについて
    umeten
    umeten 2006/01/23
  • 2006-01-17

    非モテ論ではよく女のコの批判が挙がる。でも、的を射ていないように感じることが多い。非モテ論に目を通したことのある女性もそう感じることが多いんじゃないかな。 恐らくそれは、さまざまな反・非モテ派閥の女の子を一括して扱っているからだ。そういうわけで非モテ論に役立ちそうな視点から分類してみる。もちろん、だいぶ大雑把というか、はずしている部分も多いんではないかと思うけど、それを恐れてたら何にもできないでしょ? 負け犬女と呼ばれるひとたち。かつて、近代的人間観(男女の性差は肉体的なものであって、精神的には差がないはずだ!という理想というか、妄想)に基づくフェミニズムが大流行していた。その主張にさらされたことによって、現実との折り合いが付けづらくなってしまった人たち。 この人たちの一番つらいところは、小うるさいフェミニスト達によって、女性は差別されている、という強烈なイメージだけを刷り込まれてしまった

    2006-01-17
    umeten
    umeten 2006/01/18
  • コミュニケーションと馴れ合い - 読書感想日記

    「コミュニケーション」と「馴れ合い」の違いについて、そして「言論の自由」について、最近考えている。 コミュニケーション能力というのは、利害関係が対立する相手との調整能力に他ならない。そういう意味において、コミュニケーションは馴れ合いとは違うものだ。誰とでも話ができる人間を指して、あいつはコミュニケーション能力が高い、と言う場面がよくある。おしゃべりが好きな人間を指してそう言うこともある。でもこれらは間違いだ。 端的に言えば、コミュニケーション能力とは「怒らずに、イヤだ、と言える能力」「イヤだ、という反応を怒らずに聞き入れる能力」ってことだ。利害関係が対立しない相手となら、誰だって会話できる。そうではなくて、「何を考えているのかよくわからない相手」「受け入れられない価値観を持った相手」と会話できてナンボ、ということだ。 そういう意味で、先に挙げたおしゃべりが好きな人間というのは、「馴れ合い」

    コミュニケーションと馴れ合い - 読書感想日記
    umeten
    umeten 2005/11/06
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