『日本の職人技〜松井のバット、藍ちゃんのゴルフクラブをつくる男たち』(永峰英太郎著・アスキー新書)より。 (アトランタ(1996)、シドニー(2000)、アテネ(2004)の3大会連続でオリンピックの砲丸投げ競技でメダルを独占した「世界一の砲丸職人」(有)辻谷工業の辻谷政久さんが、1988年に、はじめて自作の砲丸がソウルオリンピックで採用されたときのことを振り返って) 【「(ソウルオリンピックで)私の作った砲丸を使う選手は一人もいなかった。納品したのに、使ってもらえないのは”敗北”です。言葉にできない悔しさがありました」 しかし、ここでさじを投げる辻谷さんではなかった。自分の砲丸の欠点はどこにあるのか――。それを探り始めた。ある日のこと。工場の近くの土手で試し投げをしているとき、辻谷さんは、ある疑問を抱いた。 「同じ重さの砲丸なんですが、飛ぶ距離が違うんです。それで調べてみると、飛ぶ砲丸は