ブログが更新されないだけでは生死までは分からない SNSやブログなど、ネットを介した人とのつながりが増えてくるにつれ、リアルの生活では知り得ないほど多くの人生を見ることになる。 先日起きた愛知県のバイク事故。国内で年間6000人の死者を出す交通事故の1つにすぎないのだが、事故による死亡者が「はてなダイアリー」のユーザーで、「Twitter」でも広く発言していた方だった。このため、多くのネットユーザーが関心を持ったようだ。 実は彼は、私にとっても「Twitter」から“半径ワンクリック以内”の知人だった。最近、彼の発言を見かけないと思ったら、お亡くなりになっていたと知って驚いた。 そう言えば私の「マイミク(mixiの友人)」にも1人、すでに亡くなった知人がいる。リアルでお会いしたことはないが、パソコン通信時代を含めると10年以上の交流がある方だった。死因はがん。病状は本人も理解し、死も覚悟し
先日、関東在住のブロガーの方が訪ねてくださって、一晩色々と語り合った。もちろん、実際に会うのは初めてだった。しかしそれまでのブログを介してのコミュニケーションですでに大きな信頼関係が出来上がっていた。これは体験してみなければ分からないことだと思う。会ってすぐに打ち解けて旧知の仲のごとく話が弾む。そしてお互いのブログ裏話に話は及ぶ。いくら話しても話足りないほどの話題が芋づる式に次から次へと出てくる。当然、会話はお互いのプライベートな話題にまで及ぶ。 考えてみれば、不思議なことだ。『横浜逍遥亭』の中山さん(id:taknakayama)との出会い以来、少なくとも私の場合には数年前には想像だにしなかった出会いがこうしてまた生まれた。その中山さんはあるエントリーで、ブログとはネット上の「井戸端会議」みたいな面があって、そこでの有形無形のコミュニケーションが人生の活力源にもなると書いていた。その通り
三上さんから、また新しい出会いのご報告があった。こちらまで自然と嬉しくなってしまうテキストだ。 ■誰でもいい、耳を傾けてくれる人がどこかにいる(『三上のブログ』2007年12月9日) 出会いといえば、僕も先週末に日本に仕事で帰っているニューヨーク在の写真家、HASHIこと橋村奉臣さんにお会いできた。8月以来だ。お互いの企業秘密が含まれているので、ここに会話の内容まではご紹介できないけれど、僕に関して言えば、またたくさんの勇気を与えて頂いた。差し障りのない話を紹介すると、HASHIさんが僕の写真についてプロでもやっていけると褒めてくれるので、「謙遜ではなく、自分の中に“この程度では駄目なんじゃないか”と一歩引いて自分の作品を見る自分がいるんです」と申し上げたら、「そうやって器用貧乏というのか、一歩引いてしまう人っているよね。中山さんの場合、そこから一歩自分自身で踏み出す気持ちをもつことによっ
個人のブログ(有名人ブログは除く)で、3ヶ月以上、飽きずにチェックし続けている、魅力的なブログがあれば教えてください。
一般論としてではなく、私のような書き方をしていると、という話ですが、ブログを始めて文章が荒れたなあと実感するところがあります。 その理由は、 ・書き殴る:短い時間にぱぱっと。その癖が付くと気持ちの中に「文章はじっくり推敲して書くもの」という意識が薄れてくる。 ・書き殴る:短い時間にぱぱっと。何かを書こうとパソコンに向かってからテーマやトピックを考えることしばしば。書きたいことがなくても惰性で書く。 ・書き殴る:短い時間にぱぱっと。推敲しない。→ 漢字の間違い、てにをはの間違い頻出。 ・書き殴る:起承転結、それに類する文章の構造を意識しなくなってきた。これは公の文章か、それともプライベートなメモか、日記か。 ・書き殴る:書かなくてよいことを書く。「書かなくてよいことって何だ」ということも、「書かなければならないことは何だ」ということもあまり考えない。これを書き殴ると言わずして何と呼びましょう
魔法。 バロックの魔法にかけられて♪ バッハのミサ曲ロ短調は 「1番すごい曲だ」 …と紹介していたバロックCDのガイド本がありましたが。。 私もこのミサ曲の冒頭のキリエの絶唱にビックラこ...
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