大阪府出身。ペンネームに城青児、宇田野武、宇多野武、鈴江四郎。父は日本画家の武部白鳳。1960年代から1970年代にかけてSFアートの世界で活躍した。 甲陽中学校卒業。在学中から画学校で絵を学ぶ。第二次大戦が終わった1945年に京都府に移住し、画業を開始。行動美術展覧に入展したのを始めとして数々の賞に入選するが、1953年頃より宇田野武の名前で街頭紙芝居を手がける。翌年から少年画報社からの依頼で『少年画報』に絵物語を描き始め、集英社の『おもしろブック』でも連載を行なった。1956年には『少年画報』で柴田錬三郎の挿絵を描いた。 1957年に上京してからは本格的に児童書の挿絵などで活躍するかたわら、1965年から東京創元社刊の『火星のプリンセス』(エドガー・ライス・バローズ作)に始まる火星シリーズの表紙イラストや挿絵を手がける。この作品でSFファンに認知された[1]。 1980年の死去後、星雲