明治45年(1912年)1月25日、東京府東多摩郡中野町(現:東京都中野区本町)で生まれた。実家は農業と酒造業を営む旧家だった。 大正12年(1923年)、中野の桃園尋常小学校を卒業。東京府立第六中学校(現:東京都立新宿高校)に進学した。 同年9月1日昼、自宅の裏の鶏小屋で卵を取っていたところ、関東大震災に遭遇。中学校は半年間休校となった。その間、酒や煙草、博打を覚え、喧嘩に明け暮れるようになった。 大正14年(1925年)には喧嘩で相手を刺す事件を起こし、から放校処分を受けた。それからは実家を飛び出し愚連隊に身を投じた。その後警察から追われるようになり、新宿を離れて不良仲間だった高円寺の藤井の家に転がり込んだ。幸平一家の中野・新井の貸元・大草宇一の若衆が藤井の家に出入りしており、その紹介で大草と知り合った。 昭和4年(1929年)ごろから背中に「野ざらし」(長襦袢の袖口から両手を出した足